《山下俊一氏が2011年3月21日に講演した意味》

2011年東京電力福島第1原発事故発生から、同年3月21日までのことを振り返りながら、山下俊一氏が講演した意味を考えてみた。 3月12日から15日までは、事故は間違いなく「メルトダウン」と表現されていた。それが、山下氏が福島県入りした3月15日午後から消えていく。
原発 震災 山下俊一
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
1 2011年3月20日から、山下俊一氏(当時長崎大学教授)が講演を始めた頃。「東電福島第一原発事故による健康被害は、起きることはありえない」が、公認の「真実」だった。「健康被害の可能性があるかも知れない」と意見表明することは「デマの拡散」であり、「不安をあおる」ことだった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
2 「原発事故による健康被害がありえない」ことを当事語ったのは、山下俊一氏らのアドバイザーの他に、福島県内の放射線科の医師、長崎の被爆者、チーム中川などの県外の「専門家」、菊池誠氏(大阪大学教授)らの物理学関係者、保守系論客の皆様、前毎日新聞社主筆菊池哲郎氏など報道関係者の皆様。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
3 2011年3月に山下俊一氏の講演が始まると、福島県や中通りの市町村は、広報に講演要旨や講演のQ&A、独自インタビューを繰り返し掲載した。フリーペーパーなどでも、山下氏の話や文章(インタビュー記事)を掲載した。被爆地長崎から来た、チェルノブイリ研究者の肩書き効果は絶大だった
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
4 震災発生後、全国放送を中に組み入れなければならなかったNHKに代わり、福島県で住民のライフライン確保に非常に役立ったのはラジオ福島(RFC)で、特に八面六臂の活躍を見せていたのは大和田新(おおわだ あらた)氏だった。ほぼ不眠不休と思えるような放送を行い、福島県民を元気付けた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
5 RFCは、震災発生直後から非常放送体制に代わり、当日夕方から、道路状況はもちろん、給水の予定、行方不明者の問い合わせ、避難所の所在、無料入浴施設の紹介、空いている商店の紹介、商品入荷の情報、避難者向けサービスの紹介などを行い、ネット上にも情報ステーションを設置していた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
6 福島市では、大規模ダムである摺上川ダムに上水道をすべて依存する形にしていたことが仇になり、上水道がすべて断水する形になった。伊達市、二本松市、川俣町、桑折町、国見町でも、そのダムから上水道供給を受けていた場所ではすべて断水し、復旧工事を待つことになった。給水情報は必須だった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
7 福島市近辺の情報は、地元テレビ局でも福島市に本社がある福島テレビ(FTV)とテレビユー福島(TUF)とラジオ福島、そしてラジオとテレビのNHK、福島県全域をカバーするFMラジオのFM福島がリアルタイムの情報源だった。新聞は日に1回の配達なので、活用範囲は狭かった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
8 その中でも、ラジオ福島の地元密着度と、情報集約能力、レスポンスの速さはずば抜けていたと思う。メールで情報を送ると、30分後には放送される。震災用の臨時HPにもすぐに反映された。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
9 2013年1月の現在から考えると、福島県内報道の「地元密着度」は、3.11前から、著しく偏っていた。偏りすぎていた。それなりの人口と重要施設があった相馬双葉地区、略して相双地区からの情報収集能力が低すぎたのだ。もうひとつ、面積が非常に広い南会津地区の情報も少ないが。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
10 相双地区の住民からの情報、特に避難途中の情報が少なかったのだが、もともと情報発信が少ない地域だったので、原発の情報が入ってこなかった。福島県庁が地震で壊れ、災害対策本部がまったく機能しないこともあって、原発情報は、東電の東京本社経由で報道機関に伝えられるモノしかこなかった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
11 県災害対策本部がそれなりの情報発信能力を回復したように見えたのは、今から考えると3月15日だった。すでに福島第一原発の1号機と3号機は爆発した後であり、即時避難範囲は政府の決定により、当初準備の3キロをはるかに超えた20キロに固定されてしまっていた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
12改 3月15日には、原発事故からの避難者がまだ大量に浪江町津島地区(原発から30キロ以内)に留まっていた時期であり、双葉町が県外避難を決定した日でもあった。当時川俣町は、国道114号沿いに避難してきた双葉町や浪江町の避難者を収容しきれなくなっていた事が再避難の理由にも見えた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
