木村幹氏(神戸大学院教授)が大河ドラマを材料に「アジア銃弾発達史」語る/※投石器の話も
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金玉均は安東金氏のおぼっちゃんなんで、無理なんですよ。QT @ogopogon: あの役は、金玉均になるかと思ってましたが大院君となってたのが少し意外でした
2013-01-27 23:04:23甲申政変は「急進開化派」のクーデターである以上に、政権から排除された超名門両班貴族若手のクーデターですからね。朴泳孝なんて「前国王の婿」ですから。QT @ogopogon: 外戚の一族ですか
2013-01-27 23:14:59再び本論~アジア銃弾発達史に戻って
おまけ。19世紀後半の銃弾の進歩の一つが「薬莢」。銃弾と火薬が一体化する事で、装填の手間を飛躍的に減らしたこの発明は、同時に実用的な後装銃の普及にも不可欠だった。「八重」を見ている人は、八重が使う銃弾と、彼女が銃弾を筒の前と後ろのどちらから装填するかをも見て下さい。
2013-01-27 23:03:34@kankimura もう一つは実は日本刀なんです。鎌倉時代の対大陸への主力輸出品で明代には中国皇帝の親衛隊は日本刀装備がデフォルトであったことは中国の研究者が実証した。東アジアで日本刀と日本剣術が大きな影響があったという歴史には残念ながら日本の研究者の関心は少ないように思います
2013-01-27 23:08:16因みに個人的には会津攻城戦で綾瀬はるかが、紙薬莢をワイルドに歯で噛み破って小銃に装填し、唇から血を流しながら連射するシーンを希望(←すいません、ただのオタクです)。
2013-01-27 23:10:53倭刀はもう一つのポイントですよね。反りのある鋼のついた刀は朝鮮半島にも影響を与えました。QT @tomojiro: もう一つは実は日本刀なんです。鎌倉時代の対大陸への主力輸出品で明代には中国皇帝の親衛隊は日本刀装備がデフォルトであったことは中国の研究者が実証した。
2013-01-27 23:17:03銃弾おたく続き。朝鮮王朝の使節団から西洋化へのアドバイスを求められた、李鴻章と北洋軍閥の技術者が「銃弾の重要性」を伝えたのも、「銃を輸入しても銃弾が量産できなければ使い物にならない」から。当時の朝鮮王朝の財政で、小銃の量産は難しかったので、まず薬莢の生産技術習得を勧めた。
2013-01-27 23:19:24戦闘能力の高い剣だからでせう。@kankimura 倭刀はもう一つのポイントですよね。反りのある鋼のついた刀は朝鮮半島にも影響を与えました。QT @tomojiro: もう一つは実は日本刀なんです。鎌倉時代の対大陸への主力輸出品で明代には中国皇帝の親衛隊は日本刀装備がデフォルト
2013-01-27 23:21:40今、だらだらツイートしている内容は、拙博士論文でもある「朝鮮/韓国ナショナリズムと『小国』意識」(ミネルヴァ書房、2000年)の第4章と第5章に書いてあります(元論文は92年と93年)。自分が四半世紀近く前に書いた論文1号と2号です(^^;)。ご関心の方はそちらをどうぞ。
2013-01-27 23:23:36その点も含めて機動性もよかったので威力を発揮したのではと。@kankimura いや、「切る」という発想が斬新だったんですよ。基本的に東アジアの他国の剣は「切る」というよりは「殴る」ような使い方をするものですので。QT @geillrim: 戦闘能力の高い剣だからでせう。
2013-01-27 23:30:13@kankimura 幕末では火薬製造機械を国産化しようとした沢太郎左衛門の行動は有名ですが、北区のほうの火薬製造所、目黒の砲薬製造所の歴史が残っています。これのコレスのあたる半島の動きはどうだったんでしょうか?
2013-01-27 23:30:46自分の理解している範囲では、1870年代まで朝鮮半島では(先の四斤山砲を除いて)、西洋的な銃器の目立つ輸入は存在していませんので、彼等の言う鳥銃、日本での和銃に相当するものが使われていた筈です。これが変わるのは1882年頃からですね。QT @nmilog: 半島の動きはどうだった
2013-01-27 23:33:55@kankimura なるほど1870年代あたりまで輸入も多くは無かったとすると無煙火薬に切り替わる前あたりで、いきなり硝酸ナトリウム輸入=チリ硝石になってたんですかね。あるいは火薬の形態で輸入か。
2013-01-27 23:44:45因みに、文禄慶長の役で、実戦経験の少なかった明軍が仏朗機砲を含む大砲を重視したのに対し、戦国時代を経た日本側は機動戦では大砲が寧ろ移動の足かせになる事を認識し、圧倒的に小銃中心で臨んだ事で、当初の戦況が日本側に有利に展開した事は有名な事実ですね。
2013-01-27 23:44:54概ねそれで良いのではないでしょうか。但し、朝鮮王朝の近代軍は規模が極めて小さいので、輸入も小規模だったはずです。QT @nmilog: 無煙火薬に切り替わる前あたりで、いきなり硝酸ナトリウム輸入=チリ硝石になってたんですかね。あるいは火薬の形態で輸入か。
2013-01-27 23:46:15@kankimura ただ機動戦が威力を発揮しなくなって戦線が停滞した守備側に回った攻城戦や撤退戦では相当仏朗機砲や重火器に苦しめられていますよね。戦国時代の日本でなぜ重火器の開発生産が発達しなかったのか(火砲の生産は世界的レベルにあったにも関わらず)は相当興味深いです
2013-01-27 23:53:45本論2~城塞、大砲、投石器
@tomojiro @kankimura 僕の積年の疑問ひとつは、なぜ日本では攻城用の投石器が発達しなかったのか、ということです。戦国期の城なんて、重火器があればイチコロだと思うんですが。
2013-01-27 23:59:28それは全くその通りです。QT @tomojiro:戦国時代の日本でなぜ重火器の開発生産が発達しなかったのか(火砲の生産は世界的レベルにあったにも関わらず)は相当興味深いです
2013-01-28 00:06:42@tomojiro @kankimura 「たまたま技術が伝播していなかった」というのが正解のような気もします。
2013-01-28 00:15:12@kankimura @tomojiro 大砲の存在が伝わってれば、当然研究して開発もしたでしょうけど、当時の戦国時代にあんまり必要じゃなかったからじゃないですかね?なくても城落とせるし。あったらもちろん重宝されたでしょうけどね。
2013-01-28 00:18:05