国語教育の「意図の読み込み」について

裏テーマ:教育(社会)学者 vs. 社会学者?
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戸高七菜 @NanaTodaka

昔読んだ現代文の参考書に、「『作者がどう考えていたか』は問題ではない。『問題作成者がどう答えさせたいか』を見破れ」と書いてあったことを思い出す。この回答者は、適切な実現ルールがないだけで本当はわかっているのかもしれないと思いながらも、テストでは割り切らざるを得ない。

2010-08-16 17:45:02
はるあき @haru_aki

ただしいテスト対策だと思う。私はいつもそう考えながら問題を解いて現国が得意だったけどなにか間違ってます? RT @NanaTodaka: 昔読んだ現代文の参考書に、「『作者がどう考えていたか』は問題ではない。『問題作成者がどう答えさせたいか』を見破れ」と書いてあったことを思い出す

2010-08-16 17:56:17
𝕏Don't_Think (医師/乙な博士) @_Feeeeeeeeeeeel

論理的文章ならともかく、文学的作品なら読んだ人が感じるままに感じればいいのに。お馬鹿な国語教育。 @NanaTodaka 昔読んだ現代文の参考書に、「『作者がどう考えていたか』は問題ではない。『問題作成者がどう答えさせたいか』

2010-08-16 18:00:49
戸高七菜 @NanaTodaka

私は「作者がどう考えていたか」という問題文を真に受けて作者の考えていた時期があったのです。その参考書を読んで、目から鱗でした。RT @haru_aki: ただしいテスト対策だと思う。私はいつもそう考えながら問題を解いて現国が得意だったけどなにか間違ってます?

2010-08-16 18:03:53
戸高七菜 @NanaTodaka

ある意味、学校のテストはすべて問題作成者の意図を読み取れるかを測っているということではないかと。RT @river_run_deep: 論理的文章ならともかく、文学的作品なら読んだ人が感じるままに感じればいいのに。お馬鹿な国語教育。 @NanaTodaka 昔読んだ現代文の参考書

2010-08-16 18:08:54
戸高七菜 @NanaTodaka

教員が精密なコードで授業を教え、問題作成者が精密なコードで問題を作っているのに、家庭で限定されたコードになじんで育ったら、テストも学校もよくわからなくて苦労するのは当たり前だよね。というのが、バーンスティン理論(ざっくり言えば)。

2010-08-16 18:12:31
長椋実(をさのむくざね) @mizuiro_rain77

面白い命題です RT @NanaTodaka: ある意味、学校のテストはすべて問題作成者の意図を読み取れるかを測っているということではないかと。RT @river_run_deep: 論理的文章ならともかく、文学的作品なら読んだ人が感じるままに感じればいいのに。お馬鹿な国語教育。

2010-08-16 18:13:26
戸高七菜 @NanaTodaka

@osomatsudays ざっくりまとめすぎかもしれませんが(笑)

2010-08-16 18:16:26
長椋実(をさのむくざね) @mizuiro_rain77

@NanaTodaka 意外と現場は教員の主観を押し付けるというか、趣味嗜好に走って生徒たちが混乱している場面が多い気がします。自分の意見や感想を書いて、それが点数化され、挙句は合否が決まるのは好きなのかなぁ。

2010-08-16 18:16:32
ただまご = 永島孝 @tadamago

同感. QT @NanaTodaka ある意味、学校のテストはすべて問題作成者の意図を読み取れるかを測っているということではないかと。

2010-08-16 18:23:25
戸高七菜 @NanaTodaka

@osomatsudays 生徒の側が「どうせ先生こういうこと書いてほしいんでしょ?」と見破ってしまえれば、混乱はないかもしれませんね。「こう書けばうけると思ったのに、違ってた!」という混乱はあるのかしら。

2010-08-16 18:24:34
TATSUMI, Takeo 辰己 丈夫 @ttmtko

その通りでしょう。だから学校では「空気を読める人」の成績がよく、模試や入試では違う結果になる。なので自己推薦制度が機能する。QT @tadamago: 同感. QT @NanaTodaka ある意味、学校のテストはすべて問題作成者の意図を読み取れるかを測っているという(ry

