渡邊芳之先生@ynabe39の「さっきの「学校にも社会と同じルールを」の話で言う「社会のルール」というのは「社会のルールとは何か」という本質論になるような話ではなくて端的に「法律」です。学校では「外の社会でやったら犯罪になること」を教師や生徒がやっても犯罪にならないことがある,それが学校の治外法権ということ。 」

「正しいもの」と「正しくないもの」がはっきり分かれる,と思っているから「正しいものを正しいと言わないのはニヒリズムだ」という発想になるんだよね。実際はこれも「程度問題」で「正しい程度」は社会的な関係の中で定まる。
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渡邊芳之 @ynabe39

そもそも公立高校の体育科なんてのが存在するのを今まで知らなかった。他にもあるんだろうか…と思ったらちゃんとWikipediaに一覧表があった。ずいぶんあるんだなあ。

2013-01-22 11:27:44
渡邊芳之 @ynabe39

しかし体育教師になるには大学に行かないとならないのだし,ごく一部の「選手」になる生徒を除けば,スポーツ推薦で大学に行く以外は「勉強したことで選べる進路」はないのではないか。

2013-01-22 11:29:16
渡邊芳之 @ynabe39

まあなにしろ自分は体育やスポーツが大嫌いだからこの問題で公平な意見がいえるとは思えない。

2013-01-22 11:30:05
渡邊芳之 @ynabe39

自分が努力しても就けなかった職業に就いた人が努力していないように見えると無性に腹が立つ。

2013-01-22 11:33:23
渡邊芳之 @ynabe39

「正しいもの」と「正しくないもの」がはっきり分かれる,と思っているから「正しいものを正しいと言わないのはニヒリズムだ」という発想になるんだよね。実際はこれも「程度問題」で「正しい程度」は社会的な関係の中で定まる。

2013-01-22 11:37:25
渡邊芳之 @ynabe39

「愛」とか「友情」とか「公正」とかいった「抽象的な概念」に「社会的関係を超えた正しさ」を帰属させるのは可能だが、実際に「何が愛と呼ばれるか」「どうだったら公正か」などは社会的関係からしか決まらない。

2013-01-22 12:05:18
渡邊芳之 @ynabe39

宗教は典型的な「社会的関係」です。宗教が変われば正義も変わる。 RT @pinkredyellow: それは日本が無宗教の国だからでしょ。

2013-01-22 12:07:50
渡邊芳之 @ynabe39

さっきの「学校にも社会と同じルールを」の話で言う「社会のルール」というのは「社会のルールとは何か」という本質論になるような話ではなくて端的に「法律」です。学校では「外の社会でやったら犯罪になること」を教師や生徒がやっても犯罪にならないことがある,それが学校の治外法権ということ。

2013-01-22 12:51:18

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると.. 自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之 9343 pv 73 15 users 3