橘川幸夫氏の「たったひとりのロッキング・オン」

” 長いテキスト流します。以下、タイトルは「たったひとりのロッキングオン」。1984/03/23のテキストです。単行本「メディアが何をしたか」所載"
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橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

長いテキスト流します。以下、タイトルは「たったひとりのロッキングオン」。1984/03/23のテキストです。単行本「メディアが何をしたか」所載

2012-12-30 22:18:07
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-1●昔、表現というのは、文学であれ美術であれ音楽であれ、表現する側の方に主体性があり、受け手は感動するなり尊敬するなりしてただただ「うけたまわる」ものでしかなかった。

2012-12-30 22:18:23
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-2●メディアというシステムも、そういう表現の原理を正確に精密に伝達するために開発され進歩してきた。社会そのものが、そのような完成を目指してきたのだ。

2012-12-30 22:18:35
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-3●ところが「ロック」というものの登場原理には、そうした伝統的な社会原理に対しての痛烈な批判がこめられていた。

2012-12-30 22:18:48
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-4●一方が発信し、一方が受け取るだけの、聴かされるだけの「表現」なんかじゃなくって、それは「聞く側」からの「作品表現」に対する暴動のようなものであった。

2012-12-30 22:19:35
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-5●完成されつつあるシステムをブチ壊すかのごとくのエネルギーを持って「ガキの音楽」が生まれた。コンサートは、そこにいる「ガキ」一人一人が主人公であり、

2012-12-30 22:20:12
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-6●ステージのミュージシャンは「ガキ」の代表として、そこにいることを許され、評価され、愛されていた……と思えるほど単純に、ぼくたちは「ガキの方法論」に酔うことができた時代があったのだ。

2012-12-30 22:20:30
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-7●ステージの上にいるのは「先生」でもなく「芸術家」でもなく「神様」でもなく、さっさきまで隣でコーラ飲んでた、ちょっとイカレて、カッコイイ奴、だった。

2012-12-30 22:20:54
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-8●「ビートルズ」が出てきた時の衝撃は「作品の完成度」なんかじゃなく、まさにそのような「新しい方法論」の出現に出会ったからだ。

2012-12-30 22:21:08
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-9●HELP! という声は客観的な表現ではなく、自分のシャウトと同じ地平にあった。ぼくたちは、今まで、世の中の観客席にいるしかなかった自分たちが、ステージの上に逆流していくような内的興奮を抱いた。

2012-12-30 22:22:12
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-10●作品よりも、作品に向かう情動=エネルギーが、ぼくたちには重要だった。

2012-12-30 22:22:27
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-11●60年代の後半というのは、時代全体が、逆流の興奮に湧いたんだと思う。

2012-12-30 22:22:44
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-12●「ロッキングオン」も又、ロックと同質の「ガキの雑誌」として、60年代後期に発想され、70年代に出立した。他人事(ひとごと)ではないメディア、として。

2012-12-30 22:24:16
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-13●そして、70年代の中でぼくたちは、ロックの登場原理に内包されていた矛盾を、自らの問題として受け止めていかなければならなかった。

2012-12-30 22:24:29
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-14●すなわち、最初は「主体的なオーディエンス」としてステージに乗ったわけだが、そとたびステージに上で固定されてしまうと、それはぼくたちが否定したはずの「スターシステム」のワナに、まんまと乗っかることだった。

2012-12-30 22:24:45
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-15●何人かのロック・ミュージシャンが、苦闘して、そのワナから脱出を試みて、ズタズタになったのが、70年代という透明な時代の残酷さであったのだろう。

2012-12-30 22:25:01
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-16●大きなステージでは大きなスターが生まれ、小さなステージでは、そのステージの上での大きなスターが生まれた。そして固定化された。

2012-12-30 22:25:32
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-17●まるで一枚の古びた絵のように、今のぼくには完結した風景だ。デビッド・ボウイはステージの上で見事に殺された。「ソウルイート」から「インクスティック」まで、ロックは実に分かりやすい「時代の顔」を見せてきた。

2012-12-30 22:25:53
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-18●そしてそれは、ひとつ「ロック・ビジネス」という限定された枠の中のものではなく、時代が孕んだ多様な「ベンチャー・ビジネス」たちが抱えてる問題でもある。

2012-12-30 22:26:58
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-19●時代の子どもたちの問題である。疲弊した現在のロック・シーンを、あざ笑うことは、ぼくにはできない。それはまだ過程にあり、登場原理そのものが死んだわけではないのだから。

2012-12-30 22:27:26
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-20●ぼくたちは、自分たちの「親」が、将来の自分のモデルであるとは思えなくなってところから出発した子どもたちである。ぼくたちはぼくたちの誤解を愛した。

2012-12-30 22:27:43
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-21●そして今、誤解は実現されなくてはならぬ。新しい時代を作る、ということは、ぼくたちが新しい大人になるということなのだから。

2012-12-30 22:28:13
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-22●「参加型メディア」というのは、システムの問題だけではどうにもならない。

2012-12-30 22:30:12
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-23●参加する側の主体性の問題、つまり「逆流のエネルギー」がなければ、旧来の一方通行メディアのバリエーションでしかない……という考えが、ぼくにもある。

2012-12-30 22:30:28
橘川幸夫(きつかわゆきお) @metakit

1984-24●しかし同時に、エネルギーだけでは既存の方法論に呑みこまれてしまう、というのが、70年代の、ぼくの総括だ。

2012-12-30 22:30:39