【シューニャリアーナ享受論】藝術享受に文脈は必然か?

日記形式の現象学みたいなもんですね まあ本題としては、アレです 藝術大学の卒業創作が、結構「アレ」の文脈に沿って作られてるっぽい感じを受けたという事です。 つまりつまって批評の作ってきた文脈ね。 彼らの(私たちがもしその文脈を知らなければ自由な藝術だと思うところの)創作は、そのカッコのお蔭もあってか、とても良い刺激になった。だが同時にそれは私自身がこの藝術を通してかの文脈を感性的に受け入れていることをも意味する。 続きを読む
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

エル・グレコの宗教がは特徴的な事としてほかの宗教画に比べ「ポップ」なんだろうなあ、と思った。形式、様式はちゃんとなぞっていながらも、それぞれ彼なりの非常に個性的なキャラクター付けがされていて、見ていて「面白い」(≠美しい)という感じが与えてある。

2013-01-27 21:11:12
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

レンブラントとか今まで見てきた画家の絵がクラシックだとしたらグレコのはロックって感じ。当時もこんなふうな客の目線をあてがった創作の仕方があったんだなあ、っていう印象を与えてくれましたね。

2013-01-27 21:12:05
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

あと、東京藝大の卒業生の創作も一通り見て回りましたw。てか個人的に、こっちの方が自分には刺激だった(笑)。というのはなぜかっつーと、…まあ、くだらなさ過ぎてへが出る理由だけど⇒宇野と東の批評本を読んで思ったことが重なってたから(えっえっ

2013-01-27 21:13:56
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

…要するに社会批評論の文脈が勝手に作った言語ゲームを間違いなく影響元としてるな、っていうのがあったからです。僕もはるかさんも、藝術≒言語ゲームを超えるもの、っていう考えをどこかで持ってますが、(続く)

2013-01-27 21:14:55
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

これらの藝術は、そういった言語ゲームのあてがうものにかなり影響されていた。というか、露骨なまでにそれのキーワードが出てくるんで「ええっ」って思う訳でした。

2013-01-27 21:15:47
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

で、そういうのを見てて思ったのはその作品の良しあし、とかいう話じゃなくてもっと重要な実感だった。

2013-01-27 21:17:33
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それは、僕らは「知らず知らずのうちに自分の批判する論壇のその考えを(こうした藝術を経由すると特に)その通りであるかのように受け入れている」という事実である。

2013-01-27 21:18:34
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

アーキテクチャでもフォーマットでもキュレーションでもなんでもいいんですけど。

2013-01-27 21:18:50
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

とりあえず今批評で言われているのはそういった私たちの生活する空間、それそのもののデザイン化・社会的建築化(アーキテクチャ化)をねらったもの、なんですね。そしてそれが消費社会である場合に、消費社会のアーキテクチャ、としてのデザイン、が当然ながら、文脈となるわけで。

2013-01-27 21:19:54
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまりは、「それを売っている」ということ自体が、作品のテーゼとして提示されているというような事態まであったりするわけで。まあ、「メタ」の系なんですよ、要するに。

2013-01-27 21:20:42
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

で、そういうメタ-ソーシャルに開かれた作品っていうのは、はっとしたときに作品の価値をかなり問いただされる。とくに、カオスラウンジを強く批判する私なんかがそれを見ると、当批評へと言及しようとする自分たちへの恐ろしさが強く立ち現れてくるわけです。

2013-01-27 21:21:55
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

えーっとね 「Museum Shop」があったんですよ ええ、当然ながら美術館のお店ってことです あ、これ作品名ですよ(笑)

2013-01-27 21:26:13
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

Museum Shopには、その周囲の藝大生の作品の写真のポストカードがそれぞれ数枚ずつ売り物のように置いてある。そして、これ、お店のように見えるけど、なんと買えるのです(ホントです)。私も一つ買いました。

2013-01-27 21:28:31
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

どういう事かというと、ものを売る、大量の複製を置く、ということそのものを風景として作品として柵定している、って事なんです。それは、ある種奇妙な性質を思い浮かべさせます。

2013-01-27 21:29:08
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

当然ながら、なくなったら替えのポストカード見本と「Sold out」が置かれるわけですが これって怖くて。僕は買う時敢えてそこのお店の女の人にこう言ってみました「貴方は作品ですか?」と(笑)

2013-01-27 21:31:07
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

作品というか、作品以前というか、まあ要するに柵定された呈示物を販売している、その状況そのものが「作品」というカタチの柵定を以て呈示されてる、ってことは、それを購入する自分たちまで作品の内部に定義されてるってことですよね。

2013-01-27 21:33:31
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

買える、ってことは、それを入手する=柵定物の一部を外側に拡張すると言う事でもある。売り子がいてそれの売れを扱っていることまでが「購入する」という契約に当て嵌まるとすれば、もしかしたらその売ってる人だって作品として定義されてることになるかもしれない。

2013-01-27 21:35:37
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

これって奇妙で、売ること、つまり商売自体が藝術的だ、っていう見方、と、その逆、藝術自体が商売の一部だ、って2様の見方がありえるんだけど、僕は前者の見方をしたので、かなり怖い気分がしたんです。

2013-01-27 21:37:22
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

怖い気分。なんというか、「作品に参加している」という気持ちは、どうも感じなかった・・・・というか、参加してるんだけど、それは「途中まで」で留まっていた。こうして定義されたことで自分までこれの内部として「他的に決定された」という気持ちだけがあった。

2013-01-27 21:38:32
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

だからもしかしたらそのMuseum Shopの隣のお姉さんも作品なのか、此処に来てるみんなもそういうものとして文脈化されてるんじゃないか、っていう怖さの方が僕にはあったんですね。

2013-01-27 21:40:38
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

売り子の女性の方は「作者」ではなかったから、きょどっていたけれど、どっちにせよ、なんていうんだろうな、。・・・・ああ、テレビの韓国ドラマが煩い

2013-01-27 21:42:21
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

で、こういう空間に自分たちが安易に参加できた、…ていうのって、アレカオスラウンジの踏み絵とかと似てるよな…と。

2013-01-27 21:45:19
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

今手元にポストカードがあるが、今ここで破ることもできるわけだ…(破るつもりはないけどね)。

2013-01-27 21:45:49
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