武術型稽古談義

武術稽古談義ログです。
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白真弓 @shiramayumi

技や術理の検証は、機械整備チェックを皆でする気持ちで行えばいい。何人もの目で見ることで見つかるものがある。ベテラン任せで若手が注意しなくていいわけでないし、若手がキズを見つけたとしても誰も傷つく必要はない。威張ることも、わざとらしく謙虚になる必要もなし。

2013-01-16 17:46:18
武心インデックス @g369

指導者、中堅、新人に限らず、意見や疑問を投げかけていくような雰囲気が無いと、どんどん未検証の不明瞭な何かを、暗黙の了解で共有するという世界が生ずる。

2013-01-16 17:59:26
武心インデックス @g369

だから自分の考えや意見、疑問を率直にぶつけられるような環境を整えるというのは非常に重要な事だろう。日本人気質らしい、暗黙知や空気を読むという事に頼ると、かなりの確率で「 黙っているほうが安全だ」となる

2013-01-16 18:02:04
武心インデックス @g369

ソニー創業者の(一人)盛田昭夫氏の名言に「黙っているほうが安全だという雰囲気は非常に危険だ 」というのは、実に日本人らしい気質を指摘した名言だと思う。昔から自分の意見や主張を通し、率直に疑問を投げる者は鼻つまみ者として扱われる。

2013-01-16 18:04:32
武心インデックス @g369

子供のから空気で決まっていくような学級会に疑問を持っており、私は最後まで納得がいかないとゴネるし、やるなら反対はしないが賛成は最後までしない・・・という偏屈な私は随分叩かれ続けた。

2013-01-16 18:06:49
武心インデックス @g369

そもそも性格も悪い私は虐められっ子(嫌われっ子という方が正確だが)だったが、妙な信頼感があったのは、結果的に私の言っていた筋が結局合っているという点にあった。小学二年生時代に先生が通信簿に書いたのは、「結局人に伝える事が出来なければ意味がない」という趣旨の事。至極もっともな指摘だ

2013-01-16 18:08:26
武心インデックス @g369

正しいと思う事を実現したいならば、ただ正しい事を言っていれば通るわけではない。人間性から話し方、説明方法、政治的な駆け引きも含めて善き事を成してこそ、独善から脱却する道だ

2013-01-16 18:10:03
武心インデックス @g369

で話を戻すが、かと言って、道場において皆がそれぞれに思いつくままやっていたら、流石に流儀としての統制が取れない。重要なのはその疑問を氷解し、また議論の必要は無いほどに解答を持った指導者の存在である。

2013-01-16 18:13:11
武心インデックス @g369

先日の稽古でちょっと面白い事があった。すれ違う前に「打太刀が抜刀しよう」とするのを、仕太刀は一足出て柄にて小手を打って止めて制するという技である。対者で稽古して貰ったのだが、ある組が困っていた

2013-01-16 18:21:29
武心インデックス @g369

聞けば、仕太刀が柄を打とうとしたところで、打太刀が打とうとした仕太刀の柄を持って止めてしまい、形にならないという。 単純な話で、打太刀がきちんと抜刀しないで、「わかっているので」打ちに来る手を持って留めていたという話だった。

2013-01-16 18:24:48
武心インデックス @g369

その設定では抜こうともしていない打太刀の小手を打ちに行くという用途不明なものとなっている。 ちょっと考えれば分かりそうなものだが、俯瞰的に問題点を見られない指導者は、「柄を打ちにいって持たれた場合の対処」を教えてしまう。

2013-01-16 18:26:23
武心インデックス @g369

応用という意味ではそれもありだが、基本的な型として想定が狂っている事をきちんと指摘しなければならない。これは判りやすい例だが、実際この判り難いバージョンが多数道場を混沌に陥れる。これではせっかくの自由な雰囲気もただの混沌になってしまう。

