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「終戦」か「敗戦」か?

終戦記念日が過ぎましたが、「終戦記念日」ではなく「敗戦記念日」が正しい、という意見があり、かねてから気になっていたので、私自身のツイートおよびそれへの返信を中心にまとめました。 私自身は「敗戦」に違和感を感じるので、「敗戦」を批判するツイートが主になっています。この問題については多くの人々がツイートしており、「終戦 敗戦」をキーワードにして検索すれば、簡単に一覧できますので、賛否両論を知るために、ぜひ試みて下さい。 要は、「終戦」「敗戦」のどちらが正しいのかではなく、どちらの表現にも利点・欠点があり、人によってそれぞれを好む(嫌う)理由があることを理解した上で、文脈に応じて適切に使い分けることが、大切だと思います。
敗戦記念日 終戦記念日 語感 終戦 敗戦
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窪田 誠/緑の党Greens Japan @kubota_photo
今日は敗戦の日。「終戦」記念日などという 無責任な呼び方で済ましてきた日本人の意識…もういい加減に卒業しなければ!「自虐史観」などという責任逃れを言っていては いつまでたっても隣国に謝罪し続けなければならないだろう。他国の人々に真に信頼される関係を目指さなければいけない。
K_藤巻 @k_fujimaki
「終戦」という言葉は撤退→転進の言い換えと同様のごまかしであり、「敗戦」が正しい、という人が多いが、私は「終戦」派だ。「敗戦」の方こそ勝敗にこだわる軍人の発想だし、しかも自虐的だ(注:私は右翼ではない)。悲惨な戦争はもう終わりにしようという誓いを込めて、「終戦」と呼ぼう。
紅莉栖 hiro @gashapi
@k_fujimaki そうなのですか・・・ぼくは、ドフラミンゴのように勝った者が正義っと思ってもました・・・・終戦がいいのですねm( __ __ )m
K_藤巻 @k_fujimaki
@gashapi 戦勝国だって、原爆投下などを考えれば、正義とは言えないでしょう。もちろん、日本はもっと正義から遠かったですが。私は「終戦」の方が好きですが、それは個人の好みだと思います。
紅莉栖 hiro @gashapi
@k_fujimaki  あい('◇')ゞ・・・ぼくも終戦で行きますです戦争はないに越したことはないですm( __ __ )m
K_藤巻 @k_fujimaki
「終戦」という言葉に戦争責任を曖昧にしようとの悪意を私は感じないし、「敗戦」という言葉の方にこそ軍人的発想を私は感じます。フォローを外すのではなく、貴兄のご意見をお伺いできれば幸いです。QT @kubota_photo 今日は敗戦の日。「終戦」記念日などという 無責任な呼び方で…
K_藤巻 @k_fujimaki
「敗戦」記念日という言葉には、「今回は負けたが、次は勝ってやるぞ、それまでは、この無念を忘れないよう、臥薪嘗胆して自らを虐(いじ)め続けるのだ」というニュアンスを、私はどうしても感じてしまうのです。戦争に反対する人には理解して頂けると思うのですが。 @kubota_photo
K_藤巻 @k_fujimaki
敗戦責任を曖昧にするために「終戦」という言葉を意図的に使う輩に対抗するだけのために使うには、「敗戦」という言葉は、その言葉自体が持つニュアンスが悪すぎます。しかも、曖昧にすべきでない戦争責任とは、「敗れた」責任ではなく、戦争を起こし、遂行した責任です。 @kubota_photo
窪田 誠/緑の党Greens Japan @kubota_photo
@k_fujimaki 私は「終戦」という言葉に戦争責任をとろうとしない悪意、曖昧にしようとする意志を感じています。また「敗戦」という言葉にも軍人的発想や自らを虐め続けるというニュアンスは全く感じていません。そこにあるのは事実だけです。
窪田 誠/緑の党Greens Japan @kubota_photo
@k_fujimaki 「敗戦」という言い方が「敗れた」責任を問うているように感じておられるようですが、問われているのはもちろん戦争を起こした責任であり、だからこそ「敗戦」というべきです。私が同意できないのは、すでに「終戦」といわれているのに、あえて呼びかける姿勢に対してです。
K_藤巻 @k_fujimaki
「終戦」は事実です。実際、悲惨な戦争が終わったのですから。「終戦」という言葉を最初に使った人の意図はともかく、それが広く受け入れられたのは、戦争は今回限りで終わりにしようという、9条の精神でもある、平和を希求する国民の気持ちに合致したからだと思います。 @kubota_photo
K_藤巻 @k_fujimaki
