稲作やアジア圏における主食の起源のお話

古代中国の稲作と麦作を南北に単純に区分けしてしまう考証は、米だって幾多のしゅるいがあるのだから乱暴すぎる、という話からいろんな知識が集まって、アジア圏の話に。
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地雷魚 @Jiraygyo

ちょっと、古代中国の稲作について調べていて、盲点だった部分を見つけてびっくり。きっかけは先日買った『中国の稲作起源』という本。

2013-01-26 22:16:32
地雷魚 @Jiraygyo

そもそも、現代の中国人が『稲作』、『米』と書いた場合、連想するのはインディカ米、すなわち籼(せん)米のことである。まず日本人は、ここで中国における「稲作文化」というものを勘違いしてしまう。

2013-01-26 22:17:52
地雷魚 @Jiraygyo

司馬遷や班固が『史記』や『漢書』で、南方の人間は米を食べているということについて突起しているため、つい単純に「北方は麦作文化、南方は稲作文化」と乱暴な区分けをしてしまいがちである。

2013-01-26 22:18:55
地雷魚 @Jiraygyo

しかし、すでに古代紀元前8世紀には黄河流域で米は作られているし、それについての遺跡や種籾、米食に関する記述が残されているため、「なんで班固や司馬遷が南方の米食について驚くんだ?」と矛盾が出てしまうわけである。そして優先されるのは史記や漢書の記述

2013-01-26 22:21:01
さとうしん @satoshin257

@Jiraygyo 今でも中国の食堂でご飯を頼むとインディカ米を炊いたやつが出て来たりしますからね。

2013-01-26 22:21:35
地雷魚 @Jiraygyo

実は黄河流域でも米作はされており、その米は粳(こう)米、すなわちジャポニカ米だったわけだ。これについてはさらに細かく、古代においては粳米が黄河流域では食べられており、そして後漢代から晋代にかけて「糯米(もちごめ)」の普及が始まる。

2013-01-26 22:22:53
地雷魚 @Jiraygyo

ようするに古代においては、北方でも北方でも栽培できるジャポニカ米を食べていた地方が多数あり、司馬遷や班固はそれを「米」だと思っていたら南方に籼(せん)米があって、それを作る水田やインディカ米を食べる文化が珍しく特筆したわけである。

2013-01-26 22:24:59
地雷魚 @Jiraygyo

その後、糯米の時代を経て、さらに南方の籼(せん)米が中国人の味覚や料理文化に合ったのか、これが中国における米食文化の主流となっていくわけである。

2013-01-26 22:25:55
サスガ @tigercaffe

@Jiraygyo 稲が元々熱帯地方の植物というのがそうした考えを補強してるんでしょう。

2013-01-26 22:26:25
地雷魚 @Jiraygyo

そして、中国人からしてみれば「稲作の起源は?」と聞かれたら当然彼らの文化での稲作とはインディカ米のことなので、籼(せん)米の起源である南方の長江流域の話となるわけである。というか、そもそも「稲作」とひとくくりにしてしまう考え方そのものが乱暴なのだ。

2013-01-26 22:27:06
地雷魚 @Jiraygyo

現代の大きな区分ですら、ジャポニカ米、糯米、インディカ米と大きく分けらりれ、その栽培法も地域も違う。さらに言えば晋代の『広志』という史書には31種類の稲が分類されており、これらの多くが時代が進むにつれインディカ米に押されてなくなっていったそうだ。一口に「稲」だけでもいろいろある。

2013-01-26 22:29:53
地雷魚 @Jiraygyo

だから現代中国と日本ですら「稲作」のイメージが違っている上に、現代中国の感覚をそのまま引用して古代中国の稲作を語ろうとしてしまうから、「南方は稲作、北方は麦作」という乱暴な分け方をしてしまうわけである。

2013-01-26 22:32:11
地雷魚 @Jiraygyo

ちなみに、史書を読み返すと古代中国で食べられていた穀物は非常に多岐にわたるので「米作と麦作」で分けるのも、なんだかなー、になってしまうわけでした。と『中国の稲作起源』(六興出版)を読んで思い知らされました。農業って奥が深いわ……

