義朝様と坂東の荘園

こんばんわ。 胤義様からまとめを丸投げされている、郎党の藤四郎です。 大河ドラマ「平清盛」12話「宿命の再会」 続きを読む
9

大河ドラマ47話(義澄様初登場回)での解説

12月2日の放送時、三浦義澄様がアカジャックしてました。

三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

えー、改めて、初めまして。三浦平九郎胤義の父、三浦荒次郎義澄です。今日、パパの初登場回なのに平九郎が鎌倉デート行っちゃって、時間に間に合わないとのことで、代理に出てきました。せっかくだから、よーし、パパ、解説しちゃうぞー!

2012-12-02 20:56:41
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

……っていっても、もしかしたらこれって大庭御厨から解説しないとダメじゃん?

2012-12-02 20:59:13
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

えーと、おじさんが、まだいたいけな少年の頃の話。大庭御厨は義朝様が坂東にいた頃なんだけどね……大河でも親父(三浦義明)がチラっと言ってたけど……当時の東国は縄張り争いがそりゃもう、凄かったんだ。

2012-12-02 21:06:06

三浦大介義明初登場は9話!

平資盛殿のまとめ↓

郎党を従えて、義朝様と政清殿の前に跪いたシーンは我が三浦党が鬨を上げてリアルに荒ぶったものです。

「怪しい者ではござりませぬ。私は相模の三浦義明と申す者」

ちなみにこの頃の三浦介は大介義明様の父である義継様でした。

「近頃隣の荘園の者どもが、我らの土地を荒らし、手を焼いております。
 義朝様のお力をお借りできますれば、これほど心強き事はござりませぬ」

義朝様
「その連中を退治した暁には?」

義明様
「三浦の一族をあげて、あなた様に仕えます!!」

これは後に頼朝様が行う「御恩と奉公」の原型のようなものです。

三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

東国と都はだいぶ価値観の違いがあってねぇ……東国では領地がとても重要なんだ。だから、ボスは部下の領地を保証する。そして部下はボスの為に命を張ると。ざっくり言えばそんな感じの価値観があったんだ。

2012-12-02 21:13:12
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

んで、三浦も縄張り争いの真っ最中でねぇ。東に長狭、西に大庭と周りに敵がいっぱいいたんだ。そんな殺伐とした東国に八幡太郎義家様の血を引く義朝様が颯爽と現れたわけだよ。血筋からしてボスとして申し分なし!! 

2012-12-02 21:18:53
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

と言う事で、当時の三浦介である、おじさんの祖父さんの義継が義朝様を迎え入れたんだ。ちなみに義継の義の字はに八幡太郎義家様から頂いたんだよ。だから三浦としては大歓迎だったんだ。そして義朝様と一緒に周辺の豪族の縄張りにカチコミ……じゃなかった、攻撃をしかけに行ったんだ。

2012-12-02 21:27:17
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

そして東国の重要な価値観に、「姻戚・血縁関係」がある。ボスと親戚になっちゃえば、より絆が強まるからね。おじさんのお姉さんも義朝様のお嫁になったよ。大河ではナレーションで済まされちゃったけど……みんなの心の目ではしっかり見えたはず! 三浦の海をバックに仁王立ちする三浦姫が!

2012-12-02 21:38:04
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

(ちなみにキャスティングは、本人は頑なに黒木メイサって言ってる……おじさん、姉さんには強く出られないんだ……)

2012-12-02 21:41:09
源 義朝 @yoshitomo_kzs

まあなんだ…雰囲気的には遠からず…されど近からz(ry RT @bot_miura9: (ちなみにキャスティングは、本人は頑なに黒木メイサって言ってる……おじさん、姉さんには強く出られないんだ……)

2012-12-02 21:42:59
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

オレも、よくもまぁ完全否定できない所を突いたもんだと思いました RT @yoshitomo_kzs まあなんだ…雰囲気的には遠からず…されど近からz(ry RT bot_miura9: (ちなみにキャスティングは、本人は頑なに黒木メイサって言ってる

2012-12-02 21:53:44

(自称)黒木メイサな三浦姫を心の目で見られるのは、第11話!

