体罰の起源

体罰は日本の教育的伝統のように語られることもあるが、それは本当だろうか。歴史を紐解くと、体罰の歴史はかなり浅いらしい。
126
shinshinohara @ShinShinohara

大阪市立の桜宮高校で、教員の体罰が原因でキャプテンを勤めていた高校生が自殺したという。・・・日本では「体罰」が教育方法の一つとして根強く残っているが、奇妙なことに、「体罰」が教育方法として採用された歴史はごく浅い。それを振り返ってみたい。

2013-01-12 07:51:32
shinshinohara @ShinShinohara

幕末の薩摩藩藩士、桐野利秋は貧しく低い家柄の子弟だったが武勇を見込まれ、同情に通うことが出来た。面白くないのは上級藩士。桐野の帰り道を待ち伏せし、数人で川に放り込むという意地悪を何度も繰り返した。だが、「鉄拳制裁」のようなことはなかったようである。

2013-01-12 07:55:54
shinshinohara @ShinShinohara

江戸時代のものを読んでも、「体罰」らしい証拠は見られない。親が腹を立てて手を挙げる、というのはあるにしても、どちらかというと「無体(むたい)な(かわいそうに)」という印象のようで、教育効果があると思われていた節はない。明治維新以前に「教育的体罰」という考え方はなかったようだ。

2013-01-12 07:59:13
shinshinohara @ShinShinohara

明治以降になると女学校などで、女性教員が女学生に対し正座などの姿勢をただすよう、細い棒で軽くたたく「しつけ」が行われている。しかしいわゆる「体罰」のような激しいことが行われた形跡はない。

2013-01-12 08:02:28
shinshinohara @ShinShinohara

夏目漱石などの明治・大正期の作品を見ても、教育的体罰にあたるような記述は見られない。どうも、大正時代以前に、教育的理由で行われる体罰があった形跡はない。では、いつごろから「教育的」体罰なるものが始まったのか。どうやら、軍国主義の台頭がきっかけであるらしい。

2013-01-12 08:08:42
shinshinohara @ShinShinohara

昭和期の作品をみる、「お国のため」という気持ちで高揚して自ら軍に志願した田舎の少年が「ビンタ」が横行する軍隊の日常に非常に衝撃を受けるシーンがたくさんある。たとえば城山三郎の「大義の末」や中沢啓二の「はだしのゲン」にもそうしたシーンがある。軍隊でビンタを初体験した人は多いようだ。

2013-01-12 08:16:01
shinshinohara @ShinShinohara

学校でビンタなどの「教育的体罰」が「普及」したのは、小学校が国民学校となり、軍人が教育現場に配置され、竹やり訓練などが日常になり始めた頃と重なるようだ。この頃は「日本国民として恥ずかしくないのか」という鉄拳制裁や教育的体罰がごくふつうもののとして現れた。

2013-01-12 08:18:27
shinshinohara @ShinShinohara

軍国主義が強かった時代に、学校現場での「教育的体罰」が根付いたらしい。「体罰は教育的方法として必要だ」という観念もこのとき根付いたようだが、きっかけが軍国主義だということは忘却され、戦後の日本でも体罰は一定の教育効果があると支持されるようになり、今日まで続いている。

2013-01-12 08:21:46
shinshinohara @ShinShinohara

アメリカはバスケットボールやアメフト、大リーグなど、世界トップクラスのスポーツがあるが、「教育的体罰」は皆無といってよいだろう。体罰がなくても世界レベルの指導が可能であることを、「銃」という、究極の暴力手段を許容している国が証明している。なのになぜ、日本では体罰が必要なのだろう?

2013-01-12 08:24:26
shinshinohara @ShinShinohara

イヌイットの人達は、子どもが不用意に火に近づかないよう、わざと手の甲をストーブに軽く押し付けてやけどの経験をさせるという。体罰に似ているが、日本のスポーツ界で見られるようなビンタなどの体罰とは性質が異なるように思う。何度もストーブに押し付けるようなことはないのだから。

2013-01-12 08:26:27
shinshinohara @ShinShinohara

日本において「教育的体罰」が根付く原因となったのは、戦前の軍隊経験がきっかけだということはどうやら間違いないらしい。当時の日本では、成人男性はみな兵役につかなければならなかった。軍隊でビンタを受けた人達が、その効果を信じて民間でも「教育的体罰」を広げたもののように思える。

2013-01-12 08:29:07
shinshinohara @ShinShinohara

よく分からないのは、「では日本の軍隊に鉄拳制裁などの「体罰」が始まったのはいつなのか」ということだ。西郷隆盛率いる私学校率いる武士軍団に明治政府軍が立ち向かった西南戦争では、「鉄拳制裁」が行われた形跡はない。それは武士軍団である方にも言える。体罰は軍の中にも存在しなかったようだ。

2013-01-12 08:32:03
shinshinohara @ShinShinohara

明治政府が組織した、一般国民からなる軍隊は、しばらくの間、軟弱で閉口したらしい。明治の官僚組織を作り上げたといわれる山県有朋は、日本の兵士が敵を前にして逃げてしまうことを嘆いている。この頃までは、軍隊の中にさえ、「教育的体罰」は存在しなかったようだ。

2013-01-12 08:34:39
shinshinohara @ShinShinohara

状況の変化は日露戦争後に起きてきたようだ。日露戦争にいたっても、兵士が前線で逃散する事例が後を絶たなかったらしく、軍隊の統率に苦慮した上層部は、軍規の締め付けを厳しくしていく。この頃から次第に、なぜか鉄拳制裁や教育的体罰が、目に付くようになるようだ。

2013-01-12 08:39:49
shinshinohara @ShinShinohara

有名なのは戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」だが、それ以前から、逃げることを許さない訓告が繰り返しなされているようだ。「大和魂」を注入するとして、鉄拳制裁やビンタなど、教育的体罰が普及し、恐怖政治的に軍を統率する時代が続いた。これが日本に体罰が根付くきっかけとなったようだ。

2013-01-12 08:43:39
shinshinohara @ShinShinohara

体罰がごく普通であった軍隊においても、体罰が導入された歴史はそう長くないようだ。しかし全国民が戦争一色で染め上げられた強烈な経験をした日本人は、体罰をも自らの習慣として取り入れてしまった。体罰が少なくなった今でも、軍隊に通じるところがあるスポーツ界では残っているところがある。

2013-01-12 08:46:18
shinshinohara @ShinShinohara

では、軍国主義がはびこる前の日本で体罰が行われていなかったのはなぜなのか?武士社会では、体罰のような侮辱を受けることは命を懸けて刀を抜き、恥辱を晴らす必要もあった。百姓や商人は、体罰のような激しいことを行う必要はなかった。必要なかったから体罰はなかったようだ。

2013-01-12 08:49:11
shinshinohara @ShinShinohara

「体罰は日本の教育的伝統」と考えるのは、どうやら間違いであるらしい。軍国主義に全国民が染め上げられた一時期に広がった、一時的現象だったと考えたほうが正確なようである。体罰の是非は別として、歴史的事実をまずは把握しておくことは大切だろう。

2013-01-12 08:50:49