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江戸時代 書籍の文化と文字環境

江戸時代 書籍の文化と文字環境についてまとめました。
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@miohiromin
1732[書籍の文化と文字環境](始)続いては表題のテーマについて紹介する。これを見ただけでは意味が分からない方もおられると思うが、要するに江戸時代の読み書き全般に関すること。なお、この項目はリアルで知り合いのIさんから公刊された論文の玉稿を頂いたので、それをベースにさせて頂く。
@miohiromin
1733[書籍の文化と文字環境]本がどのような姿に作られているかは、近世以前と近代以降で大きく異なる。近世のそれは多くが糸や紙縒りで綴じられ、平積みに置かれる。その様子は江戸時代の本屋の図版を探せば知れよう。
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1734[書籍の文化と文字環境]一方、近代の場合は活字で印刷され、背表紙に書名を持ち、立ち上がって背文字を見せて本棚に並んでいる。本が立ち上がるだけで書斎の風景は随分と違ったものになることは、誰でも容易に想像できよう。
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1735[書籍の文化と文字環境]しかし、本が寝ているか立っているかばかりが近世と近代の違いではない。近世と近代の書物の特色として最も大きな差異は、その文字にあると考えられる。その差異は文字がどのように書かれているかの筆記方法の違いが元となっている。
@miohiromin
1736[書籍の文化と文字環境]近世書籍の場合、毛筆で書かれており、印刷の場合でも書物は木版で摺られているが、版下は手書きであり、それは必ず毛筆筆記という文字環境の中で行われたものである。近代活字本は木版刷りには拠らないものである。ここで言う近代書籍とは活字本を指す。
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1737[書籍の文化と文字環境]現代も普通に活字本と呼んで、一見して本の姿は同様だが、近代の鋳造活字を組んで印刷したものか、現代の活字フォントの電子データ化されている文字がプリントされたものかの差はある。
@miohiromin
1738[書籍の文化と文字環境]いずれも手書き由来の文字ではないことは確かであり、それを敢えて検証するまでもなかろう。現代人が「本」として脳裏に描くイメージの書籍の姿のほとんどがそれなのだろう。この本の紙面上の文字に見る差異は何を意味するのかを少し考えたい。
@miohiromin
1739[書籍の文化と文字環境]【文字環境の時代差】近代或いは現代においては本の内容は「毛筆で書かれていようが、それが活字であろうが、書いてある内容が同じであれば、それは同じである」と考えている。これは我々が体験的にそう知っていることでもあろう。自身の事として考えれば理解は容易。
@miohiromin
1740[書籍の文化と文字環境]顕著な例は、手で書かれている近世以前の原本(古典と呼ばれるような作品を思い浮かべていただければよいだろう)を活字に翻刻したもので読む。それで読んだ事になっている。
@miohiromin
1741[書籍の文化と文字環境]古典であっても現代作家の作品でも本を読むとは活字本を読むものと考えている(最近では液晶画面の活字データを読む場合も増えているが…)。さらに細かく文章を構成する一文字ずつまで分解して考えれば、同じ文字はいくつあっても当然同じ姿である。
@miohiromin
1742[書籍の文化と文字環境]そんな文字世界に住んでいるのが我々であるといえるだろう。実際にこの原稿をワープロソフトでキーボードを叩きながら作っているが、同じ文字のキーを叩けば同じ姿の文字データが液晶画面に出て来る。姿は寸分も変わらない文字世界である。
@miohiromin
1743[書籍の文化と文字環境]我々が文字を覚える際に使われた教科書を思い出してみよう。それは教科書体で印刷された、同じ教科書を使っていた筈。大量に印刷された教科書には違いなどは無く、同時に配られたそれは全く同じで、だから自分の持ち物に名前を書くように指導を受けたものと思われる。
@miohiromin
1744[書籍の文化と文字環境]国の検定を通り、役所によって規格された同じ教育内容、同じ事柄を原則教授される。その中で覚える仮名も漢字も同じ文字なら同じ姿なのである。そんな文字環境の中で育った現代人であるから、読書とはそこに印刷されている同じ姿の文字を読む事であり、
@miohiromin
1745[書籍の文化と文字環境]同じ文字なら同じものである事が常識となっている。そんな文字環境に育った住人として、共通の文字環境世界に我々は生きている。
@miohiromin
1746[書籍の文化と文字環境]しかし近世の文字環境は前述した我々の文字経験や認識とは全く別世界であったはずだ。つまり、規格化された同じ文字で文字を覚える機会はなく。同じ文字でも、それが並べば書き手が違うために、同じ姿の文字では無いという事。
@miohiromin
1747[書籍の文化と文字環境]そんな世界にいた江戸時代人たちとは文字環境が全く異なることをあらかじめ確認する必要があろう。近代より前、近世以前の文字環境がどのような世界であったかの理解は、近世以前の事柄を扱う全ての研究に関わる者に必要な事で、
@miohiromin
1748[書籍の文化と文字環境]資料として当時作られた文献を扱う上で必要だろう。筆記環境の差異から時代差を感じつつ近世を見る視点を持つ必要があると考えている。
@miohiromin
1749[書籍の文化と文字環境]近世と近代を分かつ文字環境上の条件とは、筆記環境を基準に考えた時、日本人が千年以上日用の筆記具として親しんで使ってきた毛筆を放擲し、それを硬筆に持ち替え、さらに本の文字も毛筆由来の文字から活字へと変化した、その時が日本人の近代化のなった時と考える。
@miohiromin
1750[書籍の文化と文字環境]「文字環境の変革が日本人の近代化であった」とするならば、近世以前の人達と近代以降の我々とは別な文字環境の住人なのである。そこには大きな文字にまつわる価値観の断絶があると考えられそうである。
@miohiromin
1751[書籍の文化と文字環境]日本の近世人、つまり江戸時代人は何によって文字を覚えたのか。藩に属す武士の子弟なら藩校に通って、或いは家庭で学んだものもあるだろう。町村には寺子屋があったかもしれない。或いは郷学とよばれる施設に通う例もあったろう。
@miohiromin
1752[書籍の文化と文字環境]いずれにせよ国家規模で役所が全国共通に統轄する施設では無い。そこで使う教科書も一般に「往来物」と分類される一群の和様書の手本が用いられることがあったろう。
@miohiromin
1753[書籍の文化と文字環境]その種類は今日まで伝存し、目撃されるものも多種多様で、内容も統一されず、用途や趣向に合わせて色々で、書風や流派も様々である。手書きの手本があり、木版印刷の手本もあった。もちろん和様のみならず唐様書道も流行した江戸時代である。
@miohiromin
1754[書籍の文化と文字環境]唐様の書道手本も大量に出回ったのが江戸時代の書道史上の特色でもある。漢字を千字習うには便利な『千字文』も篆書、隷書、草書、章草、楷書、行書と各字様があり、書き手が違えば同じ字姿はしていないのが近世の文字環境である。
@miohiromin
1755[書籍の文化と文字環境]そんな世界であるから多くの字書が編纂される。一つの文字に何種類もの字姿が収録される。同じ書体の中でも異体字があり、仮名も字母が違えば別な姿になる。江戸時代は誰も同じ文字なら姿が同じという文字環境で文字を覚えていない時代なのである。
@miohiromin
1756[書籍の文化と文字環境]極端な物言いをすれば「一つとして同じ姿のない文字環境」であったと言える。江戸時代人はキーボードを叩けば同じ姿の文字がいくらでも並べられるような環境は想像することすら出来なかったはずである。
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