不完全性定理①

数学基礎論に終止符をうつことになった不完全性定理とはなにかをまとめたものです。
数学基礎論 不完全性定理 数学論 ヒルベルト 数学 ゲーデル 知的テロ
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アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
クルト・ゲーデルの不完全性定理論文には二つの主定理がある。論文中において「定理Ⅵ」「定理ⅩⅠ」と呼ばれるそれは、現在では「第1不完全性定理」「第2不完全性定理」と呼ばれている。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
1.数学の形式系、つまり、形式系と呼ばれる論理学の人工言語で記述された「数学」は、その表現力が十分豊かならば、完全かつ無矛盾であることはない(定理Ⅵ=第1不完全性定理)。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
2.数学の形式系の表現力が十分豊かならば、その形式系が無矛盾であるという事実は、(その事実が本当である限り)その形式系自身の中では証明できない(定理ⅩⅠ=第2不完全性定理)。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
これら2つの不完全性定理の持つ意味を「解釈する」と以下のようになる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
1’.数学は矛盾しているか不完全であるか、どちらかである。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
2’.数学の正しさを「確実な方法」で保証することは不可能であり、それが正しいと信じるしかない。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
1→1’の主張は、数学が内部矛盾していないならば、数学には解答のない問題があるといっている。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
2→2’の主張は、数学が絶対的に確かな知識だと保証する術はないといっている。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
これらの主張は「数学が絶対的に確かな知識である」とか「数学の問題に必ず解答がある」ということの無謬性を剥ぎ取るものである。つまり、「数学の絶対的な基礎付けは不可能だ」と解釈できるわけである。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
したがって、これを「数学基礎論」の歴史的文脈におくと、ゲーデルの定理が「数学基礎論」に一応の終止符を打っている形になっている。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
不完全性定理の解釈としては、それが人類の知の限界を示すものであると見るのが一般的であるが、ゲーデル自身はそういう解釈を退けている。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
2の無矛盾性証明の不可能性についても、不可能と考えるのが一般的であるが、最終的にその結論に至ったとはいえ、ゲーデルは一時期、性急にそう捉えようとする人々をたしなめていた。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
ゲーデルによって証明された、定理Ⅵと定理ⅩⅠの二つの不完全性定理(前述した1と2)は、「形式系」という言葉を使っているが故に厳密な数学の定理であり、〈数学的不完全性定理〉と呼ぶことができる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
これに対して、その「意味」である1’と2’は、「解釈された不完全性定理」であり、数学の定理ではない。1と2の「数学の形式系」が、1’と2’では「数学」に置き換えられている。「数学の形式系」ではなく、「数学」について語っているのである。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
「数学の形式系」ではなく、「数学」自体が完全であるか、と問うためには、まず「数学とはなんぞ?」ということを問わなくてはならない。それは数学についての議論、すなわち「数学論」である。したがって1’と2’は〈数学論的不完全性定理〉と呼ぶべきものである。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
要するに、不完全性定理といった場合、この〈数学的不完全性定理〉〈数学論的不完全性定理〉の2種類があるということになる。この2種類が同じものだというためには「数学=数学の形式系」という条件が必須となる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
不完全性定理の標準的解釈では「数学=数学の形式系」という条件を仮定する。最初に説明した1’と2’の解釈でもそうである。これを〈ヒルベルトのテーゼ〉と呼ぶ。これは数学に対する意見の主張であり、一種の数学観である。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
ヒルベルトのテーゼ:現実の「数学論」は、数理論理学の概念である形式系により、忠実に再現されるので、「数学論」について語るには、「形式系」について語れば充分である。つまり、「形式系」という言葉で「数学論」という言葉を置き換えてもよい。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
〈数学的不完全性定理〉から〈数学論的不完全性定理〉を導くには、〈ヒルベルトのテーゼ〉のような、「数学」や「数学の形式系」についての何らかの数学観を持つことが必要となる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
〈ヒルベルトのテーゼ〉のような数学観は、経験に基づいてその正しさを論じることはできるが、それを数学的に実証することはできないし、科学的に実証するというのも難しく、自然科学的に実証するというのはまず無理である。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
そうであるが故に、多くの対立する意見が可能なのであり、その検証は人文・社会科学的な議論によってのみ可能であるといえる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
多くの解釈者は、ヒルベルトのテーゼを暗黙裡に仮定して、〈数学的不完全性定理〉のことを人間の知の限界を示す定理と結論付けようするが、ゲーデル本人は、人間の知には標準的解説で喧伝されるような意味での限界などないという立場をとっている。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
ゲーデルは〈数学的不完全性定理〉それ自体が、ヒルベルトのテーゼが単純な意味では成り立たないことを示している根拠だと理解していた。彼はプラトニズム的数学論を演繹展開していたことで知られており、その数学観を要約すると以下のようになる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
「数学的存在は、人間とは独立に存在し、人間にはそれを知る能力があり、そのイデア的数学の世界は完全である」
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
このような考え方を持っているゲーデル本人は、数学が不完全であるという結論を受け入れられない見地から、〈背理法〉により「数学=数学の形式系」というヒルベルトのテーゼ否定するほうを選択した。
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コメント

アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon 2010年2月2日
ゲーデルの不完全性定理についてを更新しました。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon 2010年2月20日
「不完全性定理について」を更新しました。
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