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mai @jrmmnisi
今から、昨日の記者会見での広河隆一さんのお話を連続ツイートします。動画はこちら→http://t.co/zIHY0Jwxトゥギャッター(IWJまとめ)→http://t.co/xJol5gJF
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広河氏;科学者とか専門家とか医学者とか、そういう人たちから学ぶのではなしに、事故が起こったあと何をすへきかということは、その経験を持った救援団体から学ぶことが大事だと、改めて思っている。
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広河さん;(写真)この女の子は「放射能が低いから安全で逃げなくてもいい」といわれたところに住み続け、鼻にがんが発生している。かつて安全だといわれたところにたくさんの病気が現れているわけです。
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広河氏;医学の権威者が「ジャーナリストが流すものは全て嘘だ。でまかせだ」と言った。放射線医学研究所の所長が、世界で初めてチェルノブイリの汚染はこれくらい広がっている、と伝えた。彼は「一切デマで、不安を煽り立てる」と学者から批判された。日本であったことはチェルノブイリでもあった。
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広河氏;初めて住民たちの声として、救援運動を始めたのは女性たちだった。
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広河氏;この校長は学校の線量を計って生徒たちがどんな病気にかかっているかを訴えた。この校長室に私たちは、日本から最初の大きな救援物質として測定機を贈った。この経験から、福島で事故が起こった後、DAYSJAPANで募金を集め、福島に6か所の市民測定所ができあがる一つの役割を果たした
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広河氏;事故から10年たったころ、ベラルーシで買い物しようとしたときの写真。売り主から「これは何ベクレルだ」と数値が書かれた紙を見せられて買い物している。
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広河氏;これは、避難した人たちのカルテ写真。避難した人たちは避難途中で医師の診断を受けて、カルテが作られた。そのカルテにはいろいろな症状が書かれており、「急性放射線障害」と書かれたカルテもある。
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広河氏;「一般避難民に急性放射性障害はなかった」とするIAEAや国家にとって、このカルテは非常に危険なものだった。このホイニキの病院のカルテ保管庫では、火事が3回に渡り起こっている。この写真にあるカルテを救出した医師は、その罪で副院長から一般医師に降格された。
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広河氏;救援を何をしたらいいのかわからないときに「とにかくビタミン剤と抗生物質」と言われ、コンテナに入れどんどん送っている写真。1990年から救援開始、91年に「チェルノブイリこども基金」を設立。
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広河氏;(写真)10年経ったあとも全てのミルクを計っている。検査技師に「これで安全ですか」と聞くと「そうではない」と。「私たちが測っているのはセシウムだけで、プルトニウムやストロンチウムは測ることができないから」と言っている。
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広河氏;事故後、数年経ってどんどん発症してくるのが小児甲状腺ガン。手術がたくさん始まった頃に、ウクライナ・ベラルーシでは医者たちが「甲状腺ガンがいよいよ始まった」と訴えたが、それを完全に否定したのがIAEA。
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広河氏;いったん甲状腺ガンになった人たちは、ガンがどこに転移しているかを調査するため放射性ヨード剤を飲み込む。その放射性ヨード剤にさらにやられる。子どもたちは毎日薬を飲んで、転移を検査する。子どもたちの4割程度は、甲状腺ガンが見つかった時には、肺やリンパに転移している。
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広河氏;現在、IAEAが認めているのは「15人の子どもたちが亡くなった」ということだが、実際にはそれは「子どもの範疇である間に亡くなった」人の数である。20歳になった時に亡くなったとしても、その数字には含まれない。
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広河氏;90年~91年つまりIAEAが調査したその年、小児甲状腺ガンは4~5倍に跳ね上がっている。IAEAはそれを否定。「子どもたちに重篤な病気が現れる可能性はない。心配しているせいだ。放射能恐怖症のため病気になっているせいだ。土地のものは食ベても大丈夫だし、水も大丈夫だ」と発表
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広河氏;ベラルーシの甲状腺の専門医、ドロズドさん。彼女は、世界が甲状腺ガンの多発を無視したことに対し、スイスから専門家を呼んでベラルーシの医者とスイスの医者とで一人の子どもを診断し、ネイチャーに載せた。その診断結果が一致したため、IAEAは甲状腺ガンの多発を認めざるを得なくなった
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広河氏;彼らは甲状腺ガンの増加を認めても、それが放射能のせいだということを否定し続けた。その、否定した学会が行われたのは長崎。そこの座長だった人は長瀧重信氏。彼は、福島事故のあと政府官邸のHPで「チェルノブイリの被害がいかに少なかったか」を書いていた人。彼の一番弟子が山下俊一氏。
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広河氏;1992年に、医師でもある大学教授から支援依頼を受けた。彼は保養がいかに大切かを訴えた。それを強力に後押しする政治家が一人いた。ケニックと言う人だが、彼は「絶体に、子どもたちは守らなくてはならない」という強固な意志を持っていた。そして保養所プロジェクトがスタートした。
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広河氏;(写真)これは学校棟で、クラスごと保養しにくる施設。日本でそれが難しいのは、保養を認めてしまうと「自分たちの学校が危険なことを認めることになる」と教育委員会が考えるから。だが、その考え方も揺らいできている。来期からは私たちの施設でも、移動授業がスタートすることになった。
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広河氏;(写真)この子たちは全員が甲状腺の手術を受けた子どもたち。現地で、私たちは言葉使いに気をつけて「ガン」という言葉を一切使わないようにした。「良性腫瘍だった」と親から聞かされている子どもたちもたくさんいるわけです。
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広河氏;この子たちを受け入れることは非常に危険だという意見があった。「病気の子を受け入れて事故でも起こったからどうするのか」「医療体制はどうするのか」「薬は」「専門医は」と言われたが、日本が全て責任をもつ、全てお金を出す、という形で、甲状腺手術を受けた子どもたちの保養が始まった。
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広河氏;ナターシャの手術前日の写真。「麻酔を受けている間に自分が死んでしまうのではないか」と恐怖心で泣いている。全ての子どもは「手術をする」と聞いた途端どん底に突き落とされる。彼女は保養を繰り返す、薬を与える、また早期発見であったため、転移がなく済んだ。先日、結婚式を挙げた。
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広河氏;事故から3年後の1989年、この村が汚染されているということが世界中にまだ秘密だったころ、そこに入って撮影した。この数か月あとに、とうとう政府が汚染地図を発表する。これは、この後ろの建物の中で生まれた子豚は全て目が見えなかった、と説明するコルホーズの議長(写真)。
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広河氏;(写真)この少女を何年も見てきたが、笑顔を一度も見たことがなかった。病気になった子どもたちは「自分たちは見捨てられた。未来はない。」と考えている。そういう子たちが保養先で、生きる希望を見つける。保養の間に、子どもたちの表情がみるみる変わっていった。彼女にも、笑顔が戻った。
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(だから、ベラルーシで初めて作られた保養所は「希望」と名付けられたのか。)
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コメント

@rbmio 2012年12月20日
地震直後にそれみたことか系の発言して炎上したジャーナリストは誰でしたっけねぇ
Masa_Shimizu ♡はブクマ @maria_tachibana 2012年12月20日
測定器の間違った使い方して居た“広河隆一”さんですね。そりゃ、可笑しな結果になりますわ。
otss645 @otss645 2012年12月21日
画質が悪いですがIWJじゃない動画です http://www.ustream.tv/recorded/27812153 (自由報道協会PRチャンネル)
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