体罰のあとに残るもの

はっきりいって何もないとぼくは思います。体罰の容認はいじめにもつながっているのじゃないでしょうか?
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内田樹 @levinassien

殴る先生には共通点がありました。抑制が効かなくなっているということです。ふだん穏やかな先生が何か別のことで烈しくいらついていて、廊下ですれ違った生徒のちょっとした笑い声を咎めていきなり張り倒すというようなこともありました。抑制を失った人間は醜いということをそのとき知りました。

2013-01-10 10:07:52
内田樹 @levinassien

それとは別に「挨拶代わりに殴る」というような先生もいました。彼らの多くは復員兵でした。下士官だった教師はとくに殴るのが上手でした。片頬だけ笑いながら、鮮やかなビンタを決めました。不思議なもので、この「鮮やかなビンタ」は演劇的であるせいで、痛みはそれほどでもありませんでした。

2013-01-10 10:11:31
内田樹 @levinassien

「体罰」だけが批判されていて、中等教育のクラブ活動における顧問のすさまじい「罵倒」については特に問題にされませんが、僕はこれは同根のものだと思います。生徒に向かって「おまえら」と呼ぶ教師に出会うと、いまでも僕はつよい違和感を覚えます。

2013-01-10 10:18:42
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

教育とは矯正ではなく、自発性を育むことではないか

2013-01-10 10:32:13
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

部活動指導の現場に置ける暴力が問題になっている。僕は人生でそういう指導を受けた事が無いけれど、現代でも確かにあって、種目や地域によって随分ずれがあると思う。個人競技よりチーム競技、一般大学より高校中学の方が多いように感じる。

2013-01-10 11:03:59
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

根本は人間は本来努力をしないもので懲罰によって促し、結果を出せばその内に努力の重要さに気付くという世界観。ある意味でその面はあるのだけれど、それは逃げ道と他の道を用意している時にだけ成り立って、逃げ道と横移動を封じれば強烈な重圧を子供に与える。

2013-01-10 11:14:57
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

部活動とクラブチームと比べ、圧倒的に部活に暴力が多いのは、生徒に辞める選択肢が無いから。クラブは市場にあって、嫌ならもっとあう所に行けば良い。部活は学校に付属していて、学校を辞めないと違う部活にいけない。ここが嫌ならこのスポーツを諦めろと迫っている。

2013-01-10 11:19:37
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

モチベーションは無尽蔵に湧いてくると考えるのが日本的根性論。でも現実は外から無理矢理懲罰で人を動かせば、いずれ人は燃え尽きる。自分から努力したがる人の成長は止まらない。外からの強制で努力する人は大事なものを磨り減らしている。忍耐は自ら耐えた時に意味がある。

2013-01-10 11:25:43
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

スポーツが仕事になる人は全体の0.1%もいない。部活動は稀にいる天才の為だけにあるんじゃない。多くの人はいずれスポーツを諦める。その時に何が遺っているか、スポーツから何を学んでいるか。何もかも外からの圧力でやらされた後に残るものは少ない。

2013-01-10 11:30:20
爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan

【終わり】日本人が辞め下手なのは、教育の過程で辞める事を許さず、他への転向を難しくしている事が関係していると思う。そして撤退、転向を許していない場所で一元的な考えで追い込む事を僕はとても暴力的だと感じている。

2013-01-10 11:37:59