西田豊明先生が語る,研究者の生き方

一方,研究というものはわかればわかるほど疑問も増えてくるので,生涯テーマに取り組めば取り組むほど遠くなっていくという感触は研究者なら誰でも持つだろう.
2013-01-06 00:30:51
よく考えてみると,生涯テーマは,生涯かかっても完成しなくてもいい,自分のものだと囲い込むこともないのだ.共有して皆で解いてもいいし,誰かと共有してその人が解いてくれてもいい.
2013-01-06 00:32:13
自分自身の生涯テーマである「知的パートナーAIを作る」について振り返ってみると,生涯テーマは,進めば進むほど遠く大きく,複雑な形状をしたものだとわかってきた.生涯テーマの答えも唯一とは限らないだろう.
2013-01-06 00:35:30
違うルートから近づこうという人に出会うと多くを学ぶことができる.目標の捉え方や,見つけたものも違うから.
2013-01-06 00:39:57
時には,目標や自分や他人が達成した成果の評価がわかれて論争になることもある.過大評価や過小評価には感情的にもなったりする.
2013-01-06 00:40:27
プロジェクトテーマが生涯テーマへの接近に直接役に立つものなら恵まれているが,そうでなく研究者としての自分を維持するための資金を稼ぐだけのものであることもある.
2013-01-06 00:41:08
人生は長いから,長くやっているうちにいつか生涯テーマに近づけるさと思うかもしれない.逆に,生涯目標のふもとにしか近づけないのだから短いのさと思うかもしれない.研究者人生で価値の評価の仕方は人それぞれ.
2013-01-06 00:44:21
ここで注意しておきたいのは一流の定義だ.既存のトップやジャーナルに採択されたり,論文賞など学術賞を取ることだけが一流だと思っている人が,研究者コミュニティ外どころか内にも多すぎるのではないか.
2013-01-06 00:45:39
そういう人たちは,オリンピックをはじめとする既成スポーツの影響力をまともに受けてスポーツメディアに浸りすぎているのではないかと思う.素朴だから発言の力も強いし,迎合する人たちも多い.
2013-01-06 00:49:16
研究者コミュニティのなかにも「競争命(いのち)」という人が多い.そういう人は大抵競争を勝ち抜いていて影響力のあるポジションにいるから始末が悪い.
2013-01-06 00:51:36
そういう人はよく自他をプロダクトに喩える.本来,研究者は人であり,組織やビジネスは目標を達成するための手段であり,競争も自他をエンカレッジしたり,サービスを受ける側のヒューリスティックにすぎないにも関わらず.
2013-01-06 00:54:02
どういうときに競争原理を利用しているのだろうか?と考えてみると,自分に選択眼がないときだということに気づく.
2013-01-06 00:56:29
ランキングをつかったり,入っている人の賑わいで見たり,自然にできたレストラン密集地をさがしたりする.それは食事機会が限られていて,選択眼を機能させるのが難しいときだ.
2013-01-06 00:58:43
住み慣れた土地ではどうか?競争原理(競争させておいて,勝者を選べば競争に見合った品質が得られるという原理)など無関係に自分が長い時間をかけて選んだ店に行く.
2013-01-06 01:00:29
集合知の原理で既存の競争原理での順位はあてになるのは確かだがそれはヒューリスティックにすぎない.
2013-01-06 01:00:49
こうやってみると,自分がコロッセオ(「闘技場」,英語的に言えばコロシアム)モデルの中に浸っていることがわかる.コロッセオを経営する人,コロッセオで闘技をする人,それを鑑賞する人,それぞれに自分のポジションを楽しめる.
2013-01-06 01:06:15
現代社会には何とコロッセオが多いことか.トップコンファレンス,トップジャーナルも,最もランクが上のリーグだと位置付けられる.多くの人がトップリーグのプレイヤーにあこがれ,そうなれるよう血のにじむ努力をする.
2013-01-06 01:08:32
なかなか自分のいる世界を外から見る機会はないし,自分がそういう世界にいることがわかっても,そこから抜け出ることは難しい.
2013-01-06 01:12:37
抜け出すチャンスがあるとしたら,このままプレイしていたら生涯テーマからどんどん遠ざかる一方だと気づいたとき,もう一つは,コロッセオのプレイヤーはルールで単純化され守られた世界で生きているので,コロッセオの外にある実問題に遭遇して歯が立たないと思ったとき.
2013-01-06 01:15:47