その時の平資盛殿の纏めです。↓

源義平殿のご生母は、二通りの説がございます。
ひとつは三浦大介義明の娘。もう一つが橋本の遊女です。

当時、東国の武士にとって遊女を妻とする事は、さほど奇抜な事ではありませんでした。

和田義盛殿の生母も遊女と言われていますし、単に遊女という言葉の感覚の違いもあります。
宿場町の長の娘や妻も「遊女」と呼ばれていましたから。

そして前述の「ボスと部下」の関係もあり、
宿場町の長は縄張りを確保するために、領主に妻や娘を差し出す事もありました。

まして母系婚が普通だった時代。
三浦義明の娘=遊女でも、もしかしたら……問題ないのかも?

三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

そんなこんなで、おじさんの姉さんとの間に源太義平殿。波多野義通殿の妹さんとの間に朝長殿が生まれて……その翌年に、大庭御厨の事件が起きる。まぁ事件の原因自体はとても単純。大庭御厨ってのがちょうど縄張りの境目にあったんだ。

2012-12-02 21:50:28
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

えーと、まず御厨ってのは、大雑把に言えば神様用の土地と云う意味だ。んで縄張りってのは川や山で明確に境目があればいいけど、陸続きだとそうもいかないもんで……。こう曖昧なラインをお互い空気読みながら保ってたんだよ。そんな場所に、大庭氏が御厨を作ってしまったから、さぁ大変。

2012-12-02 22:00:49

大庭御厨ができたのは、後三年役から約20年後。
大庭御厨濫行事件の約40年前。

後三年役の英雄、鎌倉景政が開発しはじめました。
梶原景時殿や、大庭景親殿の先祖であります。

大庭御厨は「寄進地系荘園」と呼ばれるもので、
開発者が国司からの課税を逃れる為に寺社に寄進して成立した荘園です。
寺社の荘園は国司から課税免除の特権が与えられるからです。

……つまり法の網をくぐり抜けた法人といった感じですね。

鎌倉景政は1116年頃、大庭御厨を伊勢神宮に寄進しました。

当然、面白くないのは大庭に対して課税できない国司です。
しかも公領と荘園の境目にあったのですから。

現に国司から特権の取り消しが三回もされていました。
1118年、1131年、1132年に特権の「再付与」がされている事でそれが伺えます。

また国司が交代する度に、御厨に対しての攻撃がされていました。

三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

こっちからしたら、宣戦布告に等しいわけ。義朝様に頼んで相模国の役人に協力してもらって、警告出したけどあっちもあっちで中々引かないから……とうとうカチコミ決める事にしたわけだ。おじさんはまだ、いたいけな少年だったから参加できなかったけど……。その時の様子は親父から聞かされたな~。

2012-12-02 22:06:51

まず源義朝様は相模国衙田所目代(今で言えば県の税務署長みたいなものと考えてください)源頼清を味方につけました。

ちなみに頼清殿は清和源氏で、かの源頼光の甥にあたります。

「大庭御厨の中にある、高座郡鵠沼郷は鎌倉郡に属する公領だ」と主張をしました。

公領というのは、荘園が私有地ならば、「国の土地」といった意味です。

いわゆる……

マル査が入りましたァーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

こっちとしては警告してるし、あそこが縄張りの微妙なラインだってあっちだって重々承知だったはずだろ……? そんな所に……まさか非戦闘員ばかりとか……思うわけないじゃん? ……ニィ……

2012-12-02 22:10:53
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

おっと、おじさん、悪い顔してた? いけないいけない♪

2012-12-02 22:14:51

天養記より抜粋。

義朝郎従清大夫安行並びに字新籐太及び廰官等、去年九月上旬の比、旁々濫行を致し、伊介神社の祝荒木田彦松の頭を打ち破り、死門に及ばしむ。
訪行の神人八人の身を打ち損い、供祭料魚を踏み穢し、郷内の大豆、小豆等を苅り取る所なり。

