相模大住郡と隼人族の足跡にまつわる話

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HUNTER's LOG @hunterslog

「カセドリ」と呼んでいなくても、子供らが家々を回る「悪魔祓い」というのは西相模に多く分布している。この来訪神の祭りは遠く八重山のアカマタ・クロマタの祭りにまでたどれるものだ。民俗の中にも南洋と相模をつなぐ糸があるかもしれない。

2010-08-19 21:06:33
HUNTER's LOG @hunterslog

この「カセドリ」がなぜかひょっこり相模にあったというのだ(今はもう行われていないそうな)。相模では子供らが家々を回る。大体ハロウィンみたいなものである。『神奈川県史』では藤沢から東、横浜川崎に九例をあげていた。

2010-08-19 21:02:13
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小正月に異界から来訪神が来て、家々を回り、里人はこの来訪神に金銭やお餅をわたす。呼び名は色々で詳細も様々だが、このうち「カセドリ」と呼ばれる訪問神が九州と東北に分布している。

2010-08-19 20:58:52
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さて、昨日よりの道祖神談義から派生して、思わぬ収穫が。南九州と相模をつなぐ風習の話。神奈川の道祖神を祭る小正月の祭りに、どうも「子供が各家からお賽銭などをもらう」というモチーフがあったのだけれど、これがさらに際立った「カセドリ」があったらしい。

2010-08-19 20:50:07
HUNTER's LOG @hunterslog

いやー、「オブ」に関しては全くそんなつもりはなく引いてましたね(笑)。しかしそもそも「オオ・オウ」は埋葬の地「青」と関係する可能性もあり、誕生(オブ・ウブ)も遠くはないかも。RT @100suke この話は多氏族の飯富氏と関連してましたっけ?^^;

2010-08-18 19:11:11
HUNTER's LOG @hunterslog

.@100suke @cite_extracts に多氏とスミ・ツツに関して長々と抜書き。ちょっと興味ある、という方のために既知の点も拾っていったら長くなっちゃった。

2010-08-18 19:07:08
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スミノエという地名だけは各地に残った。それは水に潜って魚介をとらえる漁夫のいる入江であった。その漁夫は蛇(ツツ)の文様を肌に入墨し、海中に潜る(スム)ことを生業としていた。(中略)それがのちに墨江大神とあがめられる筒男之命の原初な姿であった。─同下

2010-08-18 19:02:16
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石見、壱岐、出雲では「スミに入る」「スーに入る」とか「スンコン」という。さらに遠く越前海岸の福井県丹生郡越前町や福井市鮎川ではスイコンビといっている。(中略 この語が広く)西日本一帯に使用されていることは、それを局地的な方言とするわけにゆかないことを示している。─同下

2010-08-18 19:01:59
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後年、奄美から八重山まで水に潜る動作を方言でスムと言っていることを知った。そこである時思い立ってその方言の分布を調べてみると、スムという言葉が南島から九州一円、それに山口県の西部や愛媛、高知県に及んでいることが分かった。─同下

2010-08-18 19:01:43
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私が生まれ育った熊本県水俣市はもともと浜村と呼ばれた漁村で、幼少の頃私はよく海辺で潜って遊んだ。ツバ(唇)色が紫色になるまでスンで(潜って)母に叱られた思い出がある。私どもは川や海に潜ることをスムと言った。─同下

2010-08-18 19:01:27
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筒を蛇と考え、その同音語としての雷を神とみなしたとするならば、豆酘に住吉神社が祀られていなくても一向に差支えない。これまでみたようにツツは蛇であるが、スミノエとツツは不可分に関連をもっている。では、スミノエのスミとは何か。─同下

2010-08-18 19:01:07
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こうして対馬の豆酘(つつ)もとうぜん筒之男の筒であり、蛇(=雷)を意味すると考えられるのである。(中略 豆酘には住吉神がないが、式内:都々智(つつち)神社があり)都々智は筒の霊つまり海人のシンボルである蛇霊を祀るものと解される。─同下

2010-08-18 19:00:46
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これらのことから雷神=剣神=海神=筒神という等式が成立する。一方、筒川という地名が墨江の関わりをもつということから、これらの地名に関与するものが墨江大神である筒男之命を奉斎する海人族であったことが分明するのである。─同下

