被無断転載を黙認する事の是非の話から哲学のお話へ?
無断転載をする側の話、無断転載される側の話として、許されないという部分は多く語られていると思うのだけど、無断転載及び権利侵害をされる側として何らの意思表示なくそれを許す行為の是非というのは、どうなのだろうなぁ。
2013-01-28 00:28:19個人的には、自身著作者の立場である時その該当著作物の「無断転載」は歓迎である。ただし、転載の許諾申請には基本NOという。そんな立場にいようと思う。でもそれは許される事なのだろうか、なにか、こうもやもやとした疑念がある。
2013-01-28 00:33:24その様に積極的に無断転載を望まなくても、結果として無断転載をされた時に、それを宣伝になった解釈して喜び、黙認するのは褒められる事だろうか、若しくは許されるだろうか。
2013-01-28 00:34:46@3or7935 褒める、許す、の主体が不明ですが、日本の著作権法においては著作者にはその裁量が認められています。不公平な権利行使も可能です
2013-01-28 00:38:26@Alice12x08 法律の規定を考えれば当然そうですよね、その場合その観点から「許される」という一つの解答として認められますかね。褒められるという表現はあまり一般的ではないですかね。つまり法律で許される行為に倫理の問題が発生するか否かというニュアンスを含んでいると思います。
2013-01-28 00:48:55@Alice12x08 つまり様々な主体(集団意思)がある事を認めそれがどの観点から許されるないし許されないといえるかという問題として、世界の統一した従うべき規則を見いだそうとするのでない。というのが基本的な意図です。一創作者としてのプロパガンダ的な面も実はあるのかも知れませんが
2013-01-28 14:21:32@Alice12x08 ここでいう集団意思で想定するものでは、法律はその明確な集団意思の一つだと思います。法は、それに従う集団の意思。若しくは意思の集団によって成立し得るといった感じです。まぁこれも聊か誤解を招くか、若しくは当然に批判の対象ではあります。法の機能は何故に機能するか
2013-01-28 19:30:51@3or7935 意思の統合が不可能である故の法でしょう。法は人の意思よりもひとつ上のレイヤーに存在します。従うことを選択するのではなく、従わなければならないものです。矜持や教義や信念や思想信条とは明確にレイヤーが異なるので集団意思?の一種とみなすことには異論があります
2013-01-28 20:28:04@Alice12x08 法が法である為の意思統合の不可能性というのはあるでしょうか?集団がその意思をして合意するからこそそれは法で、その内で言語において示されるのが法律では?その機能性は従う意思によりあるか、若しくは存在論的法が人を従わせているか、又は公権力がそれの実効性を担うか
2013-01-28 20:52:00@Alice12x08 仮に、先ず法が在り、そして人は法に従う。その時には法は発見されるものでなければならない。もしそれが人によって作られ、それに従う時、従う集団の意思を持って従うのでなく、従わされているのであれば、法に先立ち(特定の個か集団の)人の意思が人を支配しているのでは。
2013-01-28 20:59:46@3or7935 法を規定するのは合理では。人の意思は不合理です。ですから意思でなく合理に強制力を持たせるのでは。わたしの異議は法とその他の選択可能な合意を同じレイヤーに置くことだけです
2013-01-28 21:40:58@Alice12x08 合理と不合理と法の関係とは――合理により法が規定され、その法に従うべき人がその法に当然厳格に正しく従う時にその従う人に不合理性を認められるのか。人々が不合理である為に合理に強制力を持たせる為に人々は不合理でなければならないのか。
2013-01-28 21:54:09@Alice12x08 (集団の?個人の?)意思が常に不合理である時に意思は合理の規定する法に支配される事は可能なのか。選択可能な合意のほか選択不能な合理を持ち出す様な事態に陥るのか(この負の表現に特別の意図なし)、また合理に強制力を持たせる存在とはどの様な存在なのか。
2013-01-28 21:56:21@Alice12x08 しかしここでいう合意がそれを担う「絶対的な存在」を認めない時に、聊か、規約主義的に理解できてしまうというのはある。つまり絶対的存在としてこの合意を扱ってしまうので、神がいるそれによって法があるという意味合いなってしまってはいるとは思う。
2013-01-28 21:59:17@3or7935 不合理であることの自由が合理によって認められていますね。わたしの異議は意思によって選択可能であるものと法を同じレイヤーに置くことです。集団意思?の一形態として法を含むのであれば、それは集団意思ではなく法であるべきです
2013-01-28 22:00:01@Alice12x08 集団意思と法はほぼ同義か同感覚でその一つが「法律」法と法律はここでは区別していて、法律が法律として機能するための法があるだろうといって。そのため主体(法及び集団意思)。その主体は感覚を持ち意識を持たないものとして個ではない事が要請されると思う。
2013-01-28 22:03:46@Alice12x08 ある規則が規則である為に、別のレイヤーの規則が必要。繰り返す。といって、であるならば、それが規則である為に「その規則」と隔絶的な、超越的な存在があるのではないか。人が法に従うために法がある。(人が法に従う)法が法である為に人がいる。(意思が法を機能させる)
2013-01-28 22:09:31@3or7935 無限に上昇していけばいずれ絶対者の存在は必要になりますね。わたしは「科学的態度」ではないかと思います。つまり合理です。かつては神であったかもしれません
2013-01-28 22:27:43国家が法に強制力を持たせるのは暴力によって。宗教が教義に強制力を持たせるには「死後の幸福」を人質に取るのが常道。大衆の教養水準が低い中で普及させるための苦肉の策でしょう。教養レベルが上がれば宗教の意義は薄れる。合理によって規範に従うことに同意できるから
2013-01-28 22:35:07