発達障害大学生支援における「高機能発達不均等(HFDI)」という概念について(@斎藤清二先生)

斎藤清二 @SaitoSeiji 先生の連続ツイートをまとめました。
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斎藤清二 @SaitoSeiji

『発達障害大学生支援への挑戦』(金剛出版、2010)の中で私たちが提唱している「高機能発達不均等:High-Functioning Developemental Imbalance:HFDI」という概念について、一部を引用紹介してみたいと思います。

2013-02-12 21:21:45
斎藤清二 @SaitoSeiji

①私達は富山大学でのプロジェクトにおいて複数例の支援経験を積み重ねるなかから、少なくとも大学キャンパスにおいて、社会的コミュニケーションの困難さを抱えた学生達を支援しようとする時、彼らの大部分を「発達障害」とラベルすることは、有効ではない、と考えるようになった。

2013-02-12 21:24:09
斎藤清二 @SaitoSeiji

②「発達障害」とは「発達させるべき能力の生得的な障害(極端に言えばある能力の欠損)」と理解されやすい。しかしこのような理解は、少なくとも大学キャンパスというローカルなコンテクストにおいて、コミュニケーションへの支援を行おうとする時、適切とは言えないというのが私たちの実感である。

2013-02-12 21:31:12
斎藤清二 @SaitoSeiji

③むしろ、彼らは発達させるべきいくつかの能力(少なくとも潜在能力)が高すぎるために、平行して発達させるべき他の能力との間に不均等(imbalance)を生じてしまい、それが色々な困難さを彼らにもたらしていると考えた方がよいのではないかというのが私達の仮説である。

2013-02-12 21:31:41
斎藤清二 @SaitoSeiji

④そこで私達は、社会的なコミュニケーションに困難を抱え、発達障害と一般に呼ばれているような傾向をもっているが、ある分野においては卓越した能力をもっているような学生を、とりあえず「高機能発達不均等(HFDI)」と呼ぶことを提唱した

2013-02-12 21:33:53
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑤HFDIの暫定的な定義は以下のようにまとめられる。1)知的発達の遅れを伴わない。2)興味や関心が特定のものに限られる。3)特定の卓越した能力を持っている。4)他者との社会的関係の形成が困難。5)独特の認知・思考のパターンを持っている。 6)被害感、怒りを持ち続けがち。(続)

2013-02-12 21:35:32
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑥(承前)7)発達障害の診断基準を満たす場合もあれば満たさない場合もある。 もちろん、上記の暫定的な定義はかなりあいまいなものであり、今後支援の継続を重ねる中で、より適切なものへと改良していく必要がある。

2013-02-12 21:36:38
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑦さらにこれは、医学的な診断基準に異議をとなえるというようなことをもくろんでいるのではなく、あくまでも大学生支援という場に限定し、とりあえずの支援方針を策定し、実践の中でより適切な状況理解を、学生と支援者の相互交流の中から作り出していくための、出発点となる暫定的な概念である。

2013-02-12 21:39:28
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑧しかし、従来「障害」とラベルされていたカテゴリーを「不均等」と呼び替えることによってもたらされるメリットもあると思われるので、期待されるメリットについていくつか整理しておきたい。

2013-02-12 21:40:17
斎藤清二 @SaitoSeiji

「発達障害」を「発達不均等」と呼びかえることにより期待されるメリットについてまとめていきます。なおこれは、必ずしもオリジナルの発想ではなく、すでに多くの人によって、色々な形で提唱さsれていることでもあります。その一番目は「『一生変わらない』から『バランスの回復へ』」です。

2013-02-13 07:46:03
斎藤清二 @SaitoSeiji

①発達障害とは、概念的には「脳の何らかの異常によって、生まれつき、あるいは発達の早期に機能不全が現れて、一生持続するものである。薬で治療する病気とは異なり、できるだけ早期から周囲が理解して、環境を整え、養育的な対応をすることが重要である」と一般に理解されている。

