三つ単語を指定されて短い話を書く

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@_MgHoLiC_

三日前、へそのごまというやつを、取った。今まで噂には聞けどついぞその姿を俺の前に現さなかったこの小さな住人は、風呂上りに腹部への違和感と共に姿を見せた。へそから何かが根をおろして腹の中を這いずり回っているような奇妙な感覚。訝しんだ俺はへそに指を突っ込んだ。手応えがあった。

2012-12-25 22:46:54
@_MgHoLiC_

へその中に小さな丸い突起があったのだ。俺は暫くの間それを爪で引っ掻いたりつついたりしてみた。痛みは勿論感覚さえない。しかしどうやらそれは唯のゴミではないらしかった。吹き出物の類いなら痛みがある筈だし、ゴミならすぐに取れる筈だ。俺は暫く迷ったのち、それに思いきり爪の先を突き立てた。

2012-12-25 22:50:07
@_MgHoLiC_

それがぽろりと取れた瞬間、全身が倦怠感に襲われた。胸の中がさっと冷たくなった。何かしてはいけないことをしてしまったような気がしていた。そしてその悪い予感は実際に当たっていたのである。その日から俺は、人とコミュニケーションが取れなくなったのだ。

2012-12-25 22:51:54
@_MgHoLiC_

言葉も分かる、文字も読める。それなのに彼らの発する音の連なりが一つとして文章として聞こえてこない。文字列の区切りがまるで分からない。どこからどこまでが一単語だ? 注意すれば言葉の端々や文字から単語くらいは拾える。けれどそれがどうしたのか、矢張りさっぱり分からない。

2012-12-25 22:53:49
@_MgHoLiC_

誰かに助けを求めようにも、俺は自分の発している言葉が果たして彼らに伝わっているのかすら分からなかったし、彼らが助け舟を出してくれたところで、それを舟と認識することすら出来ないのだ。どうしようもなかった。孤立無援が続き、俺は憔悴しきってたった一人、駐輪場で座り込んでいた。

2012-12-25 22:55:54
@_MgHoLiC_

何故俺がこんなところにいるかといえば、自分の自転車を探すためである。俺の住むマンションには駐輪場があり、心もとない途端屋根の下にぼろぼろの自転車が寄せ集めて置いてある。この中の一つが俺の自転車の筈なのだが、なにぶん暗くてよく見えないのだ。点滅する街灯は寧ろ俺の視界を悪くしていた。

2012-12-25 22:59:29
@_MgHoLiC_

「なにしてんの、そこで」。3日ぶりに聞く言葉だった。振り返ると、上下とも灰色のスウェットの、ぼさぼさの髪をした少女が立っていた。サンダルに突っかけた足の指先には、剥がれかけのペディキュアが塗られている。彼女は僕をじろりと見て、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

2012-12-25 23:02:17
@_MgHoLiC_

「何、その顔。別に私幽霊なんかじゃないよ」「ちがう、ことばが」 俺の口から出てきたのは、片言の日本語だった。たった3日の謹慎で、俺の言語能力は随分と衰えてしまったようだった。彼女は僕の顔をしっかりと見据え、それから少しだけ肩をすくめた。「言葉がなによ」。街灯が消えた。

2012-12-25 23:04:56
@_MgHoLiC_

咄嗟に携帯電話を取り出し、バックライトを突き出すように彼女へ画面を向けた。彼女はまるで導かれるようにふらふらと俺の側へと寄ってきた。俺はちらりと画面を覗く。相変わらず、表示された文字の意味は理解できなかった。少しだけ落胆したが、今は彼女がいる。外の世界との接点が。それで十分だ。

2012-12-25 23:08:37
@_MgHoLiC_

「うーん、それってやっぱりさぁ、芯が抜けたんだよ」。それから数十分後、彼女は俺の部屋でテレビを眺めながらそう言った。相変わらず司会者の言葉も、芸人の台詞も理解できない。なにか面白いことでもあったのだろうか、客席がどっと湧いた。「人の芯って、簡単に抜けるんだよ、割と」

2012-12-25 23:11:10
@_MgHoLiC_

「じゃあなんで君とは話が通じるんだ?」俺の言葉に、さあ、と彼女は笑った。「もしかしたら私もさあ、抜けてるのかも、芯が」。そう言われて、俺は自分が彼女のことを殆ど知らないことに気がついた。どこから来たのか、この安アパートの住人なのだろうか。少なくとも近所の人間ではある筈だ。

2012-12-25 23:13:28
@_MgHoLiC_

そうでなければ、こんな時間に手ぶらで、しかも殆ど部屋着のような格好でうろついていた説明がつかない。俺が彼女に自身のことを聞こうと口を開くのと、細い人差し指が俺の眼前に突きつけられるのは同時だった。「今夜は泊まっていってあげる。それで、明日芯を取り戻しましょう」