十月二十一日、田所目代散位源朝臣頼清並びに在廰官人及び字上総曹司源義朝名代清大夫安行、三浦庄司平吉次、男同吉明、中村庄司同宗平、和田太郎助弘、所従千餘騎、御厨内に押し入り、是非を論ぜず停廃せしむ所なり。

同二十二日卯の時より始めて、在廰官人等郷々に押し入り、傍示を抜き取りをはんぬ。また御厨の作田玖拾伍町の頴肆萬七千七百伍拾束を苅る。下司家中の私財雑物悉く以て押し取り、神人紀恒貞、志摩則貞、国元、末永、重国、兼次等を簀に巻き死門に及ばしむ。或いは凌轢せらるる所なり。

大雑把現代語訳

義朝の郎党、清原安行と字新藤太、および役人たちが天養元年(1144年)九月上旬から、あっちこちで乱暴を行い、鵠沼の伊介神社の見張り、荒木田彦松の頭を打ち破り殺害しました。
また、そこに訪れていた下級神主八人に大怪我をさせ、お供えの魚を踏んで穢し、郷内の大豆小豆を勝手に刈り取って行ってしまいました。

10月21日、源頼清ならびに役人、そして上総御曹司源義朝の名代清原安行、三浦庄司平義継、その息子同義明、中村庄司同宗平、和田太郎助弘、所従千騎あまりが御厨内に押し入り、もう言っても聞かずに、めっちゃくちゃにしてしまいました。

翌22日卯の刻から、役人たちが郷々に押し入り、傍示(国境の立札)を抜き取っていきました。
そして御厨のせっかく実った稲を刈り取ってしまい、家中の財産を全部盗んで、下級神主紀恒貞、志摩則貞、国元、末永、重国、兼次たちを簀巻きにして殺害したり踏みにじったりしました。


天養記とは、この事件に対する大庭氏及び伊勢神宮からの告訴文です。

私も三浦の郎党ですので敢えて言っちゃいますけど……。
これ向こう側の言い分しか書かれてませんからー☆

コレを鵜呑みにして義朝様側だけを悪く言うのはナンセンスだと思いません? σ(゚ー^*)

では、周りを取り巻いていた状況を整理してみましょうか。

大庭御厨周辺の状況

まず「中村荘司宗平」について。

中村荘は大庭御厨の西にある荘園。
中村氏は桓武平氏良文流である平宗平が、現小田原にある中村荘の荘官(荘園の派遣管理人)になった事で起こった氏族です。
土肥実平殿、遠平殿、土屋宗遠殿の父上であります。

そして、中村宗平殿の父上は、大庭御厨を作った鎌倉政景に討たれております。
(宗平殿の父上以前については、例によって諸説ありますが……)

宗平殿の姉は三浦義継様に嫁いでおりました。
ちなみに大庭御厨の北の波多野には義継様の娘が嫁いでおります。

つまり、大庭御厨をぐるりと囲む強い「姻戚関係」の包囲網が大庭御厨の事件の頃には既に出来上がっていたのであります。

周辺の豪族が何十年もかけて作った「血縁の包囲網」
そこに「大いなる血筋の総ボス」たる義朝様がやって来た……。

ちなみに中村宗平殿の姉の一人は義朝様の乳母、「摩々局」です。
そして義朝様と義明様の娘の間に源太義平様、
波多野では義朝様と波多野義通殿の妹君との間に朝長様が生まれました。

大庭御厨の事件は、朝長様がお生まれになった翌年の事でございました……。

三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

ま、そんな事があって、大庭氏は御厨の事件を伊勢神宮に訴えたんだ。伊勢神宮は神様的な事の総本山だからね。で、伊勢神宮は処罰を相模国司に要求したんだ。でも……処罰はされなかったんだ。これで大庭氏には義朝様や三浦に因縁ができたわけだ。

2012-12-02 22:22:19