【シューニャリアーナ批判論】日本人の創作はいかにしてN次的か Part2
- L_O_Nihilum
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RT① おそらく僕はニヒルさんの一連のツイートを文脈を見ずに指摘してしまったのではないかと思っています。個人的に外国からの文化変容の話(西洋→日本)だと解釈(誤読)していたので、その点を言及しただけで、日本文化論全般について覆うようなものではなかった。→
2013-02-08 11:57:39② なるほど日本文化における自然体や精神「道」徳 などは、内向的かもしれない。しかし、外国(夷敵)の文化流入のときに日本文化に対する需要反応は内向的なのか?そもそも僕の解釈では「内向」というと、自己変革という理解(「回心」に近い)なので、そこが両者ズレてしまったのかもしれません。
2013-02-08 12:02:20③ あるいは、どうとらえるにせよ「内向性」も「雑種的併存性」も別種の二項対立的関係ではなくて、両者含みあう関係にあるのではないかとも思えます。つまり内向的だから雑種的だと。強引な理解ですが、この矛盾的同一関係は、日本文化の自文化と他文化との受容のズレが原因かもしれません。
2013-02-08 12:05:50RT④ 外来思想の受容問題は僕も難しいところですね。文脈の意図がよく掴めないのですが(自分の無知によるもの)、受容と一口にいっても、思想の大量流入とその思想を理念的に理解できることは分けて考えるべきでは? 極端にいうと、たとえば英語熱の高い我国がアジアで最低レベルであること。
2013-02-08 12:11:23⑤ 脱線すると、一般的に日本人の英語の不得意さはよく言われますが、個人的にはそのひとつに日本文化においては外来語は「物質化」しやすいのではないかということ。漢字からひらがなへの変容もその線があるかもしれないが、一番端的に表れているのは英語の学習方法。→
2013-02-08 12:15:31⑥ これは友人の韓国留学生の疑問ですが、「どうして日本には腐るほど英語の単語帳があるのに、不得意なのか」。これはおそらく、外来語を”身体と併存・密着・携帯”できるように、できるだけ詰め込んで文庫サイズの単語帳へと「物質化」させる。→
2013-02-08 12:19:11⑦ 英単語帳の系譜はおそらく難解な仏教法典を「南無阿弥陀仏」を圧縮して記号化し折り畳み式の経典に遡れるのではないか。日本人にとって、外来語の理解とは、内発的な理念の追求ではなくて、まず第一に自己の身体と仲良く併存・密着することではないか?そしてそのためには物質化しなくてはならない
2013-02-08 12:23:32⑧ 漢字をひらがな(カタカナ)に変容させたのも、さまざまな学術的な論究はあると思うが、話の流れからいえば、それは外来の漢字を物質化したからこそ改造できたのでは?内発的に理解したのなら、改造するという行為は全く必要がないわけで。ここらへんは無知なので、適当、暴論です。
2013-02-08 12:26:02RT⑨ 何度も言うように、僕は日本文化なるものを考えるときに、外来文化の受容変容問題を重点を置いているだけであって、日本の自生的(精神性)な側面までを覆いこむようなものではないです。「自己ではないソトから来たもの」、「島」-自文化を「シマ」といい他文化を「トウ」という構造です。
2013-02-08 12:29:28RT⑩ これはちょっと違いますね(自分の説明不足)。僕は日本文化の「雑種的併存性」を「主語」(名詞)として解釈していません。むしろ「述語」(動詞)発想で考えています。ニヒルさんは「主語」発想というか名詞重視ですね。もちろん良し悪しの問題ではありません。
2013-02-08 12:32:23⑪ 「述語」=動詞発想とは、たとえば日本文化を考えるとき、「扇子」という外的なモメントとしてつまり名詞として捉えるのではなく、外来のウチワを「折り畳む」ように改造した扇子と解釈することです。ここでは「折り畳む」という述語に基点を置くわけです。
