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2012年12月24日

秀吉の「聚楽」の接尾語は、「第(だい)」か「城」か「よ~ん」かの大論争

「聚楽よ~ん」の元祖、本物の聚楽第の痕跡が京都市で見つかりました。京都府埋蔵文化財調査研究センターが2012年12月21日に発表しました。 聚楽第をつくったのは、豊臣秀吉です。 1586年(天正14年)に、いにしえの平安京大内裏の跡地に着工し、翌年完成した。城郭型の屋敷です。 古代の内裏(天皇の居場所)に作ったという立地がかなりポイントなんでしょうね。 聚楽の語源は、「長生不老の楽しみを聚(あつ)むるもの」(『聚楽行幸記』)です。つまり「楽しいことが集まった場所」です。 続きを読む
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ひでっち@軍師→思考回路が戦略的 @hidechi_home

聚楽第の石垣、東西に32m 自然石で勾配(京都新聞)-Y!ニュース http://t.co/sSnFsuF9 ■聚楽第(聚楽城)安土桃山時代、関白:豊臣秀吉が政庁兼邸宅として、大内裏跡で1586年に着工し、翌年完成。秀次に譲ったが、秀次の追放と切腹後、徹底的に破壊したとされる。

2012-12-23 06:29:11
Momosaki Yuichiro @momosaki_u1ro

そもそも当時の記録や書簡(日本やイエズス会)は聚楽第を「聚楽」「ジュラク」と呼び、故地に残る地名も「聚楽廻(じゅらくまわり)」。「第」の字を付けた同時代史料を見かけない。聚楽「第」という名称は当時を知らない近世人か、下手したら近代人の妄想では?遺跡名として紹介するには慎重さが必要

2012-12-23 13:35:22
Momosaki Yuichiro @momosaki_u1ro

「聚楽」に接尾語をつけた同時代に近い史料は、管見の限り、西洞院時慶の日記を抄出した『聚楽亭行幸記』(みたいな名前のもの。うろ覚え。群書類従所収)のみ。後世の命名だろうから同時代史料と同列の情報ではないが、「聚楽亭」という表記は、「聚楽第」が「じゅらくテイ」であった有力な傍証だ。

2012-12-23 13:54:12
jisama-desu @jisama

天正年中聚楽亭両度行幸日次記

2012-12-23 15:07:53
黒猫亭(CV:大塚明夫) @chronekotei

「聚楽」の接尾語と言えば、やっぱり代表的なものとしては「よぉ〜ん」ではないだろうか。

2012-12-23 15:51:15
Momosaki Yuichiro @momosaki_u1ro

ちなみに、聚楽第の「聚楽」を「ジュラク」と読むことは、イエズス会宣教師の記録や書簡に「Juracu」と綴られていることから確実です。

2012-12-23 16:44:21
みやこのひがし @miyakonohigashi

@momosaki_u1ro そうなんですね!ありがとうございますぅ。行幸の時、言経卿記や吉川家文書では「聚楽亭」ってあります 

2012-12-23 20:49:31
Momosaki Yuichiro @momosaki_u1ro

その辺の史料に「聚楽亭」とあるのですね。迂闊にも初めて知りました。御教示ありがとうございます。授業や研究で活用させて頂きます。 “@miyakonohigashi: @momosaki_u1ro 行幸の時、言経卿記や吉川家文書では「聚楽亭」ってあります ”

2012-12-23 20:56:24
Momosaki Yuichiro @momosaki_u1ro

↓ということで、同時代史料に「聚楽」に接尾語が付いた史料を見かけない、というのは私の浅学による知識不足でしたので、訂正します。お恥ずかしい限り。私の見た史料が偏っていたようです。御教示の点、今度裏を取らせて頂きます。

2012-12-23 20:59:27
中村武生 歴史地理史学 @busyo3

もう一律、「聚楽城」でいきましょうや。徳川二条城を「二条屋敷」なんていわんでしょ。同時代史料にそう書いてあっても。

2012-12-23 21:26:21
みやこのひがし @miyakonohigashi

@momosaki_u1ro おもしろいのでいろいろ。天正行幸、出納職在記では「聚楽第」ですね。『聚楽第行幸記』も文章中で「聚楽第」みたいです。聚楽の城とか聚楽の御所という史料もあるみたいです

2012-12-23 21:50:29
Momosaki Yuichiro @momosaki_u1ro

同時代で「聚楽第」は初めて知りました。近世や近代の妄想とは言い過ぎたようで再度訂正、御教示痛み入ります。“@miyakonohigashi 天正行幸、出納職在記では「聚楽第」ですね。『聚楽第行幸記』も文章中で「聚楽第」みたいです。聚楽の城とか聚楽の御所という史料もあるみたいです”

2012-12-23 22:56:46
中村武生 歴史地理史学 @busyo3

仲間たちみな聚楽城の現説に向かっているな。こちらは城南久世郡大久保村。遅れて上洛するぞ。

2012-12-24 09:51:02
中村武生 歴史地理史学 @busyo3

来て良かった。川崎さんが来られた。聚楽城の現説をお勧めする。

2012-12-24 09:59:57
小大豆・洛西太秦 @azdaiz

聚楽会館 http://t.co/WxqRQZRR 『聚楽第址 此付近大内裏及聚楽第東壕跡』碑 http://t.co/HM944B6g ちょっと行き過ぎて『此付近聚楽第址』碑。あれ?副碑は? http://t.co/gXWyjvE1

2012-12-24 10:16:45
ルルフ @hervorruf

今行われているであろう聚楽城現地説明会に、生き霊飛ばせたらいいのに(涙)。あの技習得はやはり従三位以上とか三槐とか博陸とか、色々資格が要るんだろうな(違)。

2012-12-24 10:21:46
このツイートは権利者によって削除されています。
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中村武生 歴史地理史学 @busyo3

聚楽跡石垣、西側から。違う角度。 http://t.co/o75RkLfg

2012-12-24 11:32:32
拡大
中村武生 歴史地理史学 @busyo3

聚楽城跡石垣、拡大。やっぱり西側から。 http://t.co/vsPEDHlu

2012-12-24 11:33:18
拡大
小大豆・洛西太秦 @azdaiz

先日、聚楽城南外濠跡にNHKがテレビ番組用の取材に来たとのこと。聚楽城ではなく、佐々木只三郎の話。

2012-12-24 12:33:01
中村武生 歴史地理史学 @busyo3

どんどん聚楽城と言っていただきたい。豊臣三都の城郭のひとつである。大坂城、伏見城ときて、なんで聚楽第(亭、てい、やしき)やの。西田直二郎ら大正期の研究者・教育者が碑銘や論文タイトルで定着させたものを何で未だにひきづる必要がある?

2012-12-24 12:42:07
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