西住まほ殿の戦車指南#1 「ポルシェティーガー」
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1935年にドイツ軍の将来の機甲戦力構想として、主力のⅢ号戦車と火力支援を行うⅣ号戦車の2台体制で戦車戦力の整備を進めることが決まっていたが、さらにその上に30トンクラスの重戦車を作ろうという提案が1941年5月26日、ヒトラーの山荘の会議にてされた。
2012-12-22 20:14:111941年5月26日の兵器局との会議で総統アドルフ・ヒトラーは、これら既存の重戦車級車台よりもさらに強力な攻撃力・防御力を持つ戦車の実用化を要求。ここに、本格的にⅥ号戦車計画がスタートすることとなる。
2012-12-22 20:17:31このとき、重戦車計画に関わっていた主な車両企業は2つ。ヘンシェル社とポルシェ社である。そこで総統からの要求により開始された新しい重戦車計画にも、この両社で競争試作を行うこととなった。
2012-12-22 20:19:16基本的にはVK4501(H) "ティーガーⅠ"と類似しているが、独自の設計にこだわるポルシェ博士はこの"ポルシェティーガー"にも独自要素を盛り込んだわ。
2012-12-22 20:21:46一つ目がガソリン=エレクトリック駆動。要するにガソリンエンジンで発電機を回し、その電力でモーターを回して走行するという手だ。
2012-12-22 20:23:30熱力学に従えばガソリンの燃焼から得られるエネルギーを回転力に変え、それを電力に変え、回転力に戻すというエネルギーの流れが大量のロスを生むことは一目瞭然だが、ポルシェ博士はこの方式がトランスミッションを不要とすることで結果的に効率的だと判断したのだという。
2012-12-22 20:25:42たしかに50トン級の戦車を走らせるパワーに耐えられるトランスミッションは重く大きな物にならざるを得ないので非効率と言えば非効率なのだが、エネルギーロスの問題はどこへ行ってしまったのだという話。
2012-12-22 20:27:31この点に関してはエンジンの換装でかなり良くなる可能性もあったが、問題は大出力モーターと発電機の両方に貴重な軍事資源である銅を必要とする点と、モーター&発電機から放射される電磁波によって車内・車間通信が困難になる点であり、この2点はポルシェティーガーを採用から遠ざける原因となった。
2012-12-22 20:35:17これによりトーションバーサスの欠点、床下脱出ハッチが設置できない問題をクリアし、かつ全高も低く抑えることができた。言い換えるとバネ役をするトーションバーの長さが切り詰められてると言う事であり必然的に弾力不足、つまり地面からの反作用がそのまんま足回りを直撃してしまう問題があった。
2012-12-22 20:39:19なぜトーションバーを短くしたかと言うと、長いトーションバーの生産には高いコストがかかるので短いトーションバーで良いということは生産コストが安くなるってことよ。
2012-12-22 20:41:29もっと車重が軽い車体であればこういう物でも良かったのかもしれないが、50トンオーバーのポルシェティーガーにこれはかなりの痛手だったわ。
2012-12-22 20:43:25走行試験でも問題は指摘されていたが、実際にこの足回りはとにかく長持ちせず、頻繁なオーバーホールを要する戦車が誕生する結果となってしまった。
2012-12-22 20:46:01結果ポルシェティーガーは"不採用"となってしまう。が、不採用が決まった時点で、100台分のポルシェティーガーの車台がもう出来上がっているという摩訶不思議な事態が起こってしまった。
2012-12-22 20:49:57なぜそのような事態が起きてしまったか、ポルシェティーガーの設計者フェルディナント・ポルシェ博士は政治的には無関心、かつ純朴な技術脳のおじさんであった。(総統にも一切の敬称を使わず、普通に「ヒトラーさん」と呼びかけてたという説もあるわ。)
2012-12-22 20:52:37自分で運転こそしないものの自動車大好きだった総統閣下にとって、念願だった「国民車構想」を実現させてくれたポルシェ博士は大のお気に入り。政治的無知さ・純朴さもむしろヒトラーにとって信頼できる要素として働いており、ポルシェ社には総統の声掛かりで資材や資金も優先的に供給されていたのだ。
2012-12-22 20:55:13先ほど話した不採用にもかかわらずすでに100台分のポルシェティーガーが出来てしまっていたのが総統閣下とポルシェ博士の親しい関係にあることは想像を待つまでもないことだろう。
2012-12-22 20:57:02