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Astal_jukebox @astral_jukebox
―少年が気が付くと、そこは図書館だった。板張りの床の上に薄茶色の木製の書棚。見渡す限りそれが無数に、整然と並んでいる。部屋の奥行きは極めて広い。壁が見えないほどだ。天井も高過ぎて見えない。照明も窓も見当たらないが、何故か暗さは感じなかった。人の気配は…全く無かった。
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いつから、どうやってそこにいたのか?何も思い出せない。今が何時でここが何処かも分からなかった。白昼夢の最中にふと時間や季節を忘却する感覚に似ていた。あるいは起き抜けに見た時計の針が、例えば五時を指していた時に、外の赤い太陽を夕陽か朝日か判別し難い感覚にも近かった。
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朧げな目覚めから暫くして、徐々に自分が何者かを思い出し始める。それでもここに来た理由やここが何処かは思い出せない。そもそも本当に図書館なのか?何故図書館と思ったのか?書棚が並んでいるから?…彼は何か別の理由がある気がしていた。そして試みに手近な棚から本を取ろうとしてみる。
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棚の高さは少年の背の倍ほど。脚立等は見当たらないが、元より目当ての本があるわけでもない。適当に一冊を抜き取って見る……読めない。知らない文字だ。背表紙を良く見なかったので気付かなかったのだ。日本語や英語でも無いし、多少読み書きだけは出来るその他いくつかのの言語でも無い。
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現代のその他の文字、例えばキリル、ヘブライなど…読み書き出来ぬまでも、字の特徴程度は知っているモノの何れとも思われなかった。自分が知らないマイナー文字の可能性も考えたが、それにしては周囲の棚にこの文字の本が軽く数千冊以上はある。どう考えても多過ぎる。こうなると現代語ではあるまい。
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しかし古語とも考え難かった。彼は古代文字についても(殆ど読めはしないが)詳しい。ルーン、サンスクリット、甲骨、女真、線文字AB…古代文字のかなりの種類を同定できる知識を、一般教養以上の密度で持っている。だがその何れにも当て嵌まらないどころか、似てすらもいなかった。
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例えば漢字と甲骨文字の様に、同じ系統の文字や類縁関係の文字は多少なりとも似ている。実際、言語学者はそれを文字の派生・分波過程研究の一助とする。勿論、多少の例外はあるが…いくらなんでも限度というものがある!
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こんな『QRコードを2つ重ね合わせて、適当に白で抜いた』かの様なごちゃごちゃした文字など自然にあってたまるか!少年は内心憤った。強いて言えば、漢字に似て居なくもないと言えば無い。ひらがなと地図記号、程度には良く似ている。
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少年はこれは歴史上実在した文字ではない、と結論付けた。無論、彼は有史以来全ての言語や文字を知る訳ではない。現代語にすら知らないものがある。そもそも彼以前に現代人全てにとっても未知・未解読の文字は無数にある。だがそんな文字の本が、それも新品同様の状態でこれ程現存する訳が無いのだ。
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明らかに異常である。かと言って悪戯や道楽で作ったにしては量が多過ぎる。ざっと見た限りでは同じ本が一冊も無いので、それぞれ別々に数千冊が作られた筈である。そしてそれ以上に文字の特徴がおかしい。読みにく過ぎるのだ。少なくとも日常使用するには間違っても向かない。
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まず字と字の切れ目が判別し難い。アルファベットの筆記体や手書きのヘブライ文字などは、慣れぬ者には切れ目が判別し難いものだが、この文字を切り分ける難しさはその比では無い。何冊か読んでみたが、やはり字はおろか図表の意味、あげくはジャンルすら分からない。
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数時間の壮絶な死闘の末、なんとか文字の切れ目を見分けられるようにはなってきた。だがそこからが更なる地獄だった。先程QRコードを比喩に出したが、それ程一文字一文字が複雑極まりないのだ。例えば『木』を組み合わせて『森』にする要領で『龍』を六つほど組み合わせた文字を想像して頂きたい。
