- jonathanohn
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@tyogyoku_9 それ、地雷魚さんは真逆に捉えてるね。そんな母親は存在しなかったって。僕もそれが自分を売り込むための都合の良い母親像だと考えてるかなー
2013-01-28 14:47:11地雷魚さんの説(小説形式ですが)はコチラ
@tyogyoku_9 読むように強制されたか、自発的かはわからんね。でもまあそんだけ貴重な書物が手に入る環境だったのは間違いないし。年齢はたぶんでまかせw
2013-01-28 14:53:28@SnowBirdYuki 四歳だかで古典は無茶ぶりすぎるww なんというか書物の英雄を自分に重ねちゃってしかも下手に能力あったから暴走しちゃったんだろうなというのが所感
2013-01-28 14:58:10@tyogyoku_9 鍾会についてはCEの可能性から人間性を語りたいかな。まあ軍事にも政事にも類を見ない優秀さを持ち合わせた狂人というのは概ね正しいとは思うよ。あまりにも純粋なエリート中のエリートってやつ
2013-01-28 15:03:30@tyogyoku_9 鍾会はそこまで野心家じゃなかったとはガチで思ってる。少なくとも周りに野心家だと思われまくってるってのは。いっぱい証言あるけどもw
2013-01-28 15:05:12@tyogyoku_9 これに関してはアレだな、司馬昭の周りが騒ぐ→当人が焦るという典型的なパターンが当てはまるかもねw 毌丘倹や諸葛誕みたくw
2013-01-28 15:16:10@SnowBirdYuki 司馬昭も反乱続きで手慣れてる感溢れてて笑えるw ちょっとでもその気があるなら反乱分子いぶりだそうって腹だったのかな
2013-01-28 15:20:34@tyogyoku_9 むしろそれを狙ってたのは司馬昭の側近じゃないかな。少なくとも鍾会に関しては、司馬昭にその気はなかったと考えてる。かなり受け売りだけどw
2013-01-28 15:25:44@tyogyoku_9 司馬昭が賈充と自分の軍を動かしたのは鄧艾逮捕の後の隴右情勢を懸念してのことだって話ね。それを鍾会が勘違いして暴発。元からあいつは反逆するぞって本気で司馬昭が思ってたら、大将に据えて差し向けないし鄧艾逮捕も許可しないからね。あの辺は後付けが多いと思ってるw
2013-01-28 15:41:44@SnowBirdYuki ふむふむ、馬超みたいな早とちりか。「劉備ぐらいにはなれる」も彼なら言いかねないと思っちゃうけど誰が聞いてたのって感じだしなー
2013-01-28 15:46:56@tyogyoku_9 @SnowBirdYuki 馬超は早とちりではないでしょうが……。とはいえ、司馬昭にしても独立への危惧はゼロではなかったとは思います。あるいは予想より勝ちすぎてしまったのかもしれませんが
2013-01-28 15:50:32@sidenp @tyogyoku_9 誰にでも抱く程度の疑惑はあったと思いますよ。鄧艾潰してあんだけ力握られたらまあ普通は焦るでしょうしねw どこまで具に報告が入ってたのか疑問ですけど、姜維が手元にやってきて鍾会が上機嫌だったのは耳に入ってたでしょうからね
2013-01-28 15:57:26@tyogyoku_9 劉備ぐらいにはなれるって言葉も受け取り方によるだろうしね。歴オタだしホントは高祖になぞらえたかったけど、魏の正統性を否定して立ち上がった劉備のほうがウケが良かったとか。まあ当時の状況考えると、蜀を治めた劉備のことを軽んじてるわけではないかなと思うよ
2013-01-28 15:54:30