
【手塚夏子】稽古進んでおります。こちらもこの後、そして本番でどのようなものになるのか、ワクワクしながら稽古を見つめております。
2013-01-10 19:39:16
もうすぐ手塚夏子『私的解剖実験―6 ~虚像からの旅立ち~』。見るだけなのにやたら緊張する。日曜と月曜、横浜STスポット。 http://t.co/S5q0wbMj
2013-01-11 00:17:01
たいへんなものをみてしまった。虚脱感に包まれながら帰宅中。手塚夏子『私的解剖実験-6〜虚像からの旅立ち〜』@STスポット横浜。
2013-01-13 21:02:49
生ビール、鶏唐揚げやりつつ、さっき観た手塚夏子のパフォーマンスを咀嚼。 (@ 魚武酒場 (UODAKE)) http://t.co/AyNWmZkS
2013-01-13 21:08:48
ノリノリダンス評論家。手塚夏子「私的解剖実験6」にて。http://t.co/fpylm8xN http://t.co/78hTjIHv
2013-01-13 21:25:04
手塚夏子さんの私的解剖実験新作、おもしろかった。とても。横浜公演は明日までです。以下ネタバレに近い感想を呟きます。観賞予定の方は気をつけてください。
2013-01-13 21:47:47
50年前舞踏と名付けられた身振りが"社会"と"芸術"のなかで確かに有効に機能したと私は考えている。だからこそいま現在舞踏は形骸化の一途を辿るのみのように思える。今現在、有効であるもの。それがチェルフィッチュの岡田さん、そして手塚夏子さんの頭の中にあると今日確信に近いものを感じた。
2013-01-13 21:50:29
今作で手塚夏子さんたちが"社会"、"アート"、"コミニュケーション"、"恥"、"骨"、"はね"などのことばを何度も体の外に投げたとき、会場音響の軽いエコー効果と、そのことばが発せられた原因である身体のなんとも言えないよくわからない即興の身振りとあいまって、
2013-01-13 21:52:40
承前)まるで目の前でそのことばの意味そのものが膨らんで、同時に解体されているように思えた。そして作品後半の演奏が絡んでからの恐ろしいまでの快の連続。不快から快への転調。恐ろしかった。心地よいとされる音が数音重なっただけで、ここまで目の前の空間が美しく見えだすのか、と。
2013-01-13 21:57:52
承前)驚いたのは、後半そこで聞くすべての音があらかじめ調律されてあったかのように、いくつ重なっても濁らなかったこと。目に入り続ける身振りは不快に近いものなのに。
2013-01-13 22:00:28
快も不快も同軸上で比較できるという意味では同じひとつのものであると言えるけれど、そのグラデーションが今後の手塚夏子さんの実験の目指すところにどのように絡んでくるのか。とても興味深いです。
2013-01-13 22:06:02
前回アゴラでみた「私的解剖実験」と、東近美でみた「実験」は観客の快不快のグラデーションなんてこの地上には存在しないというような、じりじりとした(わたしにとっては)つらい時間だったので、なおさらそう思う。
2013-01-13 22:09:39
STスポットにて手塚夏子『虚像からの旅立ちーー私的解剖実験6』。明日もあるので内容は書かない。手塚さんの去年のは観れなかったのでかなり久しぶりだったのだがやっぱり面白かった。面白かったのだが色々と思うところはあった。だが明日もあるので書かない。なんにも書かない方がよいと思う。
2013-01-13 22:31:47
手塚夏子さんの公演@STスポット。本当にいってよかったと思う。ただただ同じ空間にいられたことが全て。明日も公演あるらしい。皆様ぜひ!
2013-01-13 22:34:22
@aRanmeno 私にとって興味関心がある「身振り」の問題を取り扱っているように思えたので、とても興味深く見ましたし、鑑賞後も分析しがいのある作品でした。でも他の方には全く違ってみえていたかもです。チェルフィッチュの岡田さんもいらしてましたが、どのようにご覧になったでしょうね。
2013-01-13 23:18:44
手塚夏子『私的解剖実験―6』。これは本当に凄い。色んな方向に向けて突き抜けてしまってて言葉で何か言えないというか、言いたくない。
2013-01-13 23:20:25
『私的解剖実験―2』(2001年)、『同4』(2004年)、『プライベートトレース2009』(2009年)、そして『同6』(2012年)。ダンスで実験的な試みをするとダンスじゃなくてパフォーマンスになってしまう人が大半。しかし手塚夏子の場合は紛れもなく「実験的なダンス」なのだ
2013-01-13 23:24:54
手塚夏子『私的解剖実験-6』。ダンサーに対して序盤から中盤にかけて投げかけられていた制度化された言葉が次第に解体されていく。それは身体によって言葉が弄ばれているかのようだった。このとき発語された言葉は、音の次元までに切り刻まれ、身体も徐々に激しさを増していく。空間が祝祭的なムード
2013-01-13 23:26:03
さて録画しといたイカを見るとしよう。しかしあれだけ凄いヒトの姿を見てしまった後ではダイオウイカくらいでは心が動かないかも知れない
2013-01-13 23:26:38