三国駅 ― 今の中国は、昔の日本

阪急三国の悪臭はとんでもないレベルだった。 若い人は、昔の日本を知らないから、1960年代の公害だらけの世界を想像できないのだろう。 デモの頻発、ヤクザの暗躍、自民党、行政、警察、大企業の支配。今の中国みたいなものだったよ。 有吉佐和子さんの「複合汚染(1975)」は、「沈黙の春」より影響力が大きかったはず。
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世界の8大公害事件のうち4件は1950~60年代の日本で発生 東京も、60年代はスモッグが天をいぶし、河川は臭気が漂っていた

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130213-00000517-san-cn
大気汚染の中国 “奇跡”起こした日本に教え請えるか 産経新聞 2月13日(水)10時0分配信

 中国社会で“敵視”されている前東京都知事、石原慎太郎・日本維新の会共同代表の名前が、再び中国のインターネット上にちらほら登場している。もっとも今回は、石原氏が都による購入を試み、日本政府が国有化するに至った沖縄県・尖閣諸島にまつわる話ではない。

 ◆大気汚す排ガス

 中国では1月中旬から、北京や天津、河北省を中心に、深刻な大気汚染が社会問題となっている。呼吸器疾患を誘発するとされる直径2・5マイクロメートル以下の微小粒子状物質「PM2・5」の大気中の濃度が上昇し、日本の基準値の25倍となる大気1立方メートル当たり900マイクログラムを記録した。

 PM2・5の濃度を上げているのが、自動車の排ガス、工場が吐き出す煤煙、石炭の利用などである。特に主原因として糾弾されているのが排ガスで、北京市政府は旧型の自動車18万台を淘汰する方針を示している。

 そこで関連事例として取り上げられるのが1999年、粒子状物質を排出するディーゼルエンジン車が東京都の大気汚染の元凶だとして、記者会見で「東京からディーゼル車を駆逐する作戦を展開する」と宣言し、真っ黒い煤の入ったペットボトルを振り回した石原氏の姿だ。石原氏のパフォーマンスで、ディーゼル車のイメージはさらに低下した。しかし、ディーゼルトラックなどに対する粒子状物質の排出規制基準を制定、減少装置の取付を義務づけ、緑化を進めた結果、東京の大気の状況は改善されたとされる。

 ◆奇跡起こした日本

 国内に広がる深刻な状況を受け、各国の“症例”を検証した中国メディアは、「世界の8大公害事件のうち4件は1950~60年代の日本で発生した。世界最大の都市の一つである東京も、60年代はスモッグが天をいぶし、河川は臭気が漂っていた」としている。

 そのうえで、「日本は80年代に汚染の改善に乗り出し、環境を重視し始めた。そして人口が密集する極めて狭小な国土で、奇跡といえる成果を成し遂げた」と高く評価している。

 中国でも1979年に「環境保護法」が試行法として制定されている。83年に当時副首相だった李鵬元首相が「環境保護を国策の一つとする」と発言。89年には同法が内容を強化した上で正式に施行された。全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会は昨年8月、23年ぶりとなる同法改正案の草案を審議した。

 「大気汚染防止法」「水汚染防止法」など関連法規も数多い。しかし、改革・開放の御旗のもと、経済成長を優先する中で、汚染物質の排出基準などについて、中央と地方レベルの二重基準を設けることで抜け道を用意。これらの法規はほとんど空文と化していた。

 持続的な経済成長と環境保護という「矛盾」が積もりに積もり、ついに決壊した格好だ。中国気象局は5日の記者会見で、大気汚染について、「影響を及ぼした範囲が広く、長時間続き、強大だ。歴史的にもまれにしか見られないものだ」と非常事態を認めた。

 ◆「他国に学びたい」

 中国外務省の華春瑩報道官は5日の定例記者会見で大気汚染問題に触れ、「他国の経験と対策を参考にして学びたい」と述べた。今、“奇跡”を必要としている中国が、奇跡を起こした日本に学ばない手はない。

 日中は96年に、日本政府の無償資金協力と中国政府の資金を投入して「日中環境保全センター」を立ち上げている。日中外交筋は「中国で環境対策がよりプライオリティーを得られるよう手伝っていきたい。環境保護について日本は経験があるし、協力できる」と呼びかけてもいる。

 扉を閉ざしているのは中国だ。日本の首相経験者らを招待、習近平共産党総書記が与党党首と会見したといっても、彼らを通じて尖閣諸島に関する持論を喧伝し、“失言”を引き出したにすぎない。

 日中関係筋は「何が起きても日本側の責任というのが、中国のお決まりの言い方だ」と指摘する。中国は関係改善の条件として、日本側に「実際の行動」を求めているが、中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊の護衛艦に射撃管制用レーダーを照射した一件を見ても、挑発行為を重ねているのは中国であることは明らかだ。