「敗戦」は事実でしょうか? 確かに日本は敗戦国ですが、第2次大戦は正義の連合国への悪の枢軸国の敗北という程単純ではない。その意味で、事実の矮小化です。第1次大戦の反省に立った様々な平和・軍縮運動が世界の軍事的情勢に敗北したという意味なら、事実ですが。 @kubota_photo
K_藤巻 @k_fujimaki
「終戦」は責任逃れでしょうか? 「敗戦」と言うのを拒んだ所で責任追求を免れ得ないことは、戦争責任者自身が一番よく知っている筈だから、責任逃れの悪意とは思えません。昨日の新聞にあるようにhttp://j.mp/9XEkqi、所詮軍人の負け惜しみでしょう。 @kubota_photo
K_藤巻 @k_fujimaki
まとめますと、「終戦」は戦争の終結という事実を表し、9条の精神に沿う積極的意義を持ちます。「敗戦」は第2次対戦の意義を矮小化しており、戦争責任逃れに対する追求にもなりません。結局、「終戦」は、戦争責任を曖昧にする国民の無責任さの反映ではないと思います。 @kubota_photo
K_藤巻 @k_fujimaki
@kubota_photo 「終戦」と呼ぼう、と私があえて呼びかけたのは、ことある毎に「終戦は間違い、敗戦が正しい」と指摘されるためにうかつに「終戦」と言えない、言葉狩りに近い状況が生じつつあるように思え、「敗戦」に違和感を覚える私としては看過できない気持ちになったからです。
K_藤巻 @k_fujimaki
@kubota_photo 私が「敗戦」より「終戦」が適切と考える理由は、昨夜のツイートを含め、大体尽くしたと思います。それでも貴兄が「終戦」を嫌うなら、それは思想の自由です。ただ、異なる考えをも理解し受け入れる、寛容な姿勢を望みます。議論の機会を与えて下さったことに感謝します。
K_藤巻 @k_fujimaki
@kubota_photo 最後に本音を言えば、「敗戦」への私の違和感の根底には、首都を焼かれ原爆まで落とされた屈辱に対して「負け」を認めたくないという、ある種の愛国心があります。これは、政治家や官僚の対米従属姿勢を屈辱と思う感情と同種であり、決して不健全ではないと思っています。
み・うらくら・き @miurakuraki
確かにそういう説をネットで見かけたことがあります。終戦という言葉には戦争放棄の意味が込められているのだと。逆に敗戦という言葉には今回は敗れたが次こそは勝ってやるという意味が込められるのだという話を見かけました。 RT @k_fujimaki 「終戦」は戦争の終結という事実を表し―
tetsuya-fujimaki @shrozou
@k_fujimaki 大戦下 撤退を転進 全滅を玉砕と言葉で美化していた史実はありますが 終戦の場合はそれにはあたらないと私も思いますよ 敗戦とも終戦ともに同じ意味合いだと私は思いますね
K_藤巻 @k_fujimaki
「終戦」ではなく「敗戦」だと言う人は、なぜそんなに拘るのだろう。思うに、彼らは塗炭の苦しみを経験した戦争体験者ではないだろうか。軍というものに観念的でなく体感的な憎悪を抱く故に、軍人の負け惜しみに過ぎない「終戦」さえ許せず、あえて「敗戦」と言い続けることで復讐しようとしている。
K_藤巻 @k_fujimaki
私の「終戦」「敗戦」についての考えは、これに近い。→ http://happy.ap.teacup.com/nishin/78.html
K_藤巻 @k_fujimaki
左翼系の人は「敗戦」から「終戦」へと変化し、右翼系の人は「終戦」から「敗戦」へと変化しているという、ねじれ現象があるらしいです。 http://tl.gd/36d5bi
窪田 誠/緑の党Greens Japan @kubota_photo
8・15を「敗戦」とするか「終戦」とみるか さまざまな意見がある。庶民感覚としては「終戦」としても構わないが 戦争責任を明らかにしたくない勢力にとっては追求を逃れるための好都合な表現だ。過去を真に反省し 周辺諸国から信頼される国になるためには「敗戦」であることを素直に表すべきだ。
K_藤巻 @k_fujimaki
「敗戦」に拘る人の、旧軍部を追求する姿勢は重要ですが、彼らはそれに囚われて視野狭窄に陥ってると思います。言葉の意味の多面性に気づいて欲しい。QT @miurakuraki …終戦…には戦争放棄の意味が…敗戦…には…次こそは勝ってやるという意味が込められるのだという話を見かけました
K_藤巻 @k_fujimaki
RT @hibikilla30: 終戦記念日のことを敗戦記念日と言うべきだと言う人達がいる。そういう人達は仮に、日本が第二次世界大戦に勝利していた場合、8月15日を戦勝記念日と言うべきだと言っているに等しいのではないか。
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