†正教の自治教会における祈祷言語について†

“聖なる公なる使徒の教会”を前提として、神父様がお話して下さった事を(僕達だけで知るのは)、勿体無いのでシェアさせていただきました。  しかし、カテゴリ↓がどうにかならないものでしょうか;  サブカテゴリにすら“宗教”は無いし・・・。
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涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

仰る通りで、この辺はバランス感覚が必要ですね。「聖なる公なる使徒の教会」につき、その「公」についても正教会は勿論大事に考えて居るわけです。 RT @SystemaTama あまり“日本の正教”と強調し過ぎるのもアレかな?と愚考 @gongusmos

2013-01-21 22:38:45
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos #正教 における言語の問題は各所でホットになる問題で、たとえばフィンランド正教会:新ヴァラモ修道院では、奉神礼に現地のフィンランド語を使うか、ソ連からの亡命修道士が使う教会スラヴ語を使うか、難しい議論があったそうです。(続

2013-01-21 22:41:18
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前)以降関連する一般論です。時々「自治教会だから日本語を使うべき」云々という論理を仰ってしまわれる方がいらっしゃいますが、何語を使うかについての決定という段階で「自治教会」という地位が因子にはなりますが、第一要因ではありません(続

2013-01-21 22:43:06
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前)たとえばアラスカの聖インノケンティは当時ロシア帝国領だったアラスカに宣教される際アリウト語への翻訳の仕事をされたわけですが、当時「アリウト正教会」も「アラスカ正教会」もありません。亜使徒聖ニコライも同様でして(続

2013-01-21 22:45:55
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前)当時「日本正教会」は自治教会ではなく、しかも当初は名義上は「レーヴェリ(今のエストニアのタリン)主教」である聖ニコライが指導していました。しかし聖ニコライは日本語への翻訳という仕事をされているわけです。(続

2013-01-21 22:47:47
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前) #正教 における各言語への翻訳は、五旬祭に多くの言語で使徒達が話した奇蹟(バベルの言語分裂に対置される多様と一致の回復でもあります)と同様の神聖神(聖霊)の働きが、今もいつも世々に働いていることの証左でもあります。(続

2013-01-21 22:51:49
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前)まとめに入りますが、「日本語で書かれた聖書」は1970年に名実ともに自治となっている「日本正教会」の証以上の意味があります。日本語で祈る事が出来る事自体が奇蹟の一つであるということ、(続

2013-01-21 22:55:09
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前)また「公なる教会」なのであって「一般的な教会」でもなければ「多様な教会」でも無いこと、その「公」性は至聖三者の像として理解されるべき事まで含意しています。

2013-01-21 22:58:10
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980

@SystemaTama @gongusmos 承前)従いまして「日本語で祈る」事は、「宣教の便」「解り易さ」のための妥協、ないし「国家・民族との結び付き」を意味するものではなく、それ自体に至聖三者の像としての意義が与えられます。この意味で当該イコンも正しく「像」となっています。

2013-01-21 23:01:24