渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「まったく別のこと」である。「いじめられるほうにも原因がある」を「間違い」として批判する人はこの2つを混同していることがある。」
さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。
刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。
by 渡邊芳之
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渡邊芳之先生ynabe39の「いじめは「指導」 道徳は「同意され正当化されたいじめ」ですからね。」
「心のノート」(小中学校の道徳の副読本)を見れば「どういう人をいじめたらよいのか」のヒントがいっぱい書かれていますよ。by 渡邊芳之
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渡邊芳之先生ynabe39の「通常は「いじめも学校秩序の一部」だからですよね。 」
数日前までいじめられてる時は先生からも「お前が生意気だから」だと言われてまったく助けてもらえなかったのに,いじめる方になって怪我をさせたら「やっぱりとんでもないやつだ」「○○君とお父さんに土下座して謝れ」ということになるわけです。by 渡邊芳之
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渡邊芳之先生@ynabe39の「「一般論」の話をしているふりをしているけどみんな「自分がやってることはいじめじゃない..
まあ「迷惑を我慢する側」が「自分が迷惑を我慢することに納得できる物語」を必要とするのは当然なんだけど,「自分の納得のための物語」と「皆が守るべきルールや道徳」とがイコールとは限らないよねという話。by 渡邊芳之
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渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると..
自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之
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