 中国では環境に対する市民の意識が徐々に高まっている。健康被害が顕著になれば、当局に対する不満が噴出しかねない。環境破壊が経済成長を鈍化させる恐れも指摘されている。温家宝首相は1月、「省エネや排ガスの減少を進め、行動をもって人民に希望を与えなければならない」と述べた。日中関係改善に努め、日本に教えを請うことも「行動」の一つに数えられる。(中国総局 川越一=かわごえ・はじめ)


Ducky G. Duck @duckygduck
今の若い人は日本の電機メーカーの時代遅れぶりを知らないのかも。欧州で脱フロンが進み始めた頃、日本はメーカー共同で御用学者にカネ出して、反脱フロンキャンペーンをやったのです。その後の環境重視の流れに逆らって、米と共同歩調の「温暖化なんかねーよ!」みたいな歩み。
Ducky G. Duck @duckygduck
韓国メーカーがローカル化を進めて、シェアを伸ばしていると言われていますが、日本がやってきたのは、北米重視。環境派から批判されたことも一切無視。ホコリを撒き散らす掃除機。電磁波対策ナッシングの電気毛布、カーペット。洗剤多用の洗濯機。唖然とするばかりの時代遅れぶり。

国内でも早いところは、1970年代後半には脱フロンが始まっていました。脱フロンに本格的に反撃していたのは、1980年代だと思います。

ちなみに日本の産業界全体で、環境問題に取り組むようになったのは、ISO14000が普及しだした1990年代中頃です。
※ 欧州との貿易のために取らざるを得なくなった。

それまでは、有機農法、環境保護派は敵視されていました。奥さんが関わっていると、旦那が会社から止められるとかね。

まぁ、反原発に対してどんな妨害、弾圧があったか、調べればわかると思います。同じようなことが色んなところで行われていたのです。

21世紀になっても、例えば、サンヨーの洗剤のいらない洗濯機は、ライバル電機メーカー、洗剤業界──洗剤業界はメディアの巨大スポンサーなのでメディアも敵に回って潰されてしまいましたね。かつて、日本に進出した韓国メーカーがよってたかって追い出されたように。

パナソニックのプラズマ・テレビは、値段がどうとかいう以前に、消費電力がかなり大きかったので、世界の流れを完全に無視していたということです。

ソニーにしても、ウォークマンのMP3拒否が大きかったですね。
その間に、Apple iPodがスタンダードになって、Appleに慣れたユーザーはそのまま iPad, iPhone につながったと思います。

※ 禁煙ブームは1970年代前半だったかな?
中小零細企業の社長など、「入院してたら会社が潰れる!」てな感じで、健康を気遣う人が多いのです。私の父もその辺でやめましたね。社内禁煙なのに、俺は別とか言って、今も吸っている経営者もいるでしょうけど。

Ducky G. Duck @duckygduck
追い出し部屋とか言ってるけど、1970年代から、中小・零細下請け、取引先を搾取。次に高卒社員を派遣、契約、請負に切り替えて、最後に正社員のリストラに手をつけただけ。特許侵害、ぱくり、乗っ取り、専属契約してから打ち切るなど、もっとひどいやり方で他人を踏みつけにしていたのです。

今、ガソリンスタンドがどんどん閉店してるでしょ。でも、元売はしっかり利益を確保している。

昔の電機メーカーも同じです。
昔、小売店は、パナ、日立、東芝、ソニーなど、系列化されていたんです。でも、メーカーは1960年代から、大型量販店に力を入れるようになって、小さな店は段々やっていけなくなった。散々、利用してきた零細系列店を見限って、メーカーは大きな利益を上げていたということでしょう。

言わば、加盟店から巻き上げたお金で、高給与を得ているフランチャイズ・チェーンみたいなもの?

Ducky G. Duck @duckygduck
ちなみにヤクザ、右翼は、金持ち、権力者の私兵の面があったのですが、体育会系、特に武道系は企業経営者が親衛隊的に雇っていたことを若い人は知っているのかな。大昔(60年代ぐらいまで?)は、組合に吊るしあげられて自殺、会社乗っ取りとか、多かったからね。
Ducky G. Duck @duckygduck
下請け企業の社長が、親方企業の門前で抗議の焼身自殺とか、今なら、HPやブログで残せるけど、昔は、みんな何事もなかった事にされてしまう。学校が生徒をひどく軽く考えていることに衝撃を受けるが、今どき、製造業で派遣社員が吹き飛ばされても… 結局、心の荒廃が諸悪の根源なんだろうね。
Ducky G. Duck @duckygduck
大昔、富国強兵で調子に乗った日本人が、軍隊によって日本を大きく立派な世界に誇れる国にななると考えたように、経済大国として、日出処国として永遠に輝くと信じていたんだろう。実態はひどいものだった。昭和の日本は、今の中国を批判することなどできないぐらいひどかった。

中国の「人工フカヒレ」が話題になったけど、少し前の日本は「人工イクラ」。

Ducky G. Duck @duckygduck
ぜんぜん知らなくてショックを受けたのが、水俣では、チッソが東電みたいな影響力を持っていて、水俣病は最後まで、詐病扱いされていたということ。水俣病やイタイイタイ病などは、とっくに終わった話だとずっと信じていた。人の心はおそろしい。
Ducky G. Duck @duckygduck
公害といえば、西淀川公害訴訟は知っていたけど、「昼間にヘッドライト」は知らなかった。今の北京よりひどかった? ちなみに神崎川、というより、aikoの「三国駅」といったほうがわかりがいいかな。昔の神崎川の悪臭は大変なものだったよ。製造業がダメになってすっかり変わった。
Ducky G. Duck @duckygduck
家が阪急宝塚沿線だった。三国の橋は、40年ぐらい前は死ぬほど臭かった。その後少しずつ改善されたけど、20年ぐらい前の御堂筋線付近でも、風向き次第で、臭ってたかな。今は、特定の工場付近で少し臭うぐらいだと思う。https://t.co/xPMCmk0X
リンク maps.google.co.jp 三国駅 - Google マップ 地図検索と地域のお店やサービスの情報
Ducky G. Duck @duckygduck
地図で見ると、江坂ゴルフセンターは神崎川に近いけど臭かったことはないな。臭いは主に川から発生していたのだろう。三国も橋の上だけ極端に臭かったし。いずれにしても、神崎川周辺の大きなマンションは工場が立ち退いた跡。たぶん、ゴルフセンターも工場跡地。
Ducky G. Duck @duckygduck
ちなみに私は、たぶん、名神と航空機の排ガス、ごみ焼却炉のダイオキシンを浴びまくっていました。40年以上前の小学校高学年頃は、よく名神のガード下で遊んでいました。大阪空港着陸進入路とは少し離れていましたが、航空機の排ガスは今でもひどいのではないでしょうか。
Ducky G. Duck @duckygduck
ごみ焼却炉は豊中市の中央西端にあり、大阪平野は常時西風が吹くので、高級住宅地や行政中心地も含む豊中市内中央部全域で、ダイオキシンまみれだったはずです。

    ↑↑↑ 地図で確認すると、焼却炉は豊中市中央より少し南でした。

Ducky G. Duck @duckygduck
ダイオキシンに関して、能勢みたいな騒ぎにならなかったのは、地形がフラットで、広く拡散したため、一箇所に集まることが無かったからではないでしょうか。それとも、市役所や阪大出身の人たちがダイオキシンを浴びたくなくて、焼却炉にお金をかけていたのでしょうか。
Ducky G. Duck @duckygduck
有吉佐和子さんは本当に偉大な人です。「複合汚染」「恍惚の人」など、本当に日本のためになったと思います。
日本の製造業は軍隊と切っても切れない関係

大阪では砲兵工廠が製造業の中心だった。
戦後の日本は、朝鮮戦争で大儲けして、その後の高度経済成長につながります。戦後の経営者は、戦前からの人、そこから独立した人が多く、1980年代でも、景気というと戦争待望論がデフォ。

そういう人たちが環境無視で頑張っていたのが実態です。
今、常識になっているようなことは、当時は、ごく少数派で、迫害されていたのです。

江頭が会長だった1972年1月、千葉県のチッソ五井工場に交渉にやってきた患者や新聞記者たち約20名が暴力団員に襲われた。著名なカメラマンであるユージン・スミスはこのときに脊椎を折られ、片目失明の重傷を負っている。その件について、彼が謝罪することは決してなかった。
リンク Wikipedia 江頭豊 江頭 豊(えがしら ゆたか、1908年(明治41年)1月16日 - 2006年(平成18年)9月24日)は、日本の実業家。チッソ株式会社の社長(1964年12月 - 1971年7月)として水俣病問題の対応にあたった。皇太子徳仁親王妃雅子の母方の祖父。学位は法学士(東京帝国大学)。 東京府出身。父は海軍軍人の江頭安太郎、母は米子。 海城中学、旧制松本高校を経て、1933年(昭和8年)東京帝国大学法科を..
飯島は労働争議・市民運動潰しを専門に行う警備会社の創設を決める。

警備会社として正式に企業や大学と契約を結び建物内等に「警備員」を常駐させれば、「警備業務」という名目で企業や大学内部での襲撃・労働争議介入行為ができるようになり、「護身用具」として群集鎮圧のための凶器類を備蓄することも可能になると考えたのである。

リンク Wikipedia 特別防衛保障 特別防衛保障株式会社(とくべつぼうえいほしょう)は、かつて存在した日本の警備会社。1970年4月に設立され、1972年の警備業法の施行後もしばらくの間営業していたようである。本社は東京都中央区にあった。 元陸軍大尉の飯島勇によって設立され、学生運動・労働運動・市民運動潰しを専門としていた。社員(警備員)は飯島の母校である拓殖大学や国士舘大学などの格闘技系体育会の学生..

放射能のことも書いておこうと調べたら!!

放射能も浴びまくっていました!!!
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コメント

Ducky G. Duck @duckygduck 2013年6月10日
まとめを更新しました。
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