サザエのお裾分け ニコデモ
- wancupmaster
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【聖書のみことばを読む時の鉄則】1)字義通りに読む。2)文脈に沿って読む。3)みことばを みことばで確認しながら読む。
2013-02-07 06:07:28第二ペテロ1:20ーそれには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
2013-02-07 06:10:19第二ペテロ1:21ーなぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
2013-02-07 06:12:36第二ペテロ3:16bーその手紙(15節-パウロの手紙)の中には理解しにくいところもあります。無知な心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所の場合もそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
2013-02-07 06:18:00第二コリント1:13ー私たちは、あなたがてへの手紙で、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。そして私は、あなたがたが十分に理解してくれることを望みます。
2013-02-07 06:42:59さてさて、これらの注意点をふまえた上で、今日はニコデモさんの箇所を見てみたいと思います。ヨハネの福音書3:1~15です。
2013-02-07 06:50:36ヨハネ3:1ー【パリサイ派】伝承を重んじ、モーセの律法に厳格だが儀式律法を強調。外面の細かいところに注意深く、人前での自己義認。霊的無知、聖書の曲解。少数派だが、強力なものを持っていました。
2013-02-07 06:56:57ユダヤ人の指導者ーイスラエルの教師と呼ばれる律法学者で、サンヘドリン(70名からなるユダヤの最高議会)一員。分かりやすく言うと、東大教授であり、国会議員であり、最高裁の判事でもあるということです。
2013-02-07 07:06:14ヨハネ3:2ーそのような人物であるニコデモが、“夜”イエスを尋ねて来ました。夜ー律法学者ラビたちは、人に邪魔されずに律法を学ぶ最適な時間としていました。他のラビたちが家で静かに学んでいる時に、ニコデモはひそかにイエスのもとに来たのです。
2013-02-07 07:12:10彼は、本当はイエスに訊きたいことがあったのに、挨拶とも、お世辞とも、または彼自身のイエス理解ともとれることを言っています。
2013-02-07 07:18:17ヨハネ3:3ーニコデモの訪問と挨拶!?を受けてのイエスの応答。何だか会話がかみ合っていません。イエスのこの答えからニコデモが本当に訊きたかったことが見えてきます。「まことにまことに、あなたに告げます」から重要な事であることが分かります。
2013-02-07 07:23:00それは、イエスが全知全能なる神だからです。ニコデモの不安を完全に理解した上での答えでした。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」では、ニコデモの本当に訊きたかった質問とはなんでしょう?
2013-02-07 07:27:47それは「どのようにしたら、神の国に入ることができるのでしょうか?」というものでした。彼は、律法の専門家として人々に教える立場にありながら、神の国に入る確信がなかったのです。確信がないのに教えることは、本人にとって辛いことだと思います。
2013-02-07 07:32:07ヨハネ 3:4ーやっとイエスとニコデモの会話がかみ合ってきます。彼の発言からすでに「老年」であったことが分かります。人は歳をとればみな死を意識します。でも彼は死後、神の国に入れるという確信がなく、不安だったのです。
2013-02-07 07:39:48彼は「新しく生まれる」を肉的な点からしか考えることが出来ず「もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」と聞き返しました。(そんなこと、できるわけがない!)という彼の心の声が聞こえてきそうです。
2013-02-07 07:44:24ヨハネ3:5ーここでも「まことに、まことに、あなたに告げます」と、これから話すことはとても大切なことだから、良く聞くようにと促します。続くイエスのことばは、様々な解釈がされています。多くは「水」ー水によるバプテスマ、とされているようです。
2013-02-07 08:14:473節ー「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と言われたイエスのことばと4節ー「もう一度母の胎にはいって生まれることができるのでしょうか」というニコデモのことばに注目してください。
2013-02-07 08:18:35へブル的視点では、人は一度、肉体を持って生まれ、二度目は御霊によって新しく生まれると理解します。赤ちゃんは生まれる時、羊水と一緒に母の胎から出て来ます。ですからここでの「水」は「羊水」で肉体の生を意味し「御霊」は神による新生を意味します。
2013-02-07 08:23:52ヨハネ3:6ーヘブル的視点で5節を理解すると、6節と繋がってきます。母の胎から「羊水」とともに生まれただけでは肉体が生きているだけです。神の御霊によって生まれた者は、肉的にも霊的にも生きる者となります。
2013-02-07 08:34:10第1コリント12:3bーまた、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。 ローマ8:6ー肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
2013-02-07 08:41:52ヨハネ3:7ー新しく生まれるとは…? 猿をどんなに教育しても人間になることはありません。人間になるには、人間として生まれ、人間のいのちを持たなくてはなりません。御霊によって生まれるとは、御霊が心に住み、神の子となる必要があります。
2013-02-07 08:54:23ヨハネ1:12~13ーこの方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
2013-02-07 09:01:31ヨハネ14~17ーその方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
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