2012-12-25 23:17:37
@_MgHoLiC_

承諾する訳にはいかなかった。年齢はわからないが、彼女は一人暮らしをするような年には見えない。家族が心配するだろう。おまけに俺はこれでも男だ。彼女はあまりに危機感がなさ過ぎる。仮にこの状態で俺があらぬ疑いをかけられ、警察にでも拘束されてみろ。俺は状況の説明ができないのだ。

2012-12-25 23:20:21
@_MgHoLiC_

しかしながら、彼女はすたすたとベッドに歩み寄ると、散らばった雑誌や菓子袋を気にもせずに飛び乗った。「男は床で寝てよ」そう言い放つと、それきり黙りこくって動かない。ちらりと顔を覗き込むと、どうやら寝息を立てているようだった。

2012-12-25 23:22:20
@_MgHoLiC_

結局、朝になっても警察は訪れることはなく、代わりに身体中を鈍い痛みが襲っていた。カーペットも敷かれていない部屋の床は、眠るには適さなかったのだ。頭痛に呻き声を上げながらゆっくりと上体を起こした俺の目に、ベッドの上で携帯電話をいじる彼女の姿が飛び込んできた。

2012-12-25 23:25:01
@_MgHoLiC_

「いまあなたの芯を探してるところ」彼女は携帯電話の画面から目を離さずにそう言った。真剣な表情だ。「まだそんなに遠くへは行ってない筈だから、取り寄せられるよ」「取り寄せる?」「黒猫が運んでくれるの」。彼女はそこでようやく画面から顔を上げた。不思議な表情をしていた。

2012-12-25 23:26:53
@_MgHoLiC_

怒っているような、泣きたがっているような、妙な顔だ。突き出された携帯の画面には、赤文字で俺の名前が書かれていた。その下には、見知った町の名が書かれている。「まだ隣町にあるでしょ。良かったね」。それだけ言うと、彼女は再び携帯の操作に戻った。

2012-12-25 23:28:19
@_MgHoLiC_

その日の午後だった。彼女は勝手に取った出前の寿司を一人で平らげ、汚い卓袱台に突っ伏して眠っていた。チャイムが鳴り、俺はどきどきしながら玄関に出た。警察だったらどうしよう、話は通じないのだ。彼女を起こすべきだろうか。しかし、玄関口にいたのは陰鬱な顔をした男だった。

2012-12-25 23:30:34
@_MgHoLiC_

「■■■■」。男がなにか言った。わからない。けれど男の服装と、抱えている段ボール箱をみれば分かる。ヤマト運輸だ。何かを届けに来たのだ。男は答えられない俺に、全てわかっている、といった表情を向けた。そして黙って、段ボールの上の伝票を指差した。サインしろ、ということらしかった。

2012-12-25 23:32:17
@_MgHoLiC_

俺はそこに自分の名前を書き付けた。男は一礼すると踵を返して去って行った。薄暗い廊下に溶け込むように男の姿が消える。俺はただ、訳もわからず箱を眺めるだけだった。彼女が、注文したのだろうか。これを。俺の、なくしてしまった芯を。

2012-12-25 23:33:58
@_MgHoLiC_

俺は箱を開けた。箱の中に入っていたのは小さなムカデのような虫だった。見た途端にそれがなんだか分かった。こいつは俺の身体の芯なのだ。こいつが俺に寄生していたのに、うっかりヘソの中で丸まっていたのを取ってしまったのだ。お陰でこの虫は今死にかけて、俺は言葉をなくしている。

2012-12-25 23:36:43
@_MgHoLiC_

俺はその虫を手にのせ、そっとまるめ、そして飴玉のように口の中に放り込んだ。味はしなかった。飲み込んだのかもわからないまま、そいつは口の中で忽然と姿を消した。「……では、次のニュースです」。付けっ放しのテレビから流れていた雑音が突然意味を取り戻した。俺は言葉を手にいれたのだ。

2012-12-25 23:38:38
@_MgHoLiC_

俺は重箱に囲まれて眠る彼女を揺り起こした。3000円以上もする寿司を平らげやがったことに怒りはなかった。彼女のお陰で、俺は再び平穏を取り戻したのだ。「おい、君のお陰だ、ありがとう」。彼女は首を横に振った。そして微笑み、言った。「■■■■」。 その言葉は、俺には聞き取れなかった。

2012-12-25 23:41:08
@_MgHoLiC_

「ご迷惑をおかけしました」。彼女を両親が引き取りに来たのは、夜も更けてからだった。彼女が握り締めたままの携帯にひっきりなしにかかってくる電話を見兼ねて俺がとり、嫌がる彼女に殴られたり引っかかれたりしながら彼女の母と名乗る人物に彼女が俺の家にいることを伝えたのだ。

2012-12-25 23:43:34