2013-02-13 07:46:56
斎藤清二 @SaitoSeiji

②本人の努力や心がけ、あるいは本人への治療ではなく、環境の整備やアクセスの保証の必要性を強調することは、もちろん意味がないことではない。しかし、「障害が一生持続する」ということが強調されすぎると、「障害特性は変化しない」というニュアンスもまた強調されることになる。

2013-02-13 07:48:16
斎藤清二 @SaitoSeiji

③しかし我々の経験からも、また多くの事例研究報告からも明かなように、彼らは、他者との交流を通じて自らの経験を意味づける作業を通じて、明らかに変化していく。大学生に限らず、支援にあたっているものの多くは、彼らがまさに「成長し発達する」という実感をもっている。

2013-02-13 07:49:06
斎藤清二 @SaitoSeiji

④「発達不均等」とは、「発達途上にある能力の間に不均衡がある」ということであり、たまたま相対的に発達の遅れている部分(多くの場合は社会性である)があるにしても、それは成長可能であるし、同時に優れている部分に対してより多くの注目を与えることが可能になる。

2013-02-13 07:50:02
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑤支援の目的は、欠損している能力を支援者が補うということよりもむしろ、学生のもつ優れた部分が発揮されるような場を提供し、学生の自我成長を促しつつ、発達のバランスを回復させていくことにおかれることになる。

2013-02-13 07:51:46
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑥「発達障害」を「発達不均等」と呼びかえることにより期待されるメリットの2番目は「『障害受容』から『特性理解へ』」と表現できる。

2013-02-13 07:54:18
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑦障害モデルとは、障害を早期に診断し環境を整えると同時に、本人およびその家族に障害受容を迫るというプロセスを必然的に内包する。障害モデルを採用するかぎり、心理教育や自己理解の促進という作業は、「自分の障害についての『正しい知識』を獲得してそれを受け入れる」ことを目指すものになる。

2013-02-13 07:55:17
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑧しかし多くの場合、「障害についての正しい知識」とはあくまでも専門家の中にある「知識」であり、それは往々にして、学生本人や家族が理解している知識内容とは一致しない。大学生の場合、すでにかなり長い人生をそれなりに乗り越えてきたという歴史を彼らは持っている。

2013-02-13 07:56:13
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑨そのような歴史に基づく自己理解のストーリーを形成している彼らにとって、「障害受容」を迫られるというような体験は、例えそれが「専門家の視点からは正しい知識」であったとしても、「侵害的」に感じられることがあるのはやむを得ないと思われる。

2013-02-13 07:57:47
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑩時にはそれまでの否定的な経験によってただでも低下している自尊感情を、さらに低めるような結果になりかねない。

2013-02-13 07:59:14
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑪これまでも再三言及されていることであるが、学生や家族の自己理解にとって重要なことは「発達障害」という診断を受け入れることというよりはむしろ「自分の特性」を理解することであり、それは具体的には「自分の得意なところと苦手なところ」を理解することである。

2013-02-13 08:00:48
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑫そうだとすれば、自己理解の内容としての「障害という概念」は、そもそもそれほど重要ではないということにはならないだろうか。

2013-02-13 08:01:57
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑬本人や家族が、「障害」というモデルを受け入れるほうにメリットがあるならばそうすればよいし、そうではなくて「障害」という言葉で表現されるものとは異なるモデルを採用することにメリットがあるならば、そうするように援助すれば良いのではないだろうか。

2013-02-13 08:03:09
斎藤清二 @SaitoSeiji

⑭「発達不均等」という概念は、彼らが採用しうるモデルの選択肢を増やし、障害モデル以外の説明図式を通じての自己理解を増進することに益する可能性がある。 ・・ここでしばらく休憩します。もう少し続きます。

2013-02-13 08:04:07
切り取り線 @kiri_tori

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2013-02-13 09:00:01