精神分析について言えば、この連続と離散の間に、“曖昧(ファジー)”というよりは“切断”を持ち込むわけですよ。デデキント的な意味における“切断”ですね。一方、D=Gは“曖昧性”——「ファジー集合」や「近傍」といった概念——における移行を《生成変化》として唱えます。
2013-02-06 00:55:21端的に言えば、ドゥルーズ=ガタリが《生成変化》に訴えたところに、ラカンは《結び目》を見ているわけです。多分ですが。
2013-02-06 00:57:53ちなみに、ゲーデルは「選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性」を証明しているわけだから、ドゥルーズ=ガタリの多様体論は偏っているようにも思える。
2013-02-06 02:29:38ちなみに、ゲーデルは「選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性」を証明しているわけだから、今日も今日とてサンマルクカフェのまずいコーヒーを飲む
2013-02-06 10:42:09久々に肥沃なインターネットの大地に降り立ったらゲーデルが「選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性」を証明しているわけだからドゥルーズ=ガタリの多様体論は偏っている等という超越的な話が出ていた。やはりこんな所に居てはいけない。
2013-02-06 13:08:03ちなみに、ゲーデルを数学のみに限定しないで、哲学に応用できるのは、論理命題と自然数論の考え方を見れば、至極当然ですよね?
2013-02-07 09:11:09@acephale315 いいえ,安易に応用できないと証明の細部を読んでいればわかると思いますよ.参考: http://t.co/8LWoqFBS
2013-02-07 09:45:48ラカンにおいて、構文の規則性が語られているテクストが、「《盗まれた手紙》のセミネール」であることは、言うまでもない。※このテクストは、年代順に収められている『エクリ』においても、一つだけ例外的に、年代順ではなく最初に掲げられていることからも、ラカンにおいては特異なテクストである。
2013-02-07 09:48:57@patho_logic 安易に応用できないというのはよく言われていますが、構文論上の推論規則に厳密に従って構成されたものについては、どうなのでしょう?
2013-02-07 09:52:31@acephale315 @patho_logic すみません、横から失礼します。素人質問で申し訳ありません。私は「数学の哲学」分野以外で、集合論や不完全性などの論理学の結果の「厳密な」哲学的な応用を見たことがないので、そういう応用の例をあげていただけないでしょうか。
2013-02-07 10:01:19@ytb_at_twt @patho_logic ペアノの「自然数論」やラッセルとホワイトヘッドの「述語論理」を念頭に私は言っていて、その上で、「集合論理学」との接合を図ったラカンを私は考えているわけなんですけど。
2013-02-07 10:09:21@acephale315 誤解を避けるために「ゲーデルの不完全性定理」にのみ限定して,「構文論上の推論規則に厳密に従って構成されたもの」を何かしらの形式的体系のことだと解釈しますと,実閉体の体系なんかは不完全性定理を適用できません.
2013-02-07 10:12:32@ytb_at_twt @patho_logic 後、ラカン以降の精神分析とも関係のある、アラン・バティウという哲学者がいますね。
2013-02-07 10:15:26@acephale315 @patho_logic ラカンとバティウに関しては、「あれはファッショナブル・ナンセンスだ」と論じる人たちが多い(ラカンについてのソーカルの批判が有名)、これについてはどう思われますか?
2013-02-07 10:22:48後、一応言っておきますと、ドゥルーズなんかは、その“厳密性”に異を唱えて、多様体論を持ち出しています。それを引き継いでいるであろう、アラン・バティウの哲学とかも考慮に入れないと……。@patho_logic
2013-02-07 10:27:29