【シューニャリアーナ批判論】批評のエトス、エソロジー、エシックス(N次議論パート⑤)
- L_O_Nihilum
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あれ、インターネットと都市って似てる? >都市というのは「井の中の蛙」幻想を醒めさせてくれる効果があるんじゃないかな。
2013-02-10 15:04:49「消費社会」の意味する消費は、社会的/文化的欲望を充足させるためにモノやサービスの消費ね。それ以前の消費はあくまで身体的/生理的なものだったの。現代の消費は広告のような限界なき情報によって喚起させられ、限界なき欲望に応じるように消費されていく。それが消費社会を駆動させる原理よ。
2013-02-10 15:43:54消費には限界がなく、満足が無い
浪費(享受)は限界があり、身体的に充足し、満足する。停止がある。
國分功一郎における『浪費』を享受に読み替えるとこうなります。
【脱構築】
消費には限界が無いが、消費されているものはすぐ捨てられている(すぐに充足させられる)。
浪費には限界があり、受け取られ身体化され染みついているからすぐにはなくならない(限界が無い)。
『おなかいっぱい、もう食べられない』という時、体内に栄養はしっかりとりこまれて、身体を形成します。一方、そうした浪費には消費の要素も入っています---食べた物は排泄されます。
その観点から考えると,消費論って、排泄の原理ばかりおっている感じもします。つまり「肛門」の論理。ていうか、批評家の多くが男だし、そのヘンひっくるめて、まさにデリダがしたように言い表すなら「男根テクスト中心主義」(ファロテクスチャリズム)になっているとも見えます。
僕の享受論はそういう意味だとその対で、「食べ」、「口」、「味」の論理をやろうぜという話であるようにも見えます(実際、「夜明け前より瑠璃色な」(©オーガスト)を味見して、味を論じております、私。)。
雑種併存的かぁ。それで、まつろわぬものすら受け取りやすい形で(≒風呂敷で包んで)共存させちゃう感性かぁ。それが、妖怪や化物を可愛らしくして戯画化する。それもキッチュや退廃としてではなく、一つの昇華形態として。そしてそれが絵巻物になるという、ね。
2013-02-10 17:24:33こうは、言えまいか。夜の世界は想像力を作り、コンテンツをつくる。昼の世界は、それを発信する提供力をつくり、フォーマットを作る。
2013-02-10 17:29:35『日本2.0』に出てくる表現として「フォーマット」があるんだけど、要はソフトに対するハード。の、客層版というか、舞台版というか。
2013-02-10 17:31:07AKBの音楽や番組が、コンテンツであるなら、それを開いて場を作るという作業やその作業によって行われているイベント総体、その活動全体がフォーマット。AKBという産業スタイルを保っているハード。
2013-02-10 17:31:52東らはニコニコ動画のボカロ文化の現状についてこう言っている―――「コンテンツは輸出で来たがフォーマットは輸出出来ていない」。つまりコンテンツ個々、ソフトの評価はされていても、その生み出している外的な仕組みは輸出出来てないぞっていう意味。しなくてええよ、とも思うけど。
2013-02-10 17:33:10まああの一言を見てみても『フォーマットがコンテンツに先立つ』思考、コンテンツはフォーマットの婢みたいな思考が出まくってはいるんですが(笑)
2013-02-10 17:33:39それで考えてみれば批評がビジネスライクな批評を展開して売り方の呈示を行うこと、それが「夜の世界」の「昼」化等に出来ていること、って点で考えてみると。
2013-02-10 17:34:20まさに夜の昼化って、コンテンツのフォーマット化、つまり昼の人たちのある種の「征服活動」になるんじゃないの?っていう感じがしなくもないのだが。
2013-02-10 17:34:49宇野先生もなんか雑誌で「AKBからニコニコまでの消費社会は皆繋がっている」って言ってるけど、つながったものにしようとするて思考はまさに「アーキテクチャ」だよね。建築。一つの構想された固定物体。パラノイズム。
2013-02-10 17:35:59FLEETだっけか、音楽グループのFLEETの人が、「緑を生い茂らせましょう」て言ってたけど、彼らはどうもそれをアーキテクチャ、空間にして都会システム化したくてたまらないって感じが、やっぱり…。
2013-02-10 17:39:10コンテンツの創造自体をフォーマットとする作戦は、まず享受者が嫌がる。嫌がると、離れてくから、創作者も嫌がる。…て、ならないのかな。
2013-02-10 18:09:02今気づいたのだが、データベース・モデルっていう東浩紀が言ってたモデルってまさにこのことではなかろうか:『「型」が現代消費社会によって「大量生産=大量消費」される物として捉えらてしまったときにはもう「論.. http://t.co/e9KNsoPD
2013-02-10 18:10:10知らない人間が既成の型を組み合わせて生産する、という構造。ある意味ライトが入った後のCGMとして考えられるような。 http://t.co/VdlhG7hZ
2013-02-10 18:10:56「夜の世界―それは有機的で、力に満ちた、カオスティックな、玉虫色の、多様な、実験精神をおそれることのない、自由と生成のフロンティアである。私はこの日本にこそ希望を見る」濱野智史あとがき 宇野共著『希望論』(NHK出版 2012年)
2013-02-10 18:33:01「しかし、いま政治や経済といった〈表の世界〉がこれほど終わっている国において、ほかに何の希望があるというのだろう? 革命は周縁から起きる。いまこそ、日本の情報/文化空間を培ってきた無数のイノベーションをもってして、現実の諸制度に揺さぶりをかける日が来ているのだ。」濱野『希望論』
2013-02-10 18:36:50「消費」が腐るほど批評空間で問題化されるなかで、その対義語(?)になる「浪費」という概念が大きく見いだされてくる。しかし、「満足をもたらしどこかで限界に達する行為」である浪費を、生活レベルで具体的に想像するのは難しい。難しいのは、それほど「消費」が染み込んでしまっているからか。
2013-02-10 18:46:34浪費というと、もう自慰行為しか思い浮かばない。しかも、そこにいたるまでの性的快楽は明らかに差異の消費であって(ry。もはや現代人の浪費行為は、無一文で無人島に行って狩猟採集民族になるしかないのか。あるいは、浪費という概念も消費社会によって差異として二次的につくられたものなのか。
2013-02-10 18:51:25表、フォーマット性のトラブルをそういやウチらはいつも嫌がるわけよね。例えばAKB商法だとか、完全版商法などといった形でね。
2013-02-10 19:06:08「身に付ける」という言葉がまさにそれなんでしょう。日本人が理解するというのは身に付くことであって、当然その反対―理解・体得できないことは、「身に付かない」わけ。なら、この「身体」という基本的な問題をどう捉えればいいのか、という話になる。が、僕にはそれを説く能力は持ち合わせていない
2013-02-10 19:06:11どうしてそういう『商法』を嫌がるかといえば、単にお金儲けしてる、っていう嫉妬だけではなくて、それがパターナイズされることで、創作するコンテンツそれ自体の質の低下につながるからって言う暗なる認識が享受者にあるからではないか、って思ったことがあるんだよね。
2013-02-10 19:07:01