2010-08-18 19:00:07
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壱岐国石田郡石田郷の条を開いてみると、「筒城(つつき)今石田村の大字なり、(中略)海(わたつみ)神社今筒城村海神山の東なる海浜に在り、いま八幡宮と云ふ……」(中略)今日でも石田郡石田町に海神社があり、その鎮座地は海神山と呼ばれている。もとは筒城宮と言ったという。─同下

2010-08-18 18:59:44
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筑前糸島郡雷山の項をみると「糸島郡の南嶺にして、山頂に雷神社あり、山下を筒原と曰ふ。雷神或は筒神と唱ふ。蓋住吉の筒男神に同じかるべし」とある。さらに「山中に此雷神の造りたりと云ふ筒城(つつき)ありて、今に考古家の一疑問たり」とのべている。─同下

2010-08-18 18:59:22
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ところでこの雷神が蛇神でもあるのは、黄泉国にいるイザナミの死体のまわりに八つの雷がいたという「古事記」の表現からも推察できる。(中略)ツツもまた円筒形であるところから、筒之男の筒は雷=蛇であることが分かる。─同下

2010-08-18 18:58:53
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(イザナギがカグツチを斬った際に生まれたのが)一書によれば雷神であり、あるいは経津主神の祖である。経津主神は剣の神である。また別の一書によれば、磐裂神、次に根裂神、次に磐筒男命と記されている。(中略)これによって磐筒男命が雷神または剣神の類縁の神であることがうかがわれる。─同下

2010-08-18 18:58:34
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安曇連の祖神である綿津見の神は海の神であるが、墨江の大神である筒之男の正体は何か。─『日本の地名』谷川健一/著 岩波新書

2010-08-18 18:58:03
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虎塚古墳の文様や意匠は、熊本県の玉名市にある永安寺古墳や大坊古墳など、菊池川流域のものと酷似する、と考古学者の大庭磐雄は述べている。このように、装飾古墳の存在するところに多氏、ひいては多氏の同族である火の君の影がちらついている。─同下

2010-08-18 18:56:34
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有明海や八代海の沿岸の筑後川、菊池川、白川、氷川、などの流域には装飾古墳が集中している。この装飾古墳が茨城県から福島県にかけての浜通りと呼ばれる地方の中田、泉崎、清戸迫などにも発見されてきたところから、その伝播者として多氏が介在するのではないか、という推測が可能になる。─同下

2010-08-18 18:56:23
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多神社の久安五年(一一四九)と書かれた「注進状」には、多神社の神主は多朝臣と肥の直となっている。このように十二世紀半ばまで、多氏と肥の直との密接な関係が実際に見られる。多神社の神主の多栄平から聞いたところでは、社家としての多氏は、もと肥の直ではなかったかということであった。─同下

2010-08-18 18:56:05
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それを裏書きするように、鹿島神宮の代々の神職をつとめている東家の文書に、大生神社は南都大生邑(多村)から移されたとあり、それにしたがえば、大和の多神社から遷座したものに相違ない。大和の多神社は、多氏の正系の太安麻呂の子孫が神主となってきた神社である。─同下

2010-08-18 18:55:45
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この大生にある大生神社は、私が訪れたとき天正八年(一五八〇)の棟札が残っているカヤブキの古風な神社であったが、大生神社の氏子たちは、鹿島神宮はここから移されたものであるとかたく信じ、元鹿島の名で大生神社を呼んでいた。─同下

2010-08-18 18:55:33
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「常陸国風土記」行方郡の条に、「ヤマトタケルの食事を煮炊きする小屋を海辺にかまえ、小舟を並べつらねて橋とし、行宮に通った。そこで大炊(おおい・大飯)の意味をとって、大生の村と名付けた」とある場所である。大飯という言葉と多氏との関係がここにあらわれている。─同下

2010-08-18 18:55:14
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千葉県君津郡袖ヶ浦町の飯富がある。そこに神八井耳命を祀る式内社飫富神社(現在飽富神社)がある。また茨城県行方郡潮来町の大生原はさきに述べたように建借間命の軍勢が杵島曲をうたって賊をおびき出し、みな殺しにしたところの近くである。─同下

2010-08-18 18:54:49
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