13 前日3月14日夜に開催された福島県災害対策本部での記者会見まで、福島県知事の動静に関する報道を見た記憶はない。13日の県に関する発表では松本副知事の名前しか見えない。15日の双葉町の県外避難の意義や町長による決定理由は、福島県内ではまったくと言ってよいほど報道されなかった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
14 2011年3月14日夜にかろうじて機能を取り戻したかに見えた福島県が最初に発表した政策は「中通りと会津地方で16日に県立高校入試の合格発表を実施する」だった。14日に3号機が爆発し、まだ第1原発だけでなく第2原発の挙動も不安定だったにもかかわらず、行われた決定だった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
15 今、手元に「福島民友」の『報道記録集』があるのだが、12日午後に号外を出し、「炉心溶融(メルトダウン)が起きた」との保安院幹部の見方を明記している。また12日午後の県災害対策本部会合で「保安院から『ヨウ素とセシウムを確認されていない』と回答を受けた」という記述もある。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
16 12日段階で、すでに情報操作と、情報齟齬が起きている。12日には「メルトダウンしてない」と物理系科学者が間違った情報を一斉に発信しているが、保安院見解さえも無視した誤情報だ。放射性物質の拡散を12日早朝に文部科学省は掴んでいるが、県にも保安院にも12日に伝達した確認がない。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
17 福島県では、第一原発のどこががメルトダウンしている事は12日午後段階で報道されている。しかし、県外からの否定報道で、瞬く間にそれは消されていく。15日紙面まで「炉心溶融」を書いていた「福島民友」だが、3月16日紙面から、「炉心溶融」の文字は消えている。禁句になっていく。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
18 15日夜に高濃度プルームが福島第一原発から放出されているが、15日に政府から出された「20キロから30キロ屋内退避指示」と、県知事が菅首相に「冷静な対応を」と要請した後、30キロ以遠の放射性物質対策に関する話は止まってしまう。私は、鍵は3月15日だったと思っている。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
19 3月15日にあった事は、他になんだったのか?山下俊一氏が福島県立医大に到着し、精神的崩壊寸前の医大の医療スタッフに話をし、事態収拾を図っている。そして県知事は、妊婦と子どもの避難拡大を打診した首相の言葉をさえぎって、避難拡大を断っている。この日が、事態の分岐点だった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
20 メルトダウンという言葉が報道から消え(16日新聞紙面を作るのは15日)、山下俊一氏が県立医大を掌握し、福島県が子ども妊婦の避難拡大を拒絶した。3月15日。この部分の確認が必要だ。事故影響が矮小化され、健康被害は出ないことになるまで、あと一歩だ
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
21 地元密着のラジオ福島は、私の記憶では、15日頃から放射線科の医者を出演させ、「100ミリ安全」を言い始めている。そして、同じ頃から「前毎日新聞主筆」菊池哲郎氏も電話で出演している。山下俊一氏到着以前から、ラジオ福島は「がんばろう 福島」路線を、作り出していた。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
22 3月16日正午、福島県の中通りと会津地方では、県立高校の合格発表が行われた。ネットを見ていた人たちの間では、福島市が危険かもしれないという話と同時に、「100ミリ安全」の話、静岡の大地震も踏まえての「もんじゅ」危機説も流れていた。地震でこわれていない学校には避難所があった。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
23 3月16日。福島市には、意味づけされていない空間放射線量以外は、何の警告もないままだった。屋外では高校の合格発表が行われ、部活の勧誘も行われ、高校の制服採寸も一部で始まった。断水は続き、給水を待つ人々は屋外に並んだ。一部の若者は、自転車で避難所に行き、ボランティアを行った。
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
24 山下俊一氏が、福島県内で人々の前に姿を現す前に、すでに福島市の多くの人々は被曝していた。それは多くの人が自覚していた。ただ、被曝することがどんな意味を持つのか、わからなかった。「危険なら、津波警報のように危険を知らせる伝達があるのではないか」と多くの人が思っていた
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011
25 福島県内での情報発信が、原発立地地域である相双地域からは少ない、と前に書いた。原発立地地域には、他の地域よりも放射線被曝と健康に関する知識を持つ人は多かった。二つの話をあわせると、こういうことだ。福島県全体で考えると、被曝と健康に関する情報は、広がらなかった。
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