2010-08-16 18:27:55
三谷武司 @takemita

これには異論。著者でも問題作成者でも、「意図」なんてものを読み取らないと解けないような曖昧な設問が一般的だとは思えない。RT @NanaTodaka: ある意味、学校のテストはすべて問題作成者の意図を読み取れるかを測っているということではないかと。@river_run_deep:

2010-08-16 18:28:00
長椋実(をさのむくざね) @mizuiro_rain77

うーむ というか教員の好き嫌いで判断されやすいかと RT @NanaTodaka: @osomatsudays 生徒の側が「どうせ先生こういうこと書いてほしいんでしょ?」と見破ってしまえれば、混乱はないかもしれませんね。「こう書けばうけると思ったのに、違ってた!」という混乱は

2010-08-16 18:28:12
はるあき @haru_aki

普通はそうですねきっと。私がひねくれた子供だったのだと思います(笑 RT @NanaTodaka: 私は「作者がどう考えていたか」という問題文を真に受けて作者の考えていた時期があったのです。その参考書を読んで、目から鱗でした。RT @haru_aki: ただしいテスト対策だと思う

2010-08-16 18:31:09
戸高七菜 @NanaTodaka

おはようございます(笑)。仰る通り、「意図」という表現は適切ではないかもしれません。評価基準?RT @takemita: これには異論。著者でも問題作成者でも、「意図」なんてものを読み取らないと解けないような曖昧な設問が一般的だとは思えない。RT @NanaTodaka: ある

2010-08-16 18:31:25
KOMIYA Tomone @frroots

そう?「意図の読み取り」が曖昧だとは全く思わないけど。 RT @takemita: *「意図」なんてものを読み取らないと解けないような曖昧な設問* RT @NanaTodaka: *問題作成者の意図を読み取れるか*@river_run_deep:

2010-08-16 18:32:52
戸高七菜 @NanaTodaka

@osomatsudays 評価基準があいまいであるほど、好き嫌いが出やすい(あるいは、好き嫌いで判断されているように外からは見える)のでは?

2010-08-16 18:35:17
KOMIYA Tomone @frroots

むしろ現代文でいえば「著者の意図」と「問題作成者の答えさせたいこと」が乖離してしまうようなケースって例外的な悪問じゃない? @takemita @NanaTodaka @river_run_deep

2010-08-16 18:35:46
長椋実(をさのむくざね) @mizuiro_rain77

@NanaTodaka ある小説家がセンター試験で自身の文章が出題されて自分で解いたものがことごとく不正解だったそうです。主観と客観の境界線は難しいかもしれませんが,筆者の意図を探求するのが国文学なのかなと考えると学校教育ではまだその前段階と私は考えます。

2010-08-16 18:36:04
縮限 @contractio

@NanaTodaka だいたいこういうお話は「お互いさま」ということが多ございましょう。

2010-08-16 18:36:42
三谷武司 @takemita

意図でも評価基準でも、また著者でも問題作成者でも、文章の裏にいる人の事情を考えてあげないと正しく読解し、正答に至れないような問題は曖昧な問題だが、そういうのが一般的とは思えないということ。RT @NanaTodaka: 「意図」という表現は適切ではないかもしれません。評価基準?

2010-08-16 18:38:27
三谷武司 @takemita

これには完全同意。RT @friendsroots: むしろ現代文でいえば「著者の意図」と「問題作成者の答えさせたいこと」が乖離してしまうようなケースって例外的な悪問じゃない? @NanaTodaka @river_run_deep

2010-08-16 18:40:13
長椋実(をさのむくざね) @mizuiro_rain77

@NanaTodaka 評価基準も一人の教員が自分で決められるので嗜好や好悪が反映されやすいですね。同じ学年でも担当者が異なれば、隣のクラスの友達の試験範囲も内容もレベルも異なるのが都立の国語では当たり前だと言われて愕然としました。まだ慣れません(´;ェ;`)ウゥ・・・

2010-08-16 18:41:05
戸高七菜 @NanaTodaka

@haru_aki いえ、それが自然にできる子かどうかと家庭環境との相関を解明するのが教育社会学の一つのテーマなので(笑

2010-08-16 18:42:12
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