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画数で言えば体感的には平均百画前後。活字だから(まだ)良いようなものの、日常で使うには面倒極まりない。トールキンのアルダ言語のような創作やエスペラントのような人工言語にしても、読者や使用者に対して不親切に過ぎる。数千冊も出版出来る支持は得られまい。道楽と仮定しても意図が見えない。
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そもそも人工としても、既存の文字にまるで似ていなさすぎるのが恐ろしい。少年は更に格闘を続けた。その結果、どうにか文字の特徴らしきものが朧げに見えてきた。文字の種類はざっと数千以上。恐らくは表意文字…であって欲しい。それが屈折か活用(らしきもの)あるいはその両方に応じて変化する。
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漢字で言えば『道』の『しんにょう』を固定したまま『近』や『迫』などに変化させる要領だ。しかし元の意味が『道』であるのは恐らく変わっていない。しかも格変化や照応、呼応、時制、性、数など…(であろうもの)によっても文字の形は微妙に変化する。
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しかも一つの文字が変化すると、他の文字へ他の文字へと連鎖的に影響が派生しているらしい。照応が三往復しているらしい痕跡すら見つかった。万事がこのような始末である。出鱈目に作ったにしては良く出来過ぎているが、自然に発生したにしては余りにも使いにく過ぎるのだ!
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数千冊の中には絵や図表を伴うものもあった。既存の…人間の言語ならばこれを元に字の意味を探ることも出来る。人間の男女の絵にそれぞれ文字があれば『男』『女』の意だろうと仮定できるし、植物の絵ばかりが載っていれば植物図鑑だろうと推測できる。しかしそれが出来なかった。
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絵を描く習慣が無い文化なのか、そもそも抽象・写実問わず絵が殆ど無く、あっても意味の分からないばかり。図表も意味不明。これではどんな言語学者も太刀打ちできまい。こうなると本自体の組成分析などを試してみたいところだが、流石に不可能だ。…少年はここでようやく諦めることにした。
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少年は歩き出す。当てなどは無い。そもそもどう来たのかも分からないのだから。だが、不思議と焦りも出口を探す意欲も彼には無かった。何故だか危機感が湧かなかったのだ。だからこそ未知の言語と半日以上も呑気に格闘していられたのだった。
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書棚の幅は場所ごとに差は有れど、大半が巨大だった。端に立って、反対側の端を見ようとしても見えなかった。平均すれば百mは下るまい。一方で少年の体の横幅程度の物もいくつかは有った。道すがら何冊か本を抜き出してみたが、先程のとは違う未知の言語ばかりであった。
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流石に先程の徒労を思い出せば、もう分析を試みる気にはなれず、ひたすら歩き続けた。…………どれ程時間が経ったろうか。歩き出してから数十分か数時間か……それ以上?彼は先程の解読作業に半日かけた、と感じていたが、これは彼の体感によるものである。時計を持っていなかった。
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図書館内にも時計は見当たらない。そもそも時計を設置すべき壁が見えてこない。時計の鐘の音も聞こえなかった。そして館内は一様に明るいままなので時間が分からないのだ。しかし少なくとも最初に『目覚めて』から一日は経っている確信はあった。それだけ経っている筈なのに。
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「はぁ~っ……全…然疲れてない…」少年が呟く。数時間は歩き通しなのに疲労を感じない、そして空腹すら覚えていない。彼が恐怖や危機感を抱けない理由の一つがこれである…のだろうか?これもどうにも違う気がしていた。夢にしてはリアル過ぎ、現実にしては時間が無い。
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「ああ、そうか」彼は思い出した。あるいは思いついたのかも知れない。……(僕は、あの■に■■に来たんだった)…。
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―――更に体感で半日。何千架目の書棚だろうか?ようやく彼の知る文字の、英語の本が見つかった。もっとも途中で見忘れていた可能性もあるが。非英語話者向けの教本らしきものを見つけて手に取る。英語の読み書きができる彼が何故そんなものを取ったのか?それは直観的な不安ゆえだった。
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