体罰と闘魂注入

朝日新聞のインタビューに答えたセルジオ越後氏が、「日本に存在する体罰文化」と「アントニオ猪木の闘魂注入」を同視する議論をしていたので、反論しました
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ゆうたら @boxingfanlaw

1 本日の朝日新聞朝刊:セルジオ越後氏「日本では体罰が文化となってしまっている。アントニオ猪木にビンタされるために行列ができる /// えええええ?体罰文化があるっていう総論は賛成してもいいけど、それと「闘魂注入」を同列で論じるのって、もんのすごい違和感があるんだが

2013-01-31 17:31:15
ゆうたら @boxingfanlaw

2 猪木の闘魂注入は間違っても「暴力」じゃないからね。「罰」でもない。あれは、いわば、プロレスファンが、プロレスというものに参加する儀式のようなものだ。自己の意思で疑似格闘空間に身を置くことを、体罰によって人格を塗りつぶす行為と同視するなど暴論もいいとこだろ

2013-01-31 17:38:30
ゆうたら @boxingfanlaw

3 おそらく「体罰を進んで受ける教育文化」が体育会系を中心に存在することと、自己の意思で「暴力」を受ける行為を同視しているんだろうと思う。殴られることをコミュニケーションと考える精神性だろうと。その点に限れば、体罰と闘魂注入とに似ている部分があるのは確かだ

2013-01-31 17:42:31
ゆうたら @boxingfanlaw

4 しかしね、見かけが暴力の形をしていれば同じようなものだから批判してやる、というのでは、もんのすごく大雑把に過ぎる。一般に、体罰肯定論者は、暴力によって人格を否定する行為を、単純に、人格を改善発展させる行為と同視しているわけだが、そんな体罰否定論では、肯定論者を笑えないよ

2013-01-31 17:45:52
ゆうたら @boxingfanlaw

5 暴力の形をしていれば体罰だというのなら、格闘技の訓練など、大半が体罰や暴力の類だ。スパーリングをすれば殴られ、蹴られ、関節を極められ。それが嫌なら防御の技術を磨け、先に攻撃する能力を身につけろという話だから。当該競技に参加することと、罰として痛みがあることとは話が全く違う

2013-01-31 17:49:25
ゆうたら @boxingfanlaw

6 2で少し触れたように、アントニオ猪木にビンタを受けるということは、瞬間的疑似的にプロレスに参加するという行為だ。性質としてはスパーリングに近い。何かができないから暴力を受けることとは根本的に違っている。見かけが暴力だと否定するなんて、それは単にプロレスが嫌いなだけだろ

2013-01-31 17:52:37
ゆうたら @boxingfanlaw

7 それに、言っておくけど、アントニオ猪木ともあろう者が、素人を痛めつけるような真似、絶対にしないからね。あれ、派手にひっぱたいてるように見えるけど、基本的に痛くないから。僕自身が経験済み。派手に見えるのは、猪木が人の身体をコントロールすることにすごく長けているから。技術なんだよ

2013-01-31 17:57:27
ゆうたら @boxingfanlaw

8 もちろん、痛くないビンタなら体罰としてやってもOKかって言われたら、むつかしい部分はある。怪我させない殴り方ならいいのかっていうね。でも、例の体罰の事件では、少なくとも一人の生徒の心が折られてしまった。人格を塗り潰す行為が、最悪の結果をもたらした。それが闘魂注入と同じだと?

2013-01-31 18:03:12
ゆうたら @boxingfanlaw

9 市長は「言うこと聞かない子どもは殴るべきだが、スポーツ指導の体罰は良くない」と言った。その区別の仕方には僕も疑問がある。でも、形が暴力なら何が何でも許せないみたいな大雑把な議論じゃ、身体的コミュニケーションを全否定するだけのものになってしまう。それでは単なる暴論だ

2013-01-31 18:06:06
ゆうたら @boxingfanlaw

10 事件直後、「体罰には愛がある」などと発言した元プロ競技者なんかがいて、これだから体育会脳はと批判された。僕も、それは、実際に一個の人格が否定された事実を無視する暴論だと思う。しかし、暴力に見える形をしていれば即ちコミュニケーションの断絶だとする議論もまた、暴論だと感じる

2013-01-31 18:10:37