芸術と日常の関係 - 「文脈を理解してから作品を批判しろ」というとき、その作品を批判する文脈については想定されていない

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林 卓行 @tkyk_insensatez

仮に作品というものが、ある体験にもとづいて作られるものだとして。作品の特殊性が体験の特殊性を保証するものでないことは、体験の特殊性が作品の特殊性を保証するものでないのと同様。

2013-02-04 02:01:11
林 卓行 @tkyk_insensatez

たとえば自分がおいしいとおもうものを、「これはおいしくない」というひとに、いいからなんどかたべてみて、ということはあるとおもうけれど、成分とか産地とか、料理人の経歴とかを理解してからもういちどたべてごらん、とはいわないとおもう。

2013-02-04 02:52:48
林 卓行 @tkyk_insensatez

じぶんがたべてみておいしくなかったときだって、じゃあ成分とか産地とか料理人の経歴とかを調べてからまたたべにこよう、とはおもわないよね。

2013-02-04 02:55:09
林 卓行 @tkyk_insensatez

ひとが「文脈を理解してから作品を批判しろ」というとき、その作品を批判する文脈については想定されていない。まあそういうひとは、そういう「批判的な文脈」があるとあらかじめわかっていたら、そうした文脈で批判されるような作品を最初から作らないだろうけれど。

2013-02-04 03:03:22
林 卓行 @tkyk_insensatez

そういうとかそうしたばっかりの悪文だけどもう修正する気力がない。おやすみジュリア。

2013-02-04 03:06:56
林 卓行 @tkyk_insensatez

昨夜の続き。でも最初は情報とか文脈にしたがって食べてみる、ということはある。「これモロッコで祭事のときにだけ食べる料理なんだよ」、って言われたら食べたくなるみたいな。そのままモロッコ料理が好きになる場合もあるだろうね。そういう意味では、文脈とか背景がまったく無関係とはいえない。

2013-02-04 18:31:05
林 卓行 @tkyk_insensatez

でも、たとえばそれをおいしいと感じなかったときに、「えーこれモロッコじゃおめでたいときしか食べられない料理なんだよ」っていわれても、だからなに?っていう話にしかならないとおもう。(料理の例についてはフィクションです)

2013-02-04 18:35:25
齋木克裕 @ka2saiki

昨日からの食べ物の話面白く拝見しています。例えば新しいレストランでピザを食べて美味しいと感じなかったけど、「あそこのシェフはどこどこから独立して、パスタがうまいんだよ」と人に言われたら、じゃあ次回はパスタを食べてみようみたいなのはあるかな〜と。 @tkyk_insensatez

2013-02-04 21:50:47
齋木克裕 @ka2saiki

入手できる情報の種類にもよるのかなという気がします。もちろんだからといって、最初に不味いと思ったのもが美味くなるわけではありませんが、そもそも違う物を食べていたというような間違いは無くなるかなと。 @tkyk_insensatez

2013-02-04 21:53:22
林 卓行 @tkyk_insensatez

Joe Zawinul, The Harvest. このひとくらい唯一無二の音楽家ってなかったとおもう。それまでにない音楽を創出したけど、そのあとにだれも続くことができなかった。

2013-02-05 10:34:50
林 卓行 @tkyk_insensatez

次のスティーリー・ダンなんかもそうですね。後続の世代に与えた。すくなくとも明示的な影響、というのがほとんどない。

2013-02-05 10:40:09
林 卓行 @tkyk_insensatez

ごぶさたしてます。だからけっきょく「文脈読め」っていう発言は、その料理=作品を肯定できる情報を探してからきなさい、と客に向かっていってるだけなんだろうな、と思います。RT @ka2saiki: 入手できる情報の種類にもよるのかなという気がします…

2013-02-06 22:08:16
林 卓行 @tkyk_insensatez

それから、やっぱり作品なり料理なりを、その特徴を言語化したりされたりしながら、たくさん味わってみるべきなんだろうなとは思う。それらの経験がつながって、現在の経験を豊かにするっていうことはたしかにあるだろうから。

