山本七平botまとめ/【洗脳された日本原住民】/末期米で地獄を生き延びた真の勇者
- yamamoto7hei
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①…話は横道へ横道へとそれてしまった。ではここでまた地獄船の船倉にもどろう。そこは、もし方向を誤れば、将来、日本丸の全員が落ち込むかも知れない場所だから――。<『ある異常体験者の偏見』
2012-12-18 06:57:41②どれくらい時間がたったかわからない。おそらく「時間」という観念もなくなっていたのであろう。 この航海が何日間だったか、それが、収容所に入れられてすぐだれにもわからなくなっていた。お手紙を下さったFさんも「数日」と記しておられる。
2012-12-18 07:27:51③寝ているのか目がさめているのか、見ているのが実体なのか夢なのか、すべてが混沌として、現実だったのやら妄想だったのやら、私にはわからなくなった部分である。 全航程で私は三泊四日ぐらいだと思うのだが、人によっても四泊五日だ、いや五泊六日だという人もいた。
2012-12-18 07:57:38④私はいつごろからか半睡半醒状態となり、ただ自動小銃だけが執拗にくっきり頭の中に浮んでいた。 ただ時々、飯食をたくときの火や、炊飯の香りが、自動小銃のうしろでチラチラしたり、香ってきたりした。
2012-12-18 08:28:06⑤私は今日の今日まで、これを夢だとばかり思っていた。 燃料のない船倉内で炊飯ができるわけがないからである。 だがFさんのお手紙で二十数年ぶりで次のことを知った。
2012-12-18 08:57:42⑥「……うす暗い鉄板上の床で米兵の目を盗み、飯を炊いた事です。…支給されたCレーションの小さな空缶を上手く利用し(かまどと鍋)、燃料はKレーションの防水箱を小さく切断し気長にほんの僅かの飯を作りました(米は僅かばかりもっていました)水はドラム缶より水筒に詰めたもの……」
2012-12-18 09:28:01⑦恐らくあれは夢でなく、うす暗い船倉内でチラチラ燃える火を見、炊飯の香りを嗅いだのであろう。貧血であろうか、意識が霞んでいくのがわかる。 「もうだめだ、このままでいたら動けなくなる、動けなくなればおしまいだ。今度こそは……」と体を起した時、一つの顔が自動小銃の向うに見えた。
2012-12-18 09:57:42⑧どこかで見た顔であった。相手は私と気づくと「オー、山本か、無事じゃったか」と言った。それは司令部の付属工場長のH兵技大尉であった。 普通なら知っている仲ではないが、彼は私の部隊長の親友で、私が司令部に出張するとき、部隊長からよく私的な手紙や伝言を託されたので知っていた。
2012-12-18 10:28:03⑨一兵技兵からの叩き上げで、もう相当な年で、頭はほとんど禿げており、残っている髪も昔から真白であった。丸く澄んで落着いた目が特徴で、どんな時にも絶対に激しない実に温厚な人であった。 彼は静かに言った。 「米を持っておらんか?」 私は首を横に振ると驚いて彼を見た。
2012-12-18 10:57:43⑩もっともほんの一握りの米なら、持っている人がいても不思議でなかった。不思議なことに――否、少しも不思議ではないのだが――ほんの一握りの米を「お守り」のように雑嚢に入れたまま餓死している者は、少しも珍しくなかったのである。 われわれはこれを「末期米」と呼んでいた。
2012-12-18 11:27:58⑪全くなくなるということに、心理的に耐えられないからであろう。 おそらく「米がまだ一握りある、まだ一握りある」と自分に言いきかせて、歩きつづけ、力つきて倒れ、そのまま死んだのであろう。 「米」を食べるには水と火がいる。 しかし戦場では、それが常時手に入るわけではない。
2012-12-18 11:57:40⑫言いにくいことだが、私は、この末期米で生きながらえた――私だけではないとは思うが、倒れた兵士を見れば、すぐ雑嚢をさぐるのが、習慣のようにすらなっていた。 H大尉が言ったのは、いわば「末期米」を持っていないかということであった。ただ私は一枚の軍用毛布以外何ももっていなかった。
2012-12-18 12:28:06⑬武装解除の後で、私は狂ったように何もかも投げ捨てていた、飯食も水筒も図嚢も地図入れも帯革も一切合財。 彼は落着いて言葉をつづけて「米を集めて、米軍に交渉して、粥をたいてもらおうと思っているのだ……」、私は驚いて彼を見た。 これが前述の真の勇者であろう。
2012-12-18 12:57:42⑭Fさんは次のように記しておられる。 「……何日目かに交渉の結果、おもゆか、かゆを配食されたこと。これは全員に行きわたらなかったように思いますが……」 何日目か私も憶えていない。 粥を配食するから容器をもって甲板に並べという指示があった。
2012-12-18 13:28:02⑮私は何も容器をもっていないので、ロウびきのKレーションの空箱をもち、頭がかすんで足がふるえるのと必死で戦いながら、またあの鉄パイプの梯子をのぼった。…ブリッジの下に四角くて大きな部厚いアルミの炊事用の容器がすえられ、粥とも重湯ともつかぬものが湯気を立てていた。
2012-12-18 13:57:42⑯飢えは嗅覚を異常に敏感にする。糠くさく腐敗米らしいにおいが湯気とともに流れてきた。 一人の米兵が自動小銃をもって立ち、一人は柄の長い大きなスプーンをもって腰かけていた。 その態度は横柄で一人一人におじぎをさせ、その上で大きなスプーンでそれぞれの持つ容器へ一さじずつの粥を入れた。
2012-12-18 14:28:00⑰彼らの感じはよくなかった。しかし、捕虜と米兵の間の、あの一種異様な緊張感はもうなかった。 もちろん私は、もう自動小銃などには目もくれなかった。 そして空箱につがれた粥を、犬のように舌と唇で、一粒の米粒も残さず喉に流し込んだ。もちろんこれは、空腹のたしになる量ではなかった。
2012-12-18 14:57:41⑱ただ彼らが、われわれのために粥をたいてくれたということだけが、異様な精神状態から私を解放したわけであった。 そのまま日は暮れ、船倉にもどって寝たように思う。目をさましたとき…、誰かが甲板から下りて来て「コレヒドールが見える」といった。船はマニラに来たのであった。
2012-12-18 15:27:56