「なるほど、つまりこういうことだ」と言語化したとたんに、そのものを見なくなる。

山中俊治 (@Yam_eye) さん、中村允紀 (‏@nakayoshiki)さn 芝原隼人(@hayatoshibahara)さんのTwitterをまとめました。
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芝原 隼人 @hayatoshibahara

感覚の中で、意識が認識しているのはそのうちほんの一部である。つまり人は感じていても分かっていない、そんな状態で常に生活している。それが日常を日常たらしめる要素の一つなのだろうか。

2012-12-28 11:00:12
芝原 隼人 @hayatoshibahara

人によって「日常」の在り方は全く異なる。山中俊治先生によると、スケッチの際に「言語論理的思考の優秀な人間ほどしばしば、かたちをみていな」く、「なるほど、わかったと判断したとたんに、そのものをみなくなる」傾向があるという。その認知の差異の集合をコンセプトの機能で抉り出したい。

2012-12-28 11:07:09
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

言語による論理思考の優秀な人間ほどしばしば、「かたち」を見ていない。「なるほど、つまりこういうことだ」と言語化したとたんに、そのものを見なくなる。これは人の認知の構造と関わると思われる。(工学部でスケッチの授業をしていて気がついたこと。)

2012-12-28 11:24:39
芝原 隼人 @hayatoshibahara

根源的に認知の仕方を開発したいし、開発されたいのだと思う。その欲求が人より比較的強く意識化されているのだろう。ユング的に言うとウロボロスからレビスへ。有限な日常を固定し続けるのではなく様々な認知で変容させ、個性化の過程にやはり自然に沿い続けたい。

2012-12-28 11:33:43
中村允紀 NakamuraYoshiki @nakayoshiki

@Yam_eye: 言語による論理思考の優秀な人間ほどしばしば、「かたち」を見ていない。「なるほど、つまりこういうことだ」と言語化したとたんに、そのものを見なくなる。これは人の認知の構造と関わると思われる。(工学部でスケッチの授業をしていて気がついたこと。)”

2012-12-28 11:42:26
中村允紀 NakamuraYoshiki @nakayoshiki

これは小林秀雄氏の本で読んだことがある。道端に咲いた花が、菫だとわかった瞬間「なんだ、菫か」と思考をやめる。美しさを追求しない?純粋な何か 考えればたどり着くものを 切り捨てているのか。そういう点では、ほとんどの「大人」は高度な言語論的思考を持ち合わせている? @Yam_eye

2012-12-28 11:46:31
芝原 隼人 @hayatoshibahara

植物は、その同一性を存在そのものに集約している。対して、人は同一性を獲得するために、多くの外的な事物に依存しているのだ。なんと、生物としてか弱いことか!そして部分的な死を生の一部として戦略的に受容している植物の生命力の美しさや確信に、ふと感動を覚える…。(あえて言語化すると)

2012-12-28 11:57:06
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

それです、小林先生。RT @nakayoshiki: これは小林秀雄氏の本で読んだことがある。道端に咲いた花が、菫だとわかった瞬間「なんだ、菫か」と思考をやめる。

2012-12-28 12:09:52
中村允紀 NakamuraYoshiki @nakayoshiki

例えば… 道にさく一輪の花を、美しいと思うも人間 美しいものを、美しいと考えることをやめるのも人間。 多くの人はこういうことの積み重ねにより、人間の心(人間性?)が育つという。たしかに。人間しかしないのであれば。

2012-12-28 12:20:54
中村允紀 NakamuraYoshiki @nakayoshiki

そういえば、古代のヒトは、火(道具)を使うことともう一つ、埋葬をしたそうな。埋葬には、花が共に添えられていたと。そのヒトたちは、その「花」というのを、霊的(儀式・呪術)的な元に備えたのか、それとも…!? うん。よっぽど「昔のヒト」のほうが、「人間っぽい」のではないか(笑)

2012-12-28 12:23:55
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye

全く知らないものの方が、良く知っているものよりも上手に写生できる人は少なくない。人の手のような見慣れたものの場合は「手」として記憶されているイメージに近づけようとして、アングルや陰影などのその場の出来事を無視して描く傾向が現れる。

2012-12-28 14:48:26