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私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
カルタゴの軍についてある程度以上に、述べられているのはやはり、ローマ歴史家のポリュビウス、リウィウスの二人のものになってしまう
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
しかし、これもローマ人(割りとカルタゴについてローマ人、プロパガンダ混じりに捏造かますので)というわけで全幅の信頼は置けませんが、ある程度のカルタゴ軍の構成は見てとれます。

カルタゴ陸軍において軍、というのは二種類あります。

私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
カルタゴの軍は大きく二つに分かれます。一つは"都市文明"のアフリカ人とされるリビア・ポエニ人とフェニキア系植民者による市民兵の軍団です。ギリシア的な装備と戦術(恐らく古典ギリシア期のモノに近い)で戦い、重装歩兵を主力に、支援兵種の軽装歩兵が脇を固めるオーソドックスな集団といえます
モサオ・バルカ @mosao82
@centurio_P カルタゴ軍がギリシア的な装備と兵法だったのは近隣国の影響でしょうか?
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
@mosao82 正直なところ諸説あり、はっきりした理由はわかりません。ギリシア植民都市群の影響から、とするのが一番無難ですねぇ…。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
オーソドックス>時代的に普遍的な。 当初のカルタゴ……つまり、北アフリカに(主に交易利権や資源策源地の為の植民地獲得の為に)勢力を拡大していた時の彼らはこのオーソドックスな集団を核に、しばしば、近くの現地民族を傭兵として雇い、不足する軽装歩兵の穴埋めや騎兵戦力の充実を図りました。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
通説として、カルタゴ陸軍は「弱い」とされます。しかしながら、この拡大期の時のカルタゴ軍の相手は"蛮族"とされる北アフリカ等の現地民族であったり、先に北アフリカに植民していたギリシア系都市なので、"文明的な"規律と錬度を整えていた彼らは十分な威力を持っていたと考えられています。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
カルタゴが注視されるのがポエニ戦争であり、純軍事国家であり、些か異常と言える軍団を抱えていたローマと比較されるが故に「弱い」とされることも多いので、カルタゴ陸軍には些か酷な面もあるといえます。また、「弱い」とされるのはあまり、華々しい戦いの記録が無いというのもあります。
ぺんご @pengomk2
@centurio_P と言うか、フェニキア「上がり」の海洋国家だから、どうしても陸軍後回しになったというイメージが強い>カルタゴ
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
@pengomk2 そうだねーやはり、安定期からポエニ戦争までは、その民族的ルーツや海上交易都市国家として海軍が主力となったのは否めない。陸軍はその海軍に運ばれて交易拠点や資源策源地を抑える"ピン"になれればよかったしね。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
拡大期、安定期と通じ、ポエニ戦争期に至るまで(ポエニ戦争を含めるかどうかは微妙)、カルタゴの戦争目的は徹底徹尾、海上交易都市国家としての「交易利権、交易拠点、資源策源地」を得る為、守る為であると言えます。そして、それらの為の手段は必ずしも"武力"だけではなかったのですね。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
特に拡大期のカルタゴにとって、前述した"オーソドックスな軍団"を投入するのは最終的手段であり、それまでは外交や交渉によって、利権や策源地を得ることを努力したと考えられます(異論あり)。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
特に、"蛮族"である現地民族に対しては、彼らの利権や資源への無理解に付け込み、小さな利権や拠点を得ることから初め、徐々にその数を増やし、それらを有機的に結合、一大交易網に組み込むことで、現地民族が気づいた時には強大な力を持ち、傘下に加えていたという手法もしばしば行われました。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
カルタゴの入植期と拡大期において、ライバルとなり得た存在は前述した、先にアフリカ沿岸に植民していたギリシア系都市でありました。しかしながら、このギリシア系都市を相手にする際もカルタゴはいきなり、戦争をするわけではなかったと考えられます(これも異論あり)
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
というのも、先に入植したギリシア系都市は、現地民族と激しく揉めていたことが多く(理由は諸説あります。ギリシア人がその傲慢さで高圧的に現地民族に接した、植民した結果豊かになった土地を現地民族が狙った等)、そこにカルタゴは付け込みました。このもめ事に現地民族側で介入したのです。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
カルタゴは現地民族側にギリシア系都市を負かす手伝いを資金、外交面からしました。そして、ギリシア系都市が弱まり、屈服したならばよし。なお、戦うのならば"オーソドックスな軍団"を投入し、討ち負かしたのです。こうして、カルタゴは現地民族に"解放者"として迎えられながら入植を行いました。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
そして、また、現地民族のそういった好意に付け込み、その資源や交易拠点を己が物とし……北アフリカにカルタゴ海上帝国が築き上げられていったわけです。こういう経緯を辿った為か、カルタゴ陸軍の、"オーソドックスな軍団"は記録に乏しく、影が薄く……「弱い」と言われる面もあるわけですね。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
さて、ここで話が大本に戻りますが、カルタゴの軍を大きく分けた、もう一つ。それは"傭兵軍"です。恐らく皆様の頭の中にある「カルタゴ軍」というとこちらの方が印象が強いと思います。その名の通り、カルタゴと契約した……現地の様々な部族や流れの傭兵達の軍です。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
元々、カルタゴ海上帝国ができるまで、カルタゴにとって傭兵とは市民兵の"オーソドックスな軍団"の、支援兵種である軽装歩兵や騎兵の不足を現地で補う存在でした。しかしながら、安定期に入るにしたがい、その存在が少しずつ変化してきたわけです。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
先に述べておく必要がありますが植民都市が増加し、カルタゴ海上帝国が確立されると、それまでカルタゴの"カルタゴ市"が抱えていた"オーソドックスな軍団"は段々、鳴りを顰めていきます。これは彼らが必要とされる大きな戦いはカルタゴが勢力を拡大するに従って減少傾向だったからと考えられます。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
そもそも、カルタゴの軍はその"オーソドックスさ"に合わせて、常備軍では無く、戦争が起こるたびに市民が動員され、編成されるものでした。なので、彼らが必要とされる規模の戦争が起こらない限りは彼らの姿は見えなくなるわけです。手間ですしね。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
各植民地における現地民族や他の植民都市(こちらはあまりなかったようですが)との"紛争"程度は現地の植民都市の市民兵を動員した"劣化オーソドックスな軍団"で対処するようになっていました。しかしながら、植民都市の規模では手に余る紛争も出てきます。そこで台頭してきたのが"傭兵"です。
私はケントゥリオP。第十次ウソm@s祭りやります @centurio_P
ここからは異説異論ある話なので、それを前提にどうぞ。わざわざ市民を多数動員しなくとも、報酬さえ保証すれば戦ってくれる"傭兵"は北アフリカに大規模な海上交易網を作り上げ、莫大な利益を上げていたカルタゴにとって非常に使い勝手の良い存在だったのだと考えられます。
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