2013-01-16 18:30:46
武心インデックス @g369

某流から仲間数人が独立して作った道場でも自由を謳っていた。初心者でも思ったことは自由に口にするという。だが徐々に自分たちでも答えられない事が増え、質問者だけでなく、全員がなんで病に掛かってしまったという。不合理に見える事が多すぎて、おかしいと思いつつ稽古するしかない。

2013-01-16 18:35:00
武心インデックス @g369

「不合理の中の合理」あるいは「不合理の果ての合理」というようなものにまで至らず、その場の合理性を追求すれば、いずれは型の骨子は失われ、パーツの寄せ集めと化す。

2013-01-16 18:36:16
みんみんぜみ @inuchochin

@g369 まず打太刀が形通り(形と逆に?)勝ってしまう、というのが難しいですよね。それがあってこそ形が始まる気がします。

2013-01-16 18:41:09
武心インデックス @g369

@inuchochin そこですよね。まず急襲を見事成し遂げる事を散々稽古しないと、意味ない練習になる。前の武道の恩師にその事を徹底的に仕込まれたのですが、今は時間がないというか、師匠が時間の無駄だとすぐやめさせるので中々…

2013-01-16 18:43:53
みんみんぜみ @inuchochin

合気系武道の形稽古は古流の形とかなり違って単一の技を稽古するんだけど、片手取りや正面打ちで受けが捕に勝てるという前提があってこその稽古だと思う。

2013-01-16 18:44:01
武心インデックス @g369

基本的には返し技が多いわけで、その練習になるのだが、その前提としての攻撃側の攻撃がきちんと「なされているという事がある。つまり本式で言えば攻撃も練習しなければならない。「攻撃していない相手を型通り制する無理」に『技出来ない病』の病因がある。

2013-01-16 18:46:25
武心インデックス @g369

例えば柔の稽古など、もう掛けられる技を分かっていて、握りは力まずに手首をがっちり固定していればほとんどの技は効かなくなる。そして自分の言うとおり動くと掛けられてやる。時間の無駄というか、下手にしかならない。

2013-01-16 18:47:50
みんみんぜみ @inuchochin

@g369 受けのレベルで取りの技のレベルが決まるというやつですね。たしかその武道の開祖のお話にそんなのがあった気が。合気道でも同じです。合気は一撃必殺の武術で掴めば手は痺れ打てば骨を砕くという(笑

2013-01-16 18:48:02
ちていのき @baritsu

前提としての受の勝ちを崩してバリエーションに向かってしまうのは、いわゆる死んだ形ですね RT @inuchochin: @g369 まず打太刀が形通り(形と逆に?)勝ってしまう、というのが難しいですよね。それがあってこそ形が始まる気がします。

2013-01-16 18:48:55
武心インデックス @g369

今まで何人も見てきたが「はい掛けて下さい」という。想定も何もあったものじゃない。 昔はこういうのにどう対処していたのかというと、多くの場合当身を思い切り入れてから投げたりしていたそうだ。

2013-01-16 18:49:07
みんみんぜみ @inuchochin

片手取りだろうが基本的に相手の当身を受けない掴み方をして、相手が弱ければ四教で抑えてしまうし、正面打ちは不意に鼻か顎を打ち揚げ、両手取は膝蹴りがある、と習った。古流柔術でも受けの動きで勝ってしまう事は当然あった。

2013-01-16 18:54:28
みんみんぜみ @inuchochin

意識的、無意識問わず受けが協力してくれればどんな形でもできますしからそれじゃただのみせ技ですね。RT @baritsu: 前提としての受の勝ちを崩してバリエーションに向かってしまうのは、いわゆる死んだ形ですね RT @g365

2013-01-16 18:58:09
武心インデックス @g369

前の武道の恩師は、攻撃がまともに出来るようになるまで、延々とその稽古をさせた。納得行く段階に至ってはじめて防御反撃の段階に移行する。初心者のレベルの攻撃をどうこうしても仕方ない。初心者のメチャクチャな攻撃が脅威というのは、かなり低いレベルの世界でしかない

2013-01-16 18:58:35