2013-02-08 12:35:37⑫ そこから「なぜわざわざ折り畳むのか(改造)」(薄い小さなウチワなんて折り畳む必要性は全くないー実質中国人(唐)は扇子を見て爆笑したという)、「折り畳む」とはどういう象徴性あるいはどういう快楽を生むのか、と考えていく。そして、それはやはり身体との密着・併存・携帯志向ではないか。
2013-02-08 12:39:05⑪ 個人的に日本文化を考える場合、述語発想の方がうまくいくと思う。極論すると、日本が他文化をどういうふうに受容し変容させるのかという過程(動詞・運動)こそに、日本文化の本質があるのだと。その変容過程にこそ、精神性があってニヒルさんのいういわゆる「道」の本質があるのではないか。
2013-02-08 12:42:39⑫ たとえば柔道や合気道は相手の力を逆用して力を発揮すると言われますよね。この「道」はムエタイや太極拳(独立した個人スキルー名詞)と違って、まず相手依存でありその力を自分の力へと変容させる(動詞)ことに個人スキルが求められるわけでしょ。つまり日本武道も動詞発想ではないのか?適当。
2013-02-08 12:47:36RT⑬この両者の違いの指摘参考になります。偶有の理解が乏しくあまり言及できませんが、僕個人としては両者の違い(逆転)は、先ほどいった主語発想なのか述語発想なのかの違いとも言えるのでは。どちらもケースバイケースですが、日本文化の文化受容・変容問題を重点に置くなら断然述語発想ですね・
2013-02-08 12:58:18⑭ 述語発想の利点は、他文化と比較しやすくまた”中性的”です。たとえば、「折り畳む」とその逆の「広げる」はどの文化圏にも存在する運動方式ですから、イデオロギーに比較的左右されない。そのため、その象徴性と快楽コードを分析しやすい。
2013-02-08 13:01:57⑮ 濱野智史の『アーキテクチャの生態系』の視点は述語発想に近い。なぜyoutubeを基にしたニコニコ動画はコメントを瞬時表示させたのか。この変容過程(動詞・運動)から日本文化の生態系に迫るわけです。今AKBでボロくそ叩かれてしまっている宇野常寛も同じ枠組みに入ると思います。
2013-02-08 13:06:17しばらく落ちます。それにしてもに、この一連のツイート群は、「日本文化論」を学問性としてあるいはイデオロギー的なものとして嫌う人には苦痛だったろうな。あるいは日本よりも西洋哲学だけに人間本質を見て論究する輩には大変”凡俗”に見えるだろう。どうぞリムってください・・・
2013-02-08 13:12:43ハイデガー「フッサール先生、サドガ島(とう)にもハチジョー島(とう)にも大学はありませんよ。」フッサール「それはまずいな。」(現代思想の遭難者たち:いしいひさいち著)…サドガ島(しま)。このあたりを思い出した。 >RT
2013-02-08 19:01:56物事の「真の個物」へと迫るためにはやっぱし西田たんが…(泣 でもこの人の言うことってすっごい宇宙人語だからわからにゃい…。
2013-02-08 19:06:15うん、どれいっちさんと僕のそれぞれの考察はお互いに多分相互関係、だと思う。で、ご提示にある「主語/述語(名詞/動詞)」ていう発想の差異も考察のスタートポイントの説明の差異になるとは、思う。ただ、それを今はまだ言語化できぬえ。
2013-02-08 19:07:58それこそどれいっちさんのやつだけど、脱構築的な読み方すれば僕自身の考察のテクストを彼の発想で読み込むことも可能ってことか
2013-02-08 19:08:58『大体妖怪の多くが「まつろわぬ神」つまり、体制に反対した側や平定された先住の人々の信仰してた土着神だったりとかあるからなあ。』(私) ←つまり体制側が妖怪という形で形態化したと。
2013-02-08 19:10:42