6
渡邊芳之 @ynabe39
昨日からまた私のTLを構成される方々が「ある人の発言の、本人がおそらく明確には意図していなかった実質的な意味」と「その結果について本人の責任をどこまで批判できるのか」について議論されている。
渡邊芳之 @ynabe39
この問題の「ある極限」が「差別表現」であって、ある基準にもとづいて「差別表現」とされることを言ってしまった人が「自分には差別する意図はなかったのだから、差別ではない」「自分の発言を差別問題として論じるのは藁人形論法だ」と主張することは原則として認められないようになっている。
渡邊芳之 @ynabe39
「今日のおかずは卵焼きよ」「卵焼きあんまり好きじゃないんだよねえ」「私の料理が気に入らないってこと?」「いやそうじゃなくて単に好きじゃないって個人的な感情を言っただけで、なにもそんなふうにとらなくても」。
渡邊芳之 @ynabe39
やはり問題のキモは「言葉の意味は文脈によってしか確定しない」ということだろう。
渡邊芳之 @ynabe39
「今ここで目の前にいるこの人にこれを言ったらどういう意味に取られるだろう」ということは誰でも比較的容易に想像できるけれども、「今これをネットで公言したら様々な文脈にいる様々な人がそれぞれどういう意味に取るだろう」と想像するのは難しい。
渡邊芳之 @ynabe39
ツイッターでは「身の回りの人にはそれを言っても文脈から特に問題視されないようなこと」を文脈を共有しない不特定多数に向かって言ってしまい、批判されたり叱られたりして動転したり悲しんだり怒ったりしている人がたくさんいる。
渡邊芳之 @ynabe39
「私はそういうつもりで言ったのではない」というのは基本的に「自分と文脈を共有する仲間」に対してしか言えないし、言っても意味のないことなのだろうと思う。その文脈の外側に放出された言葉は、それを受け取る文脈に応じて様々な意味を持つようになる。
渡邊芳之 @ynabe39
言葉が一人歩きする、とはそういうことなんだろう。

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする