カミとヒトと天皇家についてのぼやき

タイトル通り。勢いで書き始めた内容なので結構テキトウなところもありますが、このへんのとっかかりに興味があるひとどうぞ。
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クロ @ti_clocks

日本古来の警告を促す言葉ってのが好きだ。「くわばらくわばら」「河童に尻子玉を取られる」「カミナリさんにへそを取られる」どれも具体的な「喰われる主体としての怪異、モンスターが存在していて(くわばらくわばらは雷避けのまじない)古来日本人の持つ特殊な信仰心みたいなものが見える。

2010-08-26 15:10:37
クロ @ti_clocks

八百万の神、という表現がある。台所の神、便所の神などの家付きの神様から、道祖神、橋姫などの道や橋を鎮護する神様、有名どころの天照大神や月読尊などは天体を表わす。大小有名無名の違いはあるのだけれど、どれもこれも「モノ」を神格化、もっと言えば人格化したっものがそれにあたる。

2010-08-26 15:15:06
クロ @ti_clocks

ギリシャ神話などもそうなのだけど、多神教の神様は人間くさいやつが多い。とりわけ日本神話の神様に人間くささが際立つのは、そもそもにして伝えられている成り立ちに依存するところも多い。一言でいっちゃうと「ヒト」と「カミ」の差異があいまいなのが日本神話なのだ。

2010-08-26 15:17:17
クロ @ti_clocks

大枠は長くなるので省くけれど、国津神の支配する大八島(日本列島)を、天津神が奪い取った(譲り受けたワケではない)あと、正当な支配者として天孫降臨をしたニニギのミコトは、最初国津神の娘である「イワナガヒメ」と「コノハナサクヤヒメ」の二人を嫁にもらう話になる。

2010-08-26 15:23:29
クロ @ti_clocks

ところが、「コノハナサクヤヒメ」は気に入ったものの、無骨な「イワナガヒメ」の容貌が気に喰わなかったニニギのミコトは、「コノハナサクヤヒメ」のみを嫁に娶り、「イワナガヒメ」を親に返してしまった。実は、その二人を嫁によこした国津神「オオヤマツミノミコト」には考えがあった。

2010-08-26 15:27:28
クロ @ti_clocks

無骨で強靭なイワナガヒメには子孫や寿命が強く長くあれ、というまじないを。美しく清らかなコノハナサクヤヒメには、絢爛たる栄華を祈るまじないを。ニニギはイワナガヒメのみを返してしまったことによって、本来永遠の寿命を持つはずだった「カミ」は、徐々にその力を失い「ヒト」となっていった。

2010-08-26 15:29:21
クロ @ti_clocks

というようなエピソードがあったりする。ここ最近で天皇信仰や皇室信仰みたいなものは薄れてきていて、「なんで信仰の自由がある国にあんなもんがあるの?」ということを言う人も多いみたいなのだが、そのへんの勉強をしたあとに現状の皇室などを見てみると、納得する部分は多々ある。

2010-08-26 15:31:51
クロ @ti_clocks

日本神話に端を発し、アマテラスを始祖に神武天皇を経て今の皇室がある。(実際途切れてるという話もあるけれど、「皇室を継続させている」ということが重要なところ) 彼らはカミであってカミでない、ヒトであってヒトでないと、史実(事実ではなく)によって定められている唯一の存在だ。

2010-08-26 15:36:52
クロ @ti_clocks

奈良の大仏より、伊勢神宮より、ありとあらゆる神社仏閣、およびすべてのオールドレガシィを凌駕するだけの歴史の重みを持った存在が天皇家であり皇室であり、それを保持するものどもなのだ。 つまり彼らは「生きた遺跡」であり「生きた歴史」そのものなのである。

2010-08-26 15:42:04
クロ @ti_clocks

彼らは法的な意味でわれわれが持つ「自由」を与えられていないし、昭和天皇のお言葉の中で「人民の持つ自由を謳歌したいと考えることはもうありません」というような言葉もある通り(うろおぼえなので正確ではないけれど)。 明確な意味での「人間」として扱われていない。

2010-08-26 15:44:47
クロ @ti_clocks

その扱いそのものに対する是非はとりあえずおいておくとして、「そういうふうに扱われてきたもの」というのはつまり好悪様々な理由を含み、それを信仰の対象とされてきたもの、ということが言える。 イワシの頭も信心から。彼らは、1000年以上も前から大和民族すべてから「信心」されてきたのだ。

2010-08-26 15:46:50
クロ @ti_clocks

その信仰の対象が無意味なものであるはずがない。それは金襴で飾られた仏閣や神仙の住まう森の奥の社に宿っている信仰と、なんら変わらないもののはずだからだ。「日本人は信仰心がない」といって揶揄されることは多いが、それはたぶん違う。信仰心がない、のではなく種類が違うだけなのだ。

2010-08-26 15:49:59
クロ @ti_clocks

新幹線で富士山の横を通りかかったときになんとなく背筋を正したくなる気持ちにさせられること。滅多に行かない神社に初詣に行ったとき、なんとなく手を合わせてしまうような気持ち。そんなふうに生活と信仰が向かい合わず隣り合ったところに、日本の「カミ」や天皇家があるのじゃないかと思うのだ。

2010-08-26 15:55:56
クロ @ti_clocks

あー・・・マジメな話をしすぎた。しばらくエロい話しかしたくない。。。

2010-08-26 16:02:35