表現と生身の作者の結びつき

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ホワイトグンマ @nukkoroQ

作家論はアリだといいはしたものの

2013-01-19 00:57:43
ホワイトグンマ @nukkoroQ

誰かを名指しかそれに近い形で批判しておきながら、というのはフェアじゃない。そうでないなら生身の作者は読者から見えないところに身を隠したほうがいい、と、そのくらいにしておくか

2013-01-19 01:26:07
ホワイトグンマ @nukkoroQ

激しく批判をうけそうな話であればあるほど、作者は自分自身にではなく内容に目を向けさせなければならない、という理由から

2013-01-19 01:28:10
ホワイトグンマ @nukkoroQ

創作物を丸めて武器にして作者自身が殴り合いに行ってどーすると

2013-01-19 01:29:53
ホワイトグンマ @nukkoroQ

作者と読者の近さ、が問題になるのはその辺かもわからん

2013-01-19 01:31:33
ホワイトグンマ @nukkoroQ

そーいう意味ではレビューも同じような考え方ができる。自分の言葉に責任を取ることと、言葉で語られた中身とは、いったん切り離されているはずだ。生身の筆者の役目は「責任を負うこと」それだけかも。そういうはりぼて。言い過ぎか?

2013-01-19 01:39:22
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 「切り離されている」自明でしょうか?作者は、それが切り離されている時にはその様に振る舞い、それらが切り離されてない時にはそれに則る様に振舞う、「責任を負う」その仕方はその「表現される事」に依存すると考えるのはどうでしょうか?

2013-01-19 01:49:48
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 どんな表現も初めから作者と切り離されているというのは違うかもしれません。切り離されうる、といった方がよかったかもしれませんね。切り離されるかどうかは、受け取る側の見方に依存し、切り離させる力の強さが表現される事により異なると、考えてみました。

2013-01-19 19:22:14
ホワイトグンマ @nukkoroQ

やはり…切り離されうると考えます。例えば、僕は自分自身について語ることができますが、そのとき生身の僕と、表現した事に含まれている僕という主題は別であると考えます。一方読者はこの二者を同一の僕という人物として見るでしょう。そして表現された事に責任を負うのは、生身の僕の方です。

2013-01-19 19:39:49
ホワイトグンマ @nukkoroQ

責任を負う主体としての作者…?

2013-01-19 20:09:35
あーるえっくす。 @3or7935

責任とはなんだろう、「行為者」が負う・・・?

2013-01-19 22:07:10
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 なるほど、その時「切り離す操作」により切り離されるのか、若しくはその性質があり切り離されたモノが見えるのか。同一の対象としてある表現が、複数の受け取る人のそれぞれで切り離されたりされなかったりするのか。若しくは受け取る側は「同一の表現」を受け取り得ないか…

2013-01-19 23:04:51
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 表現物が受け取られる前は、表現者と表現物は完全に切り離されているのではないかと考えます。もしかしたら、受け取られ読まれることによって表現者は受け手の中に作られるのかもしれない?そして、作られた表現者と生身の表現者が重ねあわされる、と考えることはできないでしょうか

2013-01-19 23:35:04
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 そうすると、受け取り手によって表現者の作り方が違い、作られた表現者の生々しさのようなものの度合いが、表現者と表現物を切り離すあるいは結びつける力、とみることができるのではないかと思います。

2013-01-19 23:38:22
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 受け取られる表現、表現として受け取られる物。表現が何かを考えると「何らかを伝える事を意図する行為」といった感じだと思うんですけど、そうであるならば、表現物が表現物であると考える時にはそれに関わる表現者の存在が前提されているのではないでしょうか。

2013-01-19 23:49:03
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 そうであるならば、その時にそれらが結び付けれている状態と、切り離されている状態をどの様に理解できるのか。

2013-01-19 23:50:11
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 最初、表現物が受け取られる前は、表現者は名刺のようなものにすぎないと思ったのです。表現者の存在は前提されているとは思いますが、それは「表現物を生み出した何者か」という形でしかないのではないかと。「何者」が受け取り手によって、やがて「表現者(像)」になる。

2013-01-20 00:01:16
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 「結び付けられる」とはどういうことか、わからなくなってきました。生身の表現者と表現物の間に隔たりを感じてきています。

2013-01-20 00:07:20
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 表現物が受け取られる前は、表現物でしょうか?若しくは何らかと何者かが受け取り手によって連関した形態が表現物を表現物とし、表現者と表現者たらしめるのでは。その時であって、切り離されたそれらと、結びついたそれらがあるとすれば、その状態、形態の差異は何か。

2013-01-20 00:11:47
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 表現者と表現物の差異を考えるうえで、例えば芸人による芸の様なものは表現「物」であるのか、その様な身体を使った表現以外の絵画、文章等のみを表現物とすべきでしょうか?

2013-01-20 00:17:44
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 芸人による芸も、文章や絵画と同じでいいかと思います。表現「物」と呼ぶのは、ふさわしくないかもしれませんが。

2013-01-20 00:24:18
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 まず「誰かしらの表現者」がいるという状態で受け取られる表現物が切り離されたそれで、受け取られる表現者の情報の増加により表現者が特定的になり、それらが結び付けられる、その意味では「表現」は即座に結び付き「表現物」は結び付きに段階を要する様に思える。というのはどうか。

2013-01-20 00:30:03
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 「表現」とは表現する行為ということでしょうか?表現者が「リアルタイムで表現し、伝える」ことと、受け取り手が「完成された表現物を刻々と受け取っていく」ことは、同じであるとは考えられないでしょうか。

2013-01-20 00:37:01
ホワイトグンマ @nukkoroQ

@3or7935 受け取り始めてから任意の時点までの情報から、受け取り手は表現者を形作る。と考えます。

2013-01-20 00:43:22
あーるえっくす。 @3or7935

@gumB46 表現される事が表現者と別の物質を介して行われる時の物質を「表現物」とすれば、表現物によって表現される事と表現物を要せずに表現される事を想定して、表現と表現物を分けて考えられるのではないでしょうか。

2013-01-20 00:46:48