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松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
お久しぶりです。発達障害について気づいたことをまたつぶやいていきたいと思います。 テーマはこちら。 RT @nhk_heart: 「発達障害 苦手なことは克服すべき?vs.ありのまま受け入れる?http://t.co/e9VwIIv7
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私は発達障害の診断を受けたのが20歳です。すぐ就職を控えていたことと、その当時(10数年前)に成人が受けられる支援がなかったために、私はかなり極端な「克服派」になりました。ごく最近までそうでした。この私のtogetterによく現れています。http://t.co/733PbNH9
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私は「克服派」の考え方を貫き通した結果、20代の後半になって、私は一般就労してサラリーマンとして平均的な給与と社会的地位を得ることができました。不注意は相変わらずですが、そのかわり企画力やプレゼン能力を評価してもらいました。
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そのことによって私は自身の「克服する」という考え方について自信を深めました。その一方で、「ありのまま」系の考えを持つ当事者や支援者が、本人が社会適応できずにいることを「社会はありのままの自分を(この人を)認めてくれない」と嘆いていることについては、率直に言って、蔑んでいました。
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これが、20代の私のスタンスです。このスタンスが30代に入って変化してきました。その理由は、職場に適応した結果、仕事の責任が増してきたためです。
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端的に言えば、「絶対にケアレスミスが許されない」という状況が増えてきました。ミスが直接、金銭的損失に繋がるような、そういうシチュエーションが増えてきました。
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それから、担当するプロジェクトの内容も複雑になった。一つのプロジェクトを完成するのに六ヶ月かかる、その過程で70くらいタスクがあり、それらがすべて適切にスケジューリングされねばならない。そういうプロジェクトを2ないし3つ同時並行で廻す立場になりました。
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私はADHDの克服を目指してきましたが、ケアレスミスを完全にゼロにするとまでは考えていませんでした。しかし、現場はそれを求めてくるのです。
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計画性のなさは大分克服してきたつもりでしたが、六ヶ月間に渡り3つのプロジェクトを精密に切り回せるようになろうとまで思っていませんでした。しかし、やはりこれも現場で求められるのです。
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何が絶望的かと言って、周りの人間はミスしないのです。プロジェクトを切り回せるのです。それができる人間が生き残っているのです。ここに来て私は初めて、自分の障害を克服すべき対象としてではなく、受け入れるべき特性として見つめなおす必要に直面しました。
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今の仕事はでは、どう考えてもこれ以上上のステージには登れない。もっと自分の障害特性に合った仕事につかなければこれ以上の向上はない。そう考えるようになりました。
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そして、もう一つは、自分一人ではこれ以上上には行けないということです。「克服」の代償として、私は人に助けを求めることができなくなっていました。助けがなくともやるのが自身のプライドだったのです。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
しかし、一人でこなせる仕事量は決まっている。それ以上のことをやるには、チームを組織して、自身を含めメンバーを適材適所に配置し、しかもその判断についてメンバーの信頼を得て支持されねばならない。そういう経験を積むことを20代で怠ってきてしまいました。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
今までのように「克服」の努力は続けていくけど、それだけではもうダメで、「ありのまま」というのではないけど、自分一人でできることは限られているし、人に助けてもらわなければならない。そういう必要性に直面しています。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
私の言っていることが、極端にレベルの高い話だと思った人もいるかもしれません。しかし、この時代、一般就労で平均的な給与を得ている30代前半のサラリーマンとして、この要求が極めて高い水準だとは私には思えません。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
「障害を克服した」ということが、「職場で要求された役割を大きな問題なくこなすことができる」ということだとすると、それは会社からみれば「言われたことだけしかできない」ということにしかならない。20代はそれでいいが、30代、40代とそれで走っていけるか。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
と、ここまで考えてくると、「障害を努力して克服!」なんて力んでいるのは実に狭い、自分だけの世界の話である。問題の本質はそういうところにはない。月並な言い方だが、現在の労働市場の広く鑑みて人材としての自分の付加価値をどう高めるか、という話になってくる。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
発達障害を克服すればしただけ、仕事で要求される水準も高まってくるから、ここまでやれば克服した、というゴールは存在しない。というよりも、「自分の弱みをここまで克服したからもう充分だ」と思う人間を労働市場は評価しない。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
なので、自分の弱みはどこまでも克服していく、自分の強みはどこまでも伸ばしていく、さらに自分以外の人間にときに助けを求め、ときにリーダーとして指導する。となんでもやっていかねばならない。ここまで来ると発達障害はほとんど関係ない。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
では、なんのためにそこまでして自分を成長させねばならないのか・・・・。実はここで、その仕事が持つ社会的意味が問われてくるのだ。自分の特性にあうとか、条件がよいとかいう問題ではない。自分の仕事を誰かが必要としているんだ。それは自分でなければできないことなんだという矜持がなければ。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
RTありがとうございます。これはホントにそう。それは素晴らしいことであると同時に怖いこと。 RT @yaguramorino: 健常者が作る社会がどうこう、じゃなくて、社会は求められる能力さえあれば健常者も障害者も平等に扱うんだよね……良い意味でも悪い意味でも。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
こういう文言は障害者自立支援法とかに抵触しないのかな? RT @ayammin: いまの新潟県の障害者求人、応募要件にも「自力により通勤ができ、かつ、介助なしに職務の遂行が可能な人」ってある。http://t.co/mXD9PbEp
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
そうなんですが、克服の努力をしたからその先も見えてきたわけで・・・RT @moon_pegasus: 自分の首絞めてるよーなもん"@_citadel: 発達障害を克服すればしただけ、仕事で要求される水準も高まってくるから、ここまでやれば克服した、というゴールは存在しない。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
これはもう一つ大きな議論になります。 すべての発達障害者がこうした向上の志を持つとは考えていません。しかし、その志のない人は果たして充実した生を得られるか?@nagasi841: 能力向上論は、すべての方に適応するかと考えると難しくなってくると思います。
松本太一@アナログゲーム療育 @gameryouiku
これは当てはめられるかそうでないかという問題ではなく、「私が」そういう道を選ぶのかそうでないのか、という自己決定の問題です。そんな能力向上論に組みしなくたって、幸せになる道はあると思う、現に私は幸せだ、という人がいればすばらしい。@nagasi841 @yaguramorino
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