編集可能

江戸時代庶民の苗字について

江戸時代庶民の苗字についてまとめました。
夫婦同性 夫婦別姓 人文 日本史 江戸時代 苗字 歴史
19
@miohiromin
1549[苗字](始)江戸時代、農民をはじめとして庶民たちは男女とも苗字(姓)がなかった、と思われているが、実際はあった。そもそも家があるのに姓がないのは理屈から考えてもおかしい。今回からはその庶民における苗字について取り上げます。
@miohiromin
1550[苗字]江戸時代以前から、どの庶民も苗字は持っていた。ただ、江戸時代になり、「検地帳」「年貢割付帳」といったいわば住民基本台帳のような公文書では苗字は記録されず、役人などに対して名乗ることも禁止された。つまり、苗字は公的な場では使えないようにされてしまった。
@miohiromin
1551[苗字]苗字がないと個人の特定に不便なように思えるが、台帳は村ごとにまとめられ、村の人数は数十からせいぜい数百人だったから、「OO村のO兵衛」でも充分識別できた。また、農民ともなればふだんよその土地へ行くこともないから、身元を証明するような機会も必要もなかった。
@miohiromin
1552[苗字]このように、一つは幕府の命令、一つは必要性の無さから、庶民は苗字なしで生活するようになった。もちろん、同じ村に同名の者が居る事はよくある。そういう時は「東の喜助」とか「谷川の喜助」といったように、その地域の人に分かる言い方をしていた。
@miohiromin
1553[苗字]商人もまた苗字は禁止されたが、こちらは屋号が苗字がわりとして使われ、「伊勢屋新兵衛」とか「丁字(ちょうじ)屋儀助」といったように姓名のように使われた。ちなみに東北では屋号がそのまま明治以降苗字として使うケースが多かったそうで、多くは屋を省いたが屋を残した家もある由
@miohiromin
1554[苗字]こういった中、庶民が苗字を使う場もあった。寺社が記録する寄進者記録「奉加帳」や墓石(明治以前、墓石は個人もしくは夫婦のもので、家としてまとめられるようになったのは明治以降)、更には文化文政以降大流行した身分不問で俳諧や川柳などを詠み合う場でも作品に苗字を記した。
@miohiromin
1555[苗字]ところで、なにかと恐ろしいと思われている江戸時代だが、タテマエと実際の違いは苗字にも及んだ。中期以降、どの藩も財政が苦しくなり、金策に苦しんだ。そこで各大名がやり始めたのが、苗字の販売。
@miohiromin
1556[苗字]これはお金のある町民、商人しか対象になり得なかったが、お金を出せば苗字の権利が許されるというもの。藩にとっては良い収入となるし、町民や商人は藩から頂いた苗字として栄誉あるもの。お互いの利害が一致してこれはかなり行われたようだ。
@miohiromin
1557[苗字]官位の売買というのはあったが、苗字の売買は江戸時代特有のもの。幕府は取り締まることもなく、見て見ぬフリ。金額に応じて、その人一代限り、子や孫子々孫々まで永代といった等級まであったのだから、ガメツイ話ではある。
@miohiromin
1558[苗字]明治になり、国民は苗字を名乗ることが義務づけられた時に、苗字がなくて困り、住んでいる土地から例えば山のふもとに住むので山下とつけたとかいった話をよく聞く。が、多くは苗字を使う機会がなくていつしか分からなくなったというのが真相。(了)
リンク myoujijiten.web.fc2.com 江戸時代の庶民に苗字はなかったか? 日本人のほとんどが明治まで名字を持たなかったという俗説への批判

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする