渡邊芳之 @ynabe39 先生の痛みの身体感覚と言語の関係について

渡邊芳之 @ynabe39 先生の痛みの身体感覚と言語の関係についてまとめました。
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渡邊芳之 @ynabe39

三男が首が痛いというのでよく聞いてみると風邪で喉が腫れているようだった。首と喉の判別というのもけっこう高度だと思う。

2012-12-19 18:18:10
渡邊芳之 @ynabe39

こういうときにふつうは「喉が痛いのだが言語能力が足りないので首と言っている」と考えるが,心理学者的には「言語的に区別できない場合は実際本人も首が痛いのか喉が痛いのか区別できていない」と考える場合も多い。

2012-12-19 18:19:40
渡邊芳之 @ynabe39

幼児ではお腹が痛いのと背中が痛いのも区別できないともいう。そのときも「痛いのは背中なのだがうまく言えない」のではなくてじっさいに本人には「痛いのが背中なのかお腹なのか区別できていない」のかもしれない。

2012-12-19 18:20:56
渡邊芳之 @ynabe39

感覚と言語の関係はつねに「感覚が先にあってそれに言語が宛てられる」とは限らなくて,言語と感覚が協調して成立する,あるいは言語が先にあって感覚が後からついてくる,ということもあると思います。@ramantya

2012-12-19 18:26:34
渡邊芳之 @ynabe39

そういうことですね。 RT @coachmurakami: 子どもの頃を思い出すと痛覚の場所は意外と難しかったですね。言語化とボディ・イメージの発達はある程度リンクしていると自分の経験からも感じています。

2012-12-19 18:26:56
渡邊芳之 @ynabe39

ヴィトゲンシュタインも「自分の痛みについて述べる」ことについて詳しく考えてます。 RT @GAKU_IZ: 首と喉の区別という問題と共に、喉が腫れて首が痛いという場合もあるのでは? 総じて痛みは他人に伝える名のが難しいと思います。

2012-12-19 18:27:43
渡邊芳之 @ynabe39

@BouraHana じっさい「痛みを感じる位置」と「痛みの原因の位置」は必ずしも一致しないですからね。

2012-12-19 18:28:17
渡邊芳之 @ynabe39

「どこが痛いのかな,お腹かな,ここかな?」というように大人が触ったり尋ねたりしながらコミュニケーションしていくことが子どもの「痛みの位置の感覚」を育てるというようなことを言っている人もいる。

2012-12-19 18:39:05
渡邊芳之 @ynabe39

@fufufujii 大人でも正確にわかるのは体の表面に傷や発疹などがあって「原因の所在が目に見える」時だけかもしれないです。

2012-12-19 18:49:58
渡邊芳之 @ynabe39

たとえば「お腹が痛い」というのは「ある種の痛みを他者に伝達するための用語」であって必ずしも「自分のお腹が痛い」ことを指しているのではない場合もあるかもしれません。「こういうときは腹が痛いと言えば通じる」みたいな。@UnePivoine

2012-12-19 18:58:55
渡邊芳之 @ynabe39

@zhy_a だいたいがたとえば「苦しい」っていったいどういうことなのか,意味は「助けて」ってことですよね。

2012-12-19 19:02:14
渡邊芳之 @ynabe39

@tomo_tobiume 肩こりなんてあれ痛いのかなんなのかわからないですよ。

2012-12-19 19:08:27
渡邊芳之 @ynabe39

自分は長年「自分には肩凝りなんて全然ない」と思っていたんだけど,40代半ばになって右腕のひどい痛みで医者にかかるようになってから「首から肩から腕までこりまくっている」という自己認識ができてそれ以来肩が凝って凝ってしょうがない。

2012-12-19 19:10:09
渡邊芳之 @ynabe39

@kamuya_kurai それ以降は「あ〜肩が凝る」と思うようになったでしょう?

2012-12-19 19:19:42
MoT @romaspqr

英語では肩が凝るという表現が無いと聞いた事があります。 以前、同僚の範囲で聞いて見たらback pain というらしいです。 “@ynabe39: 自分は長年「自分には肩凝りなんて全然ない」と思っていたんだけど,40代半ばになって右腕のひどい痛みで医者にかかるようになってから

2012-12-19 19:31:46