2013-01-26 22:33:36
地雷魚 @Jiraygyo

三国志の時代の人間たちは北方出身で彼らは『米』といえば粘りの少ない粳(うるち)米を連想したわけです。そしてちょうど後漢から晋にかけての頃に「新種」として糯(もち)米が現れ、これはわりとごちそうだったらしい。それがなぜインディカ米主流になったかは、まだお勉強中です、スマヌ(笑)

2013-01-26 22:37:43
ありま秀丞 @shuujou_arima

@Jiraygyo 「稲作は長江流域」「日本ではジャポニカ米」「タイ米騒動のときは大変だった」の3つしか認識してなかったのでちょいとビックリな話でした。中国で何ゆえインディカ米が普及していったのかも興味あるところですが…

2013-01-26 22:38:28
地雷魚 @Jiraygyo

@inubue12 ぶっちゃけ、オルドスとか幽州とかからでも米栽培していた記述あるので、本当一緒くたにしてしまったのは乱暴なんやと思う

2013-01-26 22:38:53
地雷魚 @Jiraygyo

中国と日本で文化が違う上にさらに古代と現代でも感覚が違うという(笑) RT @shuujou_arima: 「稲作は長江流域」「日本ではジャポニカ米」「タイ米騒動のときは大変だった」の3つしか認識してなかったのでちょいとビックリな話でした。中国で何ゆえインディカ米が普及していった

2013-01-26 22:39:35
林小可@猫空茶藝館12/31西け20a_新刊『遥かなる近代』第10号 @xiaoke_As

@Jiraygyo 壁|v´) 『論語』陽貨に「子曰食夫稲衣夫錦於女安乎」とあるように、黄河流域の魯でも米は食べられていたわけですしね。あ、ここでいう「稲」がいかなる品種を指すかという問題はありますが。

2013-01-26 22:40:42
地雷魚 @Jiraygyo

たぶんそれがジャポニカ米だったんだろうなー、と RT @xiaoke_As: @Jiraygyo 壁|v´) 『論語』陽貨に「子曰食夫稲衣夫錦於女安乎」とあるように、黄河流域の魯でも米は食べられていたわけですしね。あ、ここでいう「稲」がいかなる品種を指すかという問題はありますが。

2013-01-26 22:41:49
和泉樹林 @IzumiKibayashi

@Jiraygyo また稲作渡来論争がややこしくなりそうな……。

2013-01-26 22:42:02
創作文芸サークル時の輪@通販受付中 @Kamimura_Maki

@Jiraygyo 日本で言う古代米(赤米など)のような感じでしょうかね?>31種類の稲

2013-01-26 22:42:16
地雷魚 @Jiraygyo

粳や粫、ノギ辺に穴の漢字を探るとでてくる RT @xiaoke_As: @Jiraygyo 壁|v´) 『論語』陽貨に「子曰食夫稲衣夫錦於女安乎」とあるように、黄河流域の魯でも米は食べられていたわけですしね。あ、ここでいう「稲」がいかなる品種を指すかという問題はありますが。

2013-01-26 22:42:29
地雷魚 @Jiraygyo

もっとややこしいこといってやるわ。どうも稲の「イネ」という言葉は北方の「水稲」からで、「コメ」ということばは南音の「穀米」からきているのではないか? という説も書いてあった、おもすれー(笑) RT @Izumi_asato: また稲作渡来論争がややこしくなりそうな……。

2013-01-26 22:43:57
地雷魚 @Jiraygyo

赤米、青米、黒米など多数あったそうな(笑) そして例によって『広志』は五胡十六国のときに散逸、ファック司馬氏(笑) RT @Kamimura_Maki: @Jiraygyo 日本で言う古代米(赤米など)のような感じでしょうかね?>31種類の稲

2013-01-26 22:45:59
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