《NHKスペシャル「汚染地帯で何が起きているのか チェルノブイリ事故から4年 」(1990年)文字起こし》

今はなぜか、アーカイブでも見ることができないという、「汚染地帯で何が起きているか チェルノブイリ事故から4年 」(1990年にNHKスペシャルとしてテレビで放送)を文字起ししました。 一度楽天ブログ経由でまとめを作ったのですが、読むのが楽な形ではなかったので、まとめ直しました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

0 NHKスペシャル「汚染地帯で何が起きているのか チェルノブイリ事故から4年 」(1990年)文字起こし 題字『NHKスペシャル』

2013-01-27 16:51:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1 (窓の外枠に、侵入防止用の木材を打ち付ける男性。 見守る妻と思われる女性) ナレーション(以下「N」と記入)チェルノブイリ原子力発電所から300km離れたヘブリン村です。 原発事故で、この村が原発周辺と同じくらい汚染されていたことが分かり、 避難命令が出されました。

2013-01-27 16:51:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2 N 事故から4年も経った、今年4月のことでした。(オーブンと思われるものをトラックの荷台に積み込む男達。) 住民女性「生まれ故郷と これでお別れです。 もう二度と ここへ帰ることは ないでしょう。 残念でたまりません。」 (トラックに乗り込み、手を振りながら村を出て行く夫婦)

2013-01-27 16:52:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3 N この村のように、4年も経ってから避難命令が出た人の数は、 20万人に上ります。 (人の気配がない村を、ずっと映し出す画面) N:色もにおいもしない放射能が、村を消し去りました。 (遠くで犬が2声、ワン、ワンと鳴く)(放射線測定器を持つ手が、草の上を歩きながら移動する。)

2013-01-27 16:54:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 (足音が聞こえる。「0.4」という声が聞こえる。)N:現在のこの村の放射線の強さは、 東京で測定される放射線の100倍を示しています。 この村の人たちは、この強い放射線を、 4年にわたって浴びてきたのです。

2013-01-27 16:54:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

5 チェルノブイリ発電所の上空からの撮影画像。 タイトル「汚染地帯に何が起きているか~チェルノブイリ事故から4年」 (前方まで平野部に広がる道路 少ない人影)N 原発を中心とした半径30キロゾーンの入り口です。この30キロゾーンでは、 事故直後に住民全員に対して退去命令が出ました

2013-01-27 16:55:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6 N 今も、厳重に立ち入りが禁止されています。(検問の為に取材車両に寄ってくる兵士達。 車の扉を開けて、兵士に説明するスタッフと思われる男性) (走行する車内からの映像  人気が感じられない状態で点在する、平屋建ての家)

2013-01-27 16:55:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

7 N 事故直後、おびただしい放射能が降り積もった大地、 左右に人影はなく、廃墟が延々と続いています。 原発に近づくにつれて、放射線の値が次第に上がっていきます。(バスと思われる車内。)

2013-01-27 16:56:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

8 N 放射能汚染をの実態を調査するために、 放射能測定の専門家、岡野正治博士が取材班に同行しました。 (字幕 元 理化学研究所 岡野正治さん)あわせて、取材班の安全についても助言を仰ぎました。スタッフ?「自然界の何倍くらいの数字なんですか?」

2013-01-27 16:57:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

9 岡野「自然界の、まあ東京あたりの100倍っていうところですね。」 スタッフ「100倍! 人間は住めないですか」 岡野「住めない」スタッフ「住めない・・・・・・」 (画面、放射線測定器のアップ。 〈残念ながら、画面が粗いために数値が見えない〉

2013-01-27 16:57:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

10  バスの窓の外を映すカメラ。 家の跡と思われる瓦礫が道の横に続く。 住民が勝手に帰ってきて住まない様に破壊された住宅群と思われる) N 放射能で汚染され、取り壊された建造物の向こうに、 事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機が姿を現しました。

2013-01-27 16:58:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

11 (水を放射しながら走るトラックが画面奥から来て、 取材バスの左側を通り過ぎていく) N 走り回るトラックの群れ。 降り積もった放射能のほこりが飛び散らないように、 地面を薄い幕で覆うコーティング剤などが、毎日撒かれています。

