出家とストレスと寿命談義~天皇(院)・足利将軍・執権~

『源氏物語』の朱雀帝が、出家後元気いっぱいになっちゃったというツイートから、私は出家してから元気ハツラツと政治行い、当時においては長寿を保った、白河院や後白河院を想起しました。一方、出家できず政治の重圧をまともにうけた一条天皇は早世…。その事をつぶやきましたら、同様の事が足利一門や北条得宗家においても言えるとの貴重な意見を頂きました。このままログで流してしまうのはもったいないと思い、まとめました。
人文 北条 出家 御内人 寿命 足利 天皇
5
くたに@グッズ通販受付中 @rekei_chlh
宇多・醍醐・朱雀・村上がモデルとされてる源氏の朱雀帝に誰かはまってくれないかなー。仁和寺がモデルとされるお山のお寺で法皇さまやってるかわいい子だよ。
くたに@グッズ通販受付中 @rekei_chlh
性格的には宇多+醍醐な感じ?でも一部では基経に圧政された時の宇多ちゃんみたいだし、二部では元気に法皇さまやってるしやっぱり宇多ちゃん?

↑このくたにさんのつぶやきに触発されて、私は天皇は退位し・出家すると急に活き活きしはじめる事に気がつきました。

葉つき みかん @hmikann
RT>そういえば、実際の天皇さん達でも、退位して出家してからの方がお元気になっているなぁ。天皇の地位とい精神的重圧が取り除かれると、こんなに人は活き活きとなるんだ。
猫怖大夫牧野さん @mknhrk
@hmikann 足利も出家して政治とは距離を置いてる男児はみんな70歳オーバーデフォだったりして、朝廷や幕府の過酷さが思いやられます
trushbasket @trushbasket
@mknhrk @hmikann 一方、出家してからも短命な北条さんたち…。【麓】
猫怖大夫牧野さん @mknhrk
@trushbasket @hmikann なんか北条は途中からやたら虚弱になってませんかね。あれ
trushbasket @trushbasket
@mknhrk @hmikann 泰時の次世代あたりから急に。【麓】

北条重時 
生没年 西暦1198~1261 享年64歳(数え)
通称:極楽寺殿

鎌倉前期の武将。義時の三男。
六波羅探題・連署を歴任して、執権・時頼を補佐。のち出家。
彼の残した「北条重時家訓」は、後世の武家家訓の元となった。
『大辞泉』

ダダ子・トルテッシモ @catdrug
@trushbasket @mknhrk @hmikann あれ重責なのか、その頃からあの階級層で摂取するようになった習慣物の中に当時は毒と判ってなかった毒物でも入ってたのかっつーくらいに若死していきますよね
trushbasket @trushbasket
@catdrug @mknhrk @hmikann 得宗家はえらく突出してる気はしますよね、そのあたりが。【麓】
猫怖大夫牧野さん @mknhrk
@trushbasket @catdrug @hmikann 泰時なんか見てると「眠らず食わずで24時間働けますかー!?執権!執権!僕らの執権!」的なノリが鎌倉幕府の上位層にはあるよなあと
trushbasket @trushbasket
@mknhrk @catdrug @hmikann それが大きな要因ですかねえ。【麓】
ダダ子・トルテッシモ @catdrug
@trushbasket @mknhrk @hmikann そら御内人の仕事も権限もデカくなるはずですわ

御内人(みうちびと)

鎌倉時代の北条氏の直属家人。将軍に仕える御家人に対比して、得宗(とくそう)被官を呼ぶ。
三代執権・北条泰時の時、邸内に御内人の宅が置かれ、本格的に進出。

身分は低かったが、北条氏の使者や代官となり政治活動を行い、また膨大な北条氏の所領を管理して経済力をつけた。

各地の御家人との対立が深刻化、御家人層の離反を招き幕府崩壊を早めた。

得宗と強い主従関係で結ばれ、北条氏に殉じて滅んだ。

『百科事典マイペディア』

ここで話題は一旦休止…。

葉つき みかん @hmikann
@mknhrk なるほど・・・。私は出家しないで(と言うか、する暇がなくて)若死にした天皇は一条天皇を想起し、出家して政治から距離を置く(または政治を思い通りに動かす)そしてストレスなく生きて長生きした法皇は、白河、後白河を想起しました!
猫怖大夫牧野さん @mknhrk
@hmikann 出家してまで政治に関わりたいっていう人は、元々バイタリティーがあるとも言えそうです。鎌倉時代は執権に限らず、大身御家人なんかも電撃出家が多いですが、精神的に逃げたくなった結果の行動という解釈はやっぱりできますからねえ

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする