カワブチさんによる阪神大震災関連のツイートまとめ

耳が聞こえないろう者のカワブチさん(@kazueDEAF)による阪神大震災発生時の家族との行動や情報取得の難しさなどについてのツイートをまとめました。 多くの方に読んで頂ければ幸いです。
ログ 阪神大震災 情報 ろう者
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Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
あの日 あの時 あの場所で 地震が起きなかったら いつまでも生きていられたのに… 阪神淡路大地震でお亡くなりになられた方達のために 黙祷。
暗闇の中、手探りでお互いの無事を確認した。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
地震が起きた時私は21歳だった。聾母は放射線治療から退院したばかりだった。寝室で寝ていた聾父母は倒れてくる和箪笥に、咄嗟に父が支えて母は怪我せずにすんだ。その隣の部屋で寝ていた私は本棚が倒れてきたけど窓に引っかかって無事だった。暗闇の中、枕元で補聴器を探し、隙間から抜け出した。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
補聴器はかけてあるけど、父母の声が聞こえない。父母も私の声が聞こえない。たった、隣部屋だったのにお互いの無事がわからぬことが何とも不安に感じた。暗闇の中手探りで廊下に出た。暗闇の中で父母の手が当たった。生きてる!と実感した。暗闇の中お互い、顔を触り体を触り怪我がないのを確かめた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
三人とも怪我がないのを確認してようやく抱きしめあった。暗闇の中手を繋いで恐る恐る階段を下りた。階段は半分ズレて隙間が出来ていた。何が起きたのか、わからない。とにかく外に出た。一階は足の踏み場もないぐらいモノが落ちていた。お皿も粉々に割れていた。思い出のモノが壊れていた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
外に出ると家は半分ずり落ちていた。呆然とした。近所の人達も何が起きたのかわからない様子だった。寮暮らしだった聾旦那も飛んできた。とりあえず隣の聴叔母宅に避難した。テレビはつかない。時折流れるラジオだけが頼りだった。叔母がかいつまんで伝えてくれた。ひどい地震が起きたらしい。
とにかく『耳』が欲しい。『情報』を得る『耳が』。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
神戸では火事が起きているらしい。たくさんの人が亡くなったらしい。情報が交差して何が正しいのかわからない。けれど聞こえぬ身にしては叔母が教えてくれるのは有難かった。叔母が旦那に「淡路に電話しようか?あんたが無事だけでも家族に伝えてあげる」と淡路島の旦那の実家に電話し無事を伝えあった
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
とにかく『耳』が欲しい。情報を得る耳が。聾家族だけではなす術もない。とりあえず聴叔母家族と一緒に過ごした。道端で流れるスピーカー、近所のざわめき、地震をいち早く伝えるラジオ。『耳』が欲しかった。『情報』を知りたかった。ジリジリと過ごした。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
母はひどく怯え不安な顔をしておののいている。無理もないようやくつらい癌治療終えた後退院したばかりだったのだから。父は和箪笥支えたために首を痛め辛そうにしていた。私は聴叔母と聾親の通訳に務めた。聾親が得られぬ情報で不安にならぬように、聴叔母に時々聞いては、わかりやすく手話で伝えた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
こんな状態なのにお腹はすく。生きなくては。聴叔母家族と協力し合いながら、キャンプ用のコンロを引っ張り出し簡単に味噌汁を作った。水は奇跡的に一つだけ無事だった庭の水道があった。そこでみんな使った。寒い中水を汲み運んだ。味噌汁の温もりに涙が出る程の嬉しさを噛みしめた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
夜にテレビを見た。どこも地震のニュースが流れていた。だけど、字幕がない。手話ニュースもない。あるのはただ声だけが流れるアナウンサーと、わずかなテロップだけ。聴叔母の情報を断片的に組み立てながら、聾親と聾旦那に伝えた。そしてようやく事の大きさを初めて知った。
聾同士で励まし合い、支え合った。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
翌日、ろうあ協会会長だった聾父は自転車で市内の聾者宅を回った。幸いみんな無事だった。再会を喜びあえたが、みんな不安そうだった。これからどうしたらいい?どうやって過ごしたらいい?どうやって?どうやって?みんな父に聞いた。父も答えに詰まった。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
市内の手話通訳士や通訳さんも同じように被災しているだろう。そう思うとわざわざ助けを求めるのはためらわれた。情報が欲しいのに、通訳が欲しいのに、聾者みんな遠慮した。隣人に聞いたり、聴身内に聞いたり。断片的な情報から組み立てるしかなかった。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
しばらくは家が聾者の情報交換の場所になった。聾者が入れ替わりやってきては、得られた情報を伝えにきた。父次にやってくる聾者に伝えれれば、と情報を全てメモした。どこそこに給水がある、どこそこで炊き出しがある。どこそこで。どこそこで。入れ替わり伝えにきてくれた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
こんな時なのにやってくる聾者達はみんな明るかった。まっ、くよくよしてもしょうがねえや。頑張ろうや!的に明るかった。情報はみんなで補い、聾同士励まし合い、心の拠り所となった。支え合い、そして支えられた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
しばらくは家にある野菜やお菓子で細々としのいだ。灯油は時折回ってくる灯油を積んだ車で、聴叔母が「車がやってきたよ」と教えてくれ一緒に灯油をいれて貰った。真冬にストーブは必要だった。半分ずり落ちた家は、隙間風がひどかった。毛布を何枚も羽織った。たった一台のストーブにみんな囲んだ。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
それから聴祖母の行動がおかしくなった。あまりの怖さに脳が否定したのか、だんだん認知症を患い始め、不可解な行動を取るようになった。一週間も過ぎた頃、だんだん家族も疲れが出始め、イライラし些細なことで衝突するようになった。そんな時ようやく行政が動いた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
ようやく行政側にも手話通訳が復活し、県のろうあ協会からも情報や支援が届き、FAXも機能し、それからぼちぼちと聾者にも「光」が差し込んできた。他市のろうあ協会とも繋がり、情報が入ってきた。父はフルであちこち動いた。家には情報がどんどん送られるFAXの紙で一杯だった。
こんなにも大勢が避難している体育館の中で、聾者達は「孤独」だった。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
他市は体育館に避難したたった一人ぼっちの聾老人が、誰とも話すこともなく、発することもなく、ただひとりぼっちで体育館の隅で、申し訳なさそうに過ごしていた。協会役員と手話通訳が情報を頼りにその聾老人を見つけた。老人は初めて泣いた。ひとりぼっち、辛かったと。嗚咽を漏らして泣いた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
とある聾年配夫婦も離れた体育館に同じくひっそりと迷惑かけぬように、静かに過ごしていた。流れる放送に尋ねるのも憚られ、配給も貰えずに空腹のまま過ごした。同じように役員と手話通訳さんが見つけ出し、初めて配給を貰えた。温かい味噌汁とおにぎりは久しぶりだと、泣きながら食べた。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
こんなに大勢の人が避難している体育館の中で、聾者達は「孤立」だった。「孤独」だった。聾友達もいない。聾の事わかってくれる聴者もいない。みんなが同じ被災の中、協力を求めるのは憚られた。そして日本語で言えなかった。ただ一言「聞こえません。助けてください」ただそれだけが。
Kazue Kawabuchi @kazueDEAF
避難している体育館で聾者を見つけるのは難関だった。「聞こえない方いませんか」と放送を流しても当の聾本人は放送が聞こえない。名乗り出せない。役員達は地道に聞いて回るしかなかった。見つけ出すのに、時間がかかった。
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コメント

茶トラ @deaf_tomonori 2013年1月17日
まとめを更新しました。
茶トラ @deaf_tomonori 2013年1月17日
まとめを更新しました。
順三朗 @junzabroP 2013年1月17日
大規模な災害が発生すれば、同様の状況は容易に再現される。その時に「助けて」と周りに知らせられない人々は死ぬしかない。非常時とはそういうことなのだ。
広瀬みつこ⋈ @hiroya0626 2013年1月17日
このまとめを見て、当時「トイレで迷惑かけられないから」と支給の食事を拒否した車いすの避難民話を思い出しました。
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