2013-01-27 16:58:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12 (ソ連軍の制服と思われる服一式を帽子まで、全員が着用した取材陣)N 日本の取材陣では初めて、事故を起こした4号炉の中へ、入ることが許されました。 現場の放射線の数値は今でも、 日本の原発労働者の作業基準値をはるかに超えています。

2013-01-27 16:59:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

13 (建物の廊下を、白い服上下、白い帽子、マスク着用で歩く人たち) N:岡野博士のアドバイスにより私達は撮影時間を 30分以内に限ることにしました。 (建物内を放射線測定器を持って計測しながら歩く、 白衣にマスク着用の岡野博士)

2013-01-27 17:00:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

14 N:炉心に近づくにつれて、次第に測地駅の数値が上がっていきます。 (博士が持つ測定器のアップ。この表示では、 レンジがどの桁にスイッチされているのか分からないので、 値は読み取れない) (その装備のまま廊下を歩く取材班を正面から撮影する映像) (室内の映像)

2013-01-27 17:01:16
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

15 テロップ「4号炉コントロールルーム」 N:4号炉のコントロールルームです。 放射能が舞い上がらないように、 室内は厚いビニールで覆われていました。 (「30-55」」や「24-57」のような番号が つけられている計器やスイッチの上が ビニールで覆われている映像)

2013-01-27 17:01:39
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

16 (「0.5p」などの文字) 通訳の声「これは、事故のすぐ後で、書かれました」 N:壁には、危険な消火作業にあたった人たちが書いた、 放射線の測定値が残されていました。 荒れ狂う原発の暴走を食い止めようと、 必死の努力を続けた職員や消防士、31人が倒れ、死んでいったのです。

2013-01-27 17:02:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

17 (太いパイプが横に通っている通路。 花束を抱えた人がそこを歩いていく) N:我々取材班と一緒に、4号炉への立ち入りを許可された人がいます。 ナターシャ・ホディムチクさんです。 事故が発生したとき、原発職員だった彼女の夫は、 炉心に最も近い場所で働いていました。

2013-01-27 17:02:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

18 (カメラ、歩いている女性の前に回り、顔を映す。マスクを口の下まで下げて、左手に持ったハンカチで涙を抑えている。) N:遺体は、燃え盛る4号炉から運び出すことさえ出来ず、 5千トンの鉛や砂と共に埋葬されたのです。

2013-01-27 17:03:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

19 (女性、祭壇のようになっているモニュメントの前に立つ。) 炉心から壁で隔てられたところに、 夫を弔う墓標が作られていました。 (モニュメントの前にある花瓶に、持ってきた花をさす女性。 必死で収束作業をする作業員をモチーフにしたと思われるモニュメント。 泣き続ける女性)

2013-01-27 17:03:41
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

20 N ナターシャさんは、 事故直後にここから100キロ離れたキエフの町に避難して、 残された2人の子どもと共に暮らしています。

2013-01-27 17:04:35
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

21 (モニュメントに「26・4・1986」の文字。 チェルノブイリ原発事故発生の日付。カメラ、少し引いた映像で、 モニュメントに全身を押し付けるようにする女性を映す)(切り替わって、事故発生直後のチェルノブイリ原発の空撮映像。 煙と炎が見える。)

2013-01-27 17:05:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

22 (続いて、撮影したヘリの操縦席を後部座席からの映像。)N 1986年4月26日未明、チェルノブイリ原発4号炉が爆発。 史上最悪の原発事故になりました。 (4号炉を地上から見た映像。 高い煙突。軍事用と思われる車両が何種類も何台も走りまわる)

2013-01-27 17:05:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

23 N 真っ赤に焼けた破片が、暗い夜空に舞い上がり、 原発のいたるところで火災が発生。 (建物からガスマスク装備で駆け出す作業員たち。 地上においたホースから水を出して 消火作業をしていると思われる映像。 水はホースの先で水溜りになっている)

2013-01-27 17:06:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

24 N 燃え続ける核燃料は、4000度の高温に達しました。 吐き出された放射能は、広島型原爆の500発分にも当たりました。 (ガスマスクをした作業員がスコップで 爆発の瓦礫と思われるものをすくい、歩いてその先まで捨てに行く)

2013-01-27 17:06:56
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