日本の民間の火砲製造と輸出について尻切れ気味に

ぼろ太さんによる航空機生産のお話から派生 日本における民間企業での火砲製造やら輸出の例について少々 尻切れ気味ですが、輸出については既に研究がありましたので、それを総括の代わりとします
歴史 大砲 火砲 日本軍 軍事
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ぼろ太 @futaba_AFB
・WW1での大量生産の経験の欠如 欧米、特に英米はWW1の総力戦において確立されたばかりのフォードを代表とする自動車産業による大量生産を活用する機会に恵まれ、アメリカの航空エンジン量産計画 英フォードの活躍はWW2に直結する多くの知見を実地で得る機会となった。
ぼろ太 @futaba_AFB
・平時に工業を牽引する民需形成の失敗 航空産業、自動車産業などの育成を軍需中心に行っており民需拡大による企業体制の大型化、大量生産、製品開発があまり起きず開戦により急激に膨張したため対応できる人材の枯渇、また民需を生み出すための道路などのインフラ整備もあまり進んでいなかった。
ぼろ太 @futaba_AFB
中島飛行機では軍部との関わりが強く軍からの天下りを多く受け入れており、さらに戦時中軍部からの実態を無視した要求に逆らえず誉の品質低下に影響したなどの指摘もあり、またフォード、GMの現地法人設立を軍は妨害しており成功したかどうかはさておき
ぼろ太 @futaba_AFB
ドイツではフォード、GMの現地法人が積極的に戦争協力しており、企業への過度な軍部の関わりが、民需拡大を阻害していたかも?
ぼろ太 @futaba_AFB
だいたいここら辺が技術力がないという言葉の背景にあるのかなー 大規模な大量生産があるとそれに付随して下請け企業などへの技術移入や、生産管理のための人材育成、需要に対応するための増員計画と教育、それを支える各種インフラ 運用ノウハウとかの広がりが大きいんですよね
ぼろ太 @futaba_AFB
WW1の経験のあるなしはWW2で凄く大きく感じるんですよね、日本もかなり影響を受けて戦車の開発とか上手くやっていたのですが、予算や開発ペースなどに限界のある軍による牽引から民間への自立と移行までは進めなかった感じが
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
日本で軍による牽引から民間の自立に進めなかったと言えば、銃砲分野こそまさにそんな気もします。民間で銃器製造してたと言えば日立や中央工業くらい、火砲なら日本特殊鋼がごく僅かに携わってただけで、あとは大体国営工廠な印象が
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
銃器はともかく、火砲は軍以外に内需がないものなので、自立は難しいですけどね。クルップやシュナイダーやヴィッカースのような火砲メーカーをついに日本は一度も持てなかったのかなあと
ぼろ太 @futaba_AFB
@FHSWman クルップの場合先に鉄道とかをやっていませんでしたっけ?そういう意味では三菱とかと誓いかもです。戦前の本でクルップが注目されていたのを見かけたこととかあるんですけどねぇ
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
41式山砲は国産火砲にしては珍しく輸出事例があるみたいだけど、いつどれだけ輸出したやら、今ひとつ詳細がわからない。佐山サンの山砲本にも記述はなさそう
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
@futaba_AFB クルップの事例は詳しくないのですが、重工業系のメーカーが火砲にも手を出す事例は海外には多そうです。ただ日本の場合、日立も三菱も火砲には手を出してなさそうでして、日本特殊鋼以外で民間火砲メーカーが見当たらないなと思ったのです
ぼろ太 @futaba_AFB
@FHSWman 僕も詳しくないですが、鉄の大量生産が可能となった時その需要は鉄道と大砲が欧州で最初吸収したですよ、日本はやや時代が下っているので野砲のかわり船に行ったのかもです。
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
火砲と呼ぶかどうか少し微妙なラインだけども、大日本兵器(浦賀船渠)は海軍の99式20mm機銃と2式30mm機関砲の開発と生産をしてるのね。日本特殊鋼は陸軍系列で、大日本兵器は海軍系列なわけだ
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
エリコン20mmの国産化に関しては、海軍工廠は当時は設備拡大中で余裕がなく、三菱にも話が行ったみたいですがやはり拡大中で無理、そうして浦賀船渠に回ってきたみたいです
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
@futaba_AFB そういえばヴィッカースは船作ってますし、戦車や対戦車攻撃機で有名なヘンシェルも鉄道メーカーでしたっけ。ただ日本の場合、船に手を出してるとこは海軍が抑えちゃいそう(偏見)ではありますが……
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
大口径機関銃クラスまでなら日本製鋼やら日立もちょくちょく名前が出てくるみたい。だだ、それより上の砲の範疇だともう絶望的に民間の参入がない印象。火砲を民間に任せるような動き自体がそもそも無かったのかな
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
予備履帯の上から迷彩塗装する例も実際あったと聞いて再現したくなって、結果UVが大変なことになるイメージ図 http://t.co/YngsdsW8 #WIPtoday
山猫男爵 @baron_yamaneko
@FHSWman 藤田昌雄「もう一つの陸軍兵器史」(光人社・2004)によると、泰平組合経由で1917年11月までに輸出された6式山砲(41式山砲の輸出仕様)が186門とあります。それ以降の時期の分は不明。なお奉天製の13式・上海製の14式というコピー品もあり。
山猫男爵 @baron_yamaneko
@FHSWman 同書によると同時期の泰平組合経由では、三八式野砲230門・三八式12榴12門・三八式15榴8門・三一式山砲14門も輸出されているそうです。改造三八式も後で売ってるようですが詳細不明。なお、三八式野砲も13式野砲の名で現地生産あり。
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
@baron_yamaneko oh, ありがとうございます。1917年当時は41式山砲は最新鋭と言えそうですし、計450門は国軍火砲としては馬鹿に出来ない数ですから、かなり力を入れていたと言えそうですね
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
泰平組合とは全く知らなかったんですが、日本も結構力を入れて兵器を輸出しようとしてたんですね http://t.co/tXAoHwjx カタログが復刻されてるとは驚きですよ
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
しかしこれ、38式野砲や41式山砲はともかく、38式15榴や12榴は厄介払いの感が否めないなあ。新式の4年式15榴を制定したところであるし
ぼろ太 @futaba_AFB
@FHSWman ベッセマー転炉とかが作れた時初めてできた安価な鉄を大量に使う用途が船や鉄道、そして軍の大砲だったということみたいで、日本の野砲絡みは皆目わかりませんがorz泰平組合は後に昭和通商となるのですが、これもどうも色々あったみたいで(まだ調べてないですが、、、
えすだぶ@C98四日目西2ち06b @FHSWman
主要輸出先が中国で、そこと事を構えるとなれば、そりゃ輸出も滞りましょうね。他に適当な顧客を得られなかったのが、日本の火砲輸出不調と民間火砲メーカー不在に繋がるかしら
山猫男爵 @baron_yamaneko
@FHSWman 日露戦争後の兵器生産能力維持のため、新鋭兵器を積極的に輸出したようです。クルップとの競争に負けて減っていくものの、WW1辺りからは対中外交上の思惑も加わったと。横山久幸「日本陸軍の武器輸出と対中国政策について」(PDF) http://t.co/lV0WnFBO
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