佐藤正美Tweet_20121216_31

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佐藤正美 @satou_masami

認識の対象と認識の作用とが一致する図式まで行かないとシステム・エンジニアの思考は完全にはならない。システム・エンジニアは、二元論的見かたから仕事を始める。写像とはそういう事である。向こう側に物性がある、物性が条件(構成条件)になるまで分析する。科学の実験・観測と同じ接近法である。

2012-12-17 00:59:30
佐藤正美 @satou_masami

私には形而上学的存在論(オントロジー)に対する生理的嫌悪感がある様だ。もし「実体」という語を認めるなら、私のモデル観は、「言語(記号)」という顕在化された観念が、それを充足する値(あるいは、行為)を持つ時、そしてその時に限り、「実体」と私は見做す。理性は、常に「形式」をもとめる。

2012-12-18 19:51:05
佐藤正美 @satou_masami

事業の構成条件と言う時、私は どんな類の形而上学的存在論(オントロジー)にも耽っていない。構成条件とは、放って置けば我々めいめいの間には秩序などないという意味を出ない。だから、工夫して拵えるのである。私はただそれだけの事をモデル論で言っているのである。

2012-12-19 00:36:12
佐藤正美 @satou_masami

モデルの論理形式には凡そ空想というものがない。事業のあるべき姿という様な問いすら私には浮かばない。そういう問いが既に空想を生むから。事業としてやりたい事があれば、それを形式化すればいいだけではないか。私はただ事業という実物を観ている。条件化できない様な事態は手続きにならない。

2012-12-20 04:03:44
佐藤正美 @satou_masami

私は事業過程の様々な姿にいちいち対比しなければ決してモデル(模型)というものを口にしない。現実的事態が、モデルを空想化させない重石の様な役をしている。事業の様々な形態に即応してモデルの様々な構造を説くしかない。「現実」は、事業にとって生理学的条件の様なものである。

2012-12-23 06:47:17
佐藤正美 @satou_masami

事業は、或る理論に依る設計でも組織でもない。環境に対する応変の判断であり、具体的な智慧である。モデル技術は、種々の概念を統一して説明する様な法則技術ではない──少しの文法を以て事業の条件を明らかにする技術である。

2012-12-23 06:47:37
佐藤正美 @satou_masami

事業の中で使われて来た言葉には、すべてその歴史の重みがある。個性的な歴史的営為が流した汗が染み込んでいる。事業は歴史を持つ、社会だけなら猿でも形成する。実に色々な事業が、実に色々な経営をし、変化したその有様を見せる──モデルは「現実」の写像であるとは、そういう意味もふくんでいる。

2012-12-25 21:29:32
佐藤正美 @satou_masami

モデルを作るシステム・エンジニアの思惑などは一切黙殺して自足している様な強い形式的構成がモデル図に現れているのを観るのは稀になった。モデルがSEの解釈や思い込みとの紛糾した拵え事になってしまっている様だ。

2012-12-26 22:57:54
佐藤正美 @satou_masami

モデルには事態の構成条件だけしか現れて来ない、静的構成しか現れて来ない──「動的な図式」というのは洒落であろう。従って、条件の相しか現れないし、形式しか現れない。モデルの美しさと云うが、我々がモデルを美しくするのではない、「現実」のほうで余計な概念を持ち込ませないだけなのである。

2012-12-30 02:13:24