教育や躾における「負の強制」について

タイトル通りの内容です。 世界が狭まることが、何よりも不安です。
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いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

教育や躾における「負の強制」について、すこしちゃんとつぶやいておきます。 以下「負の強制」とは「暴力のみではなく、否定的な言葉や態度を用いて行動を縛り付けること」とさせていただきます。

2013-01-16 23:52:54
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

僕は、自分の子供に対しても、他人の子供に大しても、基本的には「負の強制」はしないように心掛けています。 しかしそれは「負の強制」が「悪いこと」だからという認識ではありません。 これは僕のいろいろなところに共通する考え方ですが、僕はそもそも「善悪」というものをあまり信用してません。

2013-01-16 23:54:59
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

そして「負の強制」についても、それを選択する人がいること自体を否定するつもりはありません。 むしろ、そういう人が全くいなくなるというのは、それはそれで少し怖いことのようにも思います。 僕が「負の強制」について心配な点は、もう少し別のところにあります。

2013-01-16 23:58:22
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

僕が「負の強制」について不安に感じている点は、最近の家族関係などでは「親との関係の密度が濃い」ことが多く、結果として「影響を受ける割合が高くなる」のではないかという点です。 要するに「逃げ場がない」ということです。

2013-01-17 00:01:02
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

僕は別に「親が自分の子供の全てを認めてあげる」必要はないと思っています。 もちろん自分の子供は可愛いので、自分の場合は大抵のことを認めてしまうのですが、それは単に僕が幸運なだけであって、誰しもがそういう子供に恵まれるわけでもないでしょう。

2013-01-17 00:02:44
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

子供の立場にしてみれば、ある部分では「誰に認められるか」というのはそれほど大きな問題ではないのではないかと思っています。 これは、自分に置き換えての仮説でしかありませんが、要するに「自分の属する社会の中で、総体的に認められていればよい」のではないかと思っているということです。

2013-01-17 00:05:55
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

しかし一方で、最近の子育てはその子供の親だけが行うことが多く、子供の属する社会自体が狭まっているように思います。 その結果、その子供の親が「負の強制」を行った場合、その影響を強く受け過ぎてしまうのではないかと考えています。 それが僕の「不安な点」です。

2013-01-17 00:09:28
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

最近「承認欲求」という言葉をtwitter上でもよく見かけますが、つまりは「認められる」という経験が(これは子供だけに限らず)非常に少なくなってきているのだと思います。 その意味では子供のころの「あなたはいらない」という「負の強制」の影響は大きいと言わざるを得ないでしょう。

2013-01-17 00:32:24
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

しかしながら、その本質は「負の強制を受けたこと」ではなくて「それを凌駕する経験をする機会が圧倒的に減っている」ということなのではないかと思います。 その機会を増やすという方向に向かわずに「負の影響のあるものだけをとにかく取り除く」というのは、僕には安易な方向性に思えてなりません。

2013-01-17 00:37:45
いさけんさん(脱ホカペ宣言・春) @isa_kent

僕は今後も「負の強制」をするつもりはありません。だからといって、それを行う人を(極端に酷い場合を除いては)責めるつもりもないですし否定するつもりもありません。 僕は自分の子供を「悪を成敗する」ような子供に育てる気はありません。 ただ「悪に負けない強い心」を持ってほしいと思います。

2013-01-17 00:51:50