武士の正月

武士の正月についてまとめました。
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@miohiromin

あけましておめでとうございます(^o^)丿今年もよろしくお願いします<(_ _)> 絵は「東都游覧年中行事」より。元日の朝、新年の挨拶に向かう大名行列たち http://t.co/m5ZtTLhH

2013-01-01 05:44:02
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@miohiromin

1569[武士の正月](始)少し早いですが、武士の正月、特に元日はどう過ごしたかについて紹介しましょう。/まず、江戸では江戸城総登城日のため、大名たちは朝から行列を仕立てて江戸城へ行き、将軍に拝謁して年始の挨拶をした。将軍の答礼は「めでとう」。「お」は敬語だから省いたわけだ。

2012-12-30 19:04:09
@miohiromin

1570[武士の正月]御城では食事など出ないので、大名たち、そしてお供の者たちはそれぞれ出発前に腹ごしらえをしておく。お昼に御城を出ると、いったん自邸に戻り、休憩。昼食(いたって質素)ののち、年始回りが始まる。今のように年賀状もメールや電話もない時代。相手の家へ行って挨拶をした。

2012-12-30 19:09:12
@miohiromin

1571[武士の正月]年始回りは、自分より身分の高い相手に対して行った。老中ともなると将軍しかいないから楽だが、下になるほど回る先が多くなる。ちなみに、大岡越前守は午後2時に役宅を出て、12人もの上役の屋敷を回って年始の挨拶をした。歩いて江戸の中をあちこち行くのだから激務だ。

2012-12-30 19:12:46
@miohiromin

1572[武士の正月]2日。この日はやっとくつろいで寝正月・・とはゆかない。庶民は気楽に遊んだりくつろいだが、武士は引き続き年始回りをしなければならない。大岡越前、2日はなんと25軒もの挨拶回り。もちろん1日がかりだ。なぜこんな事をしたか。武士は礼を重んじたからだ。

2012-12-30 19:15:47
@miohiromin

1573[武士の正月]武士の教育の項でさんざん出てきたように、武士は万事が礼。武もまた礼である。そのため、年が明けたら、挨拶の礼を尽くすのは当然だった。強制されたわけではないが、そうすることで万事うまくまとまるという和の精神、知恵でもある。礼も弁えないのは人ではない。

2012-12-30 19:18:35
@miohiromin

1574[武士の正月]また、礼に限らず社会のルールが出来上がると、それを守ろう、大切にしようという意識も働く。上から強制されたり、「望ましい国民」作りなどというものに使われてはまったく礼の意味も目的も違ってしまうが、年始の挨拶はみな必要欠くべからざるものとして大切にされた。

2012-12-30 19:22:13
@miohiromin

1575[武士の正月]でなければ、前例は守るべきもの、とされても、早くに廃れてしまうもの。1日半もかけて年始回りに奔走したことで、泰平の世が続いた理由の一つといっても良いように思う。

2012-12-30 19:24:32
@miohiromin

1576[武士の正月]もし、訪問先で主人が同じく挨拶回りで不在の場合どうするか。その時は玄関で取次役(留守居役)に挨拶をして終わり。また、主人がいても挨拶だけで、お屠蘇を頂くこともなければ料理も振る舞われなかった。そんな事をしている時間もないし、挨拶はあくまで挨拶だった。

2012-12-30 19:28:19
@miohiromin

1577[武士の正月]以上は江戸滞在中の大名および官僚たる旗本らの例だが、各藩でも同じように元日、2日は挨拶回りをした。座敷に上がり込んで一杯、というのは、当時はしなかった。武士はどこまでも質実剛健にして味気ないもの。(了)

2012-12-30 19:33:35