2013-02-06 22:15:26
林 卓行 @tkyk_insensatez

いろいろな文脈を重層的に、でも恣意的に盛り込んだ作品を見せておいて、「世界はこんなに複雑なんです」っていうのは完全にマッチポンプだろう、っていう話はまえに書いた。

2013-02-06 22:17:20
林 卓行 @tkyk_insensatez

「どんどん議論すべき」とか「議論が起こることを期待している」とかいう発言は、ようするに自分の立場が正しい、といっているだけのことで、その意味ですでに「強者」の発言。「ケンカ上等」といっしょ。

2013-02-06 22:23:25
林 卓行 @tkyk_insensatez

芸術が日常に接近すればするほど、芸術と日常を区別しようとする力は強くなる。芸術の経験と日常の経験がちかければちかいほど、ならば前者と後者をわかち、前者を特別なものにしているのはなんなのか、という議論が必ず起こり、そしてそれがエスカレートするから…いや、順序はむしろ逆かもしれない。

2013-02-06 22:33:38
林 卓行 @tkyk_insensatez

そういう意味でも、現在では「芸術」っていうのはものすごく強い枠組みで、多くの人がそれに惹かれるし、それを放棄しないし、またそれに強く依存する。

2013-02-06 22:35:53
林 卓行 @tkyk_insensatez

「日常」に近似する作品を与えられて、だれもが「芸術はどうして特別なんだろう」という疑問を持つけれど、「芸術は特別じゃないんじゃないか」という疑問を持つことのできるひとは現代においてはほとんどいない。

2013-02-06 22:39:02
林 卓行 @tkyk_insensatez

…っていう話は宮川淳がとっくに書いているんだと思うよ。「日常」っていうことばはさすがに使っていないだろうけど。彼の議論でいえば(彼自身のことばじゃないけど)「反芸術」がいまでいう「日常」か。

2013-02-06 22:43:19
林 卓行 @tkyk_insensatez

ちなみに、この「日常」を「ポルノ」に置き換えても、事情はまったくおなじこと。

2013-02-06 22:44:41
齋木克裕 @ka2saiki

@tkyk_insensatez こちらこそご挨拶遅れましたがご無沙汰しています。そういえばあの時まさにモロッコ料理したねw。TLを見て一連のツイートが前日のトークを受けてのことだということに気づきました。まさに「文脈読め」ていなかったようですw。

2013-02-07 20:02:31
齋木克裕 @ka2saiki

@tkyk_insensatez 料理を「おいしいと感じる」ことと、「情報」として知るいう話だったので、直感と知識という話かと思って、感覚も知識から構成されてるんじゃないかと単純に思ったんですが、作った者が意図した「文脈」を強制することの問題ということだったんですね。

2013-02-07 20:12:29
林 卓行 @tkyk_insensatez

@ka2saiki 「文脈」の話は以前にちょっとあったものをふと蒸し返してみたものです。ただ、急に蒸し返す気になったのは、おっしゃるようにくだんのトークの直後でした。なぜだかじぶんもよくわかりませんが…。

2013-02-07 20:14:19
齋木克裕 @ka2saiki

@tkyk_insensatez そういう意味では僕も林さんと同じで、最初に不味いと思った料理を、いくら「これこれこうだから美味いんだよ、もう少し味分かってから出直してこい」と言われたところで不味いということは代わらないでしょうね。何でおいしくないのか考えるかもしれませんが。

2013-02-07 20:22:09
林 卓行 @tkyk_insensatez

コメントは後続RT“@ka2saiki: 料理を「おいしいと感じる」ことと、「情報」として知るいう話だったので、直感と知識という話かと思って、感覚も知識から構成されてるんじゃないかと単純に思ったんですが、作った者が意図した「文脈」を強制することの問題ということだったんですね。”